見出し画像

【小説・ヴィーナス症候群】〔450〕筑波おろしの冬凪

高速バスが常磐道を降り、「土浦新治インター」にゆっくりと停まった。
戸頭紬は、金属の肩義手を軽く押さえながら立ち上がる。
東京での撮影と採寸の仕事を終え、今日は久しぶりの“実家への帰省”だ。

紬は生まれつき両腕のない“ヴィーナス児”で、
アパレル現場で衣装展示を行う、いわゆる「トルソーさん」として働いている。
忙しい日々の合間にようやく取れた帰省の時間だった。

新治市へ向かうには、本来なら常磐線で土浦へ行き、そこで筑波参宮鉄道に乗り換えるのが“一般的な公式ルート”。
観光案内も、都内の人も、みんなそれを使う。

だが、紬は地元の人間だ。
裏ワザを知っている。

高速バス → 土浦新治インター → 徒歩10分 → 常陸吉田駅 → 筑波参宮線

これがいちばん安くて早い。
だからこのインターで降りると、十数人もの客がどっと降りていく。
皆、新治市に帰る“地元民”。

冬凪で風のない舗装の甘い市道を歩いていくと、やがて刈り取りの終わった田んぼの向こうに無人駅・常陸吉田 が見えてくる。
高速道路が開通するまでは忘れられていた駅が、今ではバスとの乗り換えでそれなりに賑わっている。

低いエンジン音が近づき、ツルっとした外板の古いディーゼルカーが停まった。
男女川行きの600型。
1960年代製の非冷房車で、いまだにこの筑波参宮線の多数派だ。

本当は――
JRのお下がりの空調付き・700型が来てくれたら良かったのに。
紬は心の中で小さくため息をつく。

車内は暖房で暑すぎるほどだ。
そのなかで、鉄道マニアの青年が甲高い声で友人に熱弁している。

「この筑波参宮線がICカード入れない理由、
 単純に“金がない”って話じゃないんだよ。
 まず駅がほとんど無人でしょ?
 有人駅も委託レベルだから、
 ICカードを入れるには“サーバー・精算機・オンライン改札”の三点セットが必須。
 これ全部そろえると、初期費用だけで億単位行くの。
 でね、普通は大手グループとか都市圏なら
 広域ネットワークに相乗りできるんだけど、
 この会社さぁ、昔の“地域鉄道会社”が
 自治体と地元の財界で何とか延命してきた経緯があるから、
 どこのICネットワークにも完全に紐づいてない の。
 ほら、南の方では“常総鉄道”って会社が
 バスのICシステム持ってるでしょ?
 あそこに相乗りする案もあったんだけど、
 常総鉄道は常総鉄道で自社エリアの
 バス網で手一杯だから、鉄道の相互接続には
 あまり前向きじゃない。
 しかもこの運賃箱、見ればわかるけど、
 昭和のバス会社のお古を改造したやつなんだよ。
 車内配線も旧式で、ICカード読み取り機つけるには
 全部引き直し。
 筑参線みたいに“朝夕1両で往復するだけ”では
 費用対効果が全く合わないわけ!」

紬は聞き流しながら座席に腰を落ち着けた。
義手の金具が座面に触れて、コツ、と小さく鳴る。

東新治の県道の踏切のところで突然止まった。
踏切の上にトランペットが捨ててある。
「それ、不法投棄じゃん」
運転士は舌打ちをしながらそれを車内に入れる。
おそらくは荒れた近所の中学校で誰かが持ち出して放り投げたのだろう。後で学校に返さないと。たぶん運転士はそういう判断をしたのだ。
まあそういう土地である。

やがて古いスピーカーが震え、電子的なアナウンスが流れた。

「つぎは──新治市、新治市でございます」

山麓線はバスのような運賃箱方式。
降車時に乗車券を箱に落とすと、金属がかちんと響いた。

ホームに降り立つと、懐かしい筑波おろしの匂いが一気に胸に広がった。

駅前の店はまた一つ消え、街灯の数も減った気がする。

紬は深く息をついた。
ここは彼女の実家がある町。
帰省のたびに、少しずつ寂しくなっていく町。

それでも——
帰る場所は、やっぱりここしかない。

紬はゆっくりと家への道を歩き始めた。

#AI小説 #小説 #ヴィーナス児 #ヴィーナス症候群 #近未来小説
#戸頭紬
#せりふ三題噺 #トランペット踏切冬凪

いいなと思ったら応援しよう!