【小説・ヴィーナス症候群】[526]推し活と串カツ、どっちにするの?
福祉分野を専門とするフリーライター・神俣葵の取材先は、ネット炎上の当事者だった。
関東の某地方都市の地方公務員。年齢は三十代後半。
診断名はうつ病。現在は休職中だという。
その彼が、人気アイドルグループ「推しっ子」の大阪城ホール公演に足を運び、終演後に串カツを食べて帰った。
それだけの話だった。
ところが、その行動がどこからか漏れた。
「税金で食ってるくせに」
「休職中のくせに遊び歩くな」
という言葉が連なり、いつの間にか彼にはあだ名がついた。
――推し活串カツ君。
精神科医は言ったという。
休職中にアイドルのライブに行ってはいけない理由も、串カツを食べてはいけない理由も、医学的には存在しない。
だが、その説明は燃料にしかならなかった。
「中小企業でそんなことが許されると思ってるのか」
「公務員は甘えるな」
「民間なら即クビだ」
論点は、いつの間にか病気でも休職でもなく、
「どの立場なら許されるのか」という話にすり替わっていた。
取材の日、葵は寒風の吹く駅前に降り立った。
ロータリーを囲む商店街は、昼間だというのにシャッターが目立つ。
古い看板だけが、かつて人が行き交っていた痕跡を主張していた。

当事者の住むアパートは、その商店街の外れにあった。
部屋に通されると、壁一面に「推しっ子」のポスターが貼られていた。
限定グッズ、ライブタオル、アクリルスタンド。
几帳面に並べられている。
彼は言った。
「そもそも、なんでこの件が明るみに出たかというと、誰かがタレ込んだからですよね。
そうやって噂話するしかやることがないんですよ」
淡々とした口調だった。
「まず何より、なぜ僕が休職したかです。
それだって結局、上司も同僚も市議会議員も、そして窓口に来る客も、みんな所詮は『この町の人間』なんです」
少し間を置いて、彼は続けた。
「転入してくる若い女性に補助金を出したら、『市から金もらってるんだから働いて子供産め』。
少子化対策は『ねるとんパーティー』ですよ。
参加者が集まらなくて、仕方なしに僕も出ました」
彼は笑ったが、目は笑っていなかった。
「もう結婚してるDQNたちが、端っこで笑いながら眺めてるわけです。
そりゃ、関東の市で初めて過疎化地域に認定されますよね」
最後は、吐き捨てるようだった。
「もう、滅びたらいいんですよ」
神俣葵は、相槌を打たなかった。
否定もしなかった。
ノートを閉じることもできなかった。
ただ、黙って聞いているしかなかった。
この人が行ったのは、ライブだった。
食べたのは、串カツだった。
それだけで「許されない側」に押し出される町で、
彼は今日も、休職中という肩書きだけを背負って生きている。
駅前のシャッターは、たぶん明日も開かない。
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