【小説・ヴィーナス症候群】[727]レシートに
レシートに、薄くかすれたインクで「手焼きせんべい」とだけ印字されていた。
普段は両腕のないYouTuberとして活動している麻帆は床に座ったまま、それをつま先で引き寄せる。さっきまで何もせず、ただ時間が流れていくのを眺めていたのに、紙切れ一枚で急に現実に引き戻される。
越谷。
どこかの店の名前。
——ああ。
思い出した。越谷の梅祭り。(第646話)
人がやたら多くて、屋台の煙が風に流れてきて、つい並んで買ったやつだ。あの時の動画は、結局サブチャンに回したんだったか、本編だったか。
名物は手焼きせんべい。そんなことを言われて、まあ確かに美味しかったけど、動画的には微妙だったな、とぼんやり思う。
こういうの、あとで絶対分からなくなる。
何の動画で、いつ使った金なのか。
確定申告の時に、毎年同じところで詰まる。
麻帆は右足の指でペンを挟み、レシートの余白にゆっくりと書き始める。
「越谷梅祭り 動画用(サブ) ○月○日」
左足で紙を押さえながら、少しだけ文字が歪む。それでもいい。読めればいい。

書き終えると、レシートをひっくり返して、もう一度だけ眺めた。
ただの紙切れだったものが、急に“記録”になる。
麻帆は小さく息を吐いて、そのレシートを他の束の上に揃えた。
また、何もしない時間に戻る前の、ほんの数分の仕事だった。
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