【小説・ヴィーナス症候群】(667)お赤飯が無駄になるから
深夜。
部屋の照明は少し暗く、窓の外には都会の夜景がぼんやりと光っている。
YouTuberの麻帆は床にあぐらをかき、ノートパソコンの画面をぼんやり見ていた。
テーブルには空いた缶チューハイがいくつか転がっている。
「いろいろあったのがやっと落ち着いていつもの泥酔配信に戻ったって感じ」
画面の右側ではチャットが流れている。
「ブスのカタワ金恵んで」
「いつもナマ脚でシコってます」
「ブスのカタワのウンコ食いたい」
いつものノリに麻帆は呆れて笑いながらグラスを持ち上げる。
「今日はねー、なんかニュースでさ、震災の話とか出てて……まあ、いろいろ思い出すよねぇ、って感じで」
その時だった。
画面の左上に、赤いバーが突然現れる。
¥23,311
チャットが一瞬ざわついた。
「おお」
「でかい」
「スパチャきた」
麻帆も目を細めて画面を見つめる。
「え? にまん……さんぜん……?」
少し顔を近づける。
「Yoko Satoさん、二万三千三百十一円……ありがとうございます……!」
そして、スパチャのメッセージが表示された。
麻帆は読み始める。
「えーっと……」
酔っていた声が、少しずつ落ち着いていく。
「震災の話になったので思い出してしまいました。私の住む市では……」
チャットの流れも、ゆっくりになった。
「3月11日に中学校の卒業祝いで、お赤飯を出したそうです……」
麻帆は一度、言葉を止めた。
「私は家族を震災で失いました。そんな日にお赤飯だなんて、何のつもりだろうと思い、市役所に抗議したら――」
画面の向こうの視聴者も、静かに聞いている。
「『もう作っちゃったし、お赤飯が無駄になるから予定は変更できない』と軽く言われてしまいました」
麻帆は、グラスをそっとテーブルに置いた。
「強い口調で抗議したら、『あんまりクレームみたいなことしてると為にならないよ』と言われてしまいました」
チャット欄には
「……」
「エグ」
「そんな日にお赤飯とか市役所がノンデリ」
と、ぽつぽつコメントが流れる。
麻帆は最後まで読む。
「小さな声はいつも握り潰されてしまうのでしょうか。
ごめんなさい、大好きな麻帆さんの生配信で深刻な話をしてしまいました」

少しの沈黙。
麻帆は画面を見たまま、静かに息を吐いた。
さっきまでの酔った調子とは違う声で言う。
「……いや」
少しだけ首を振る。
「別に謝らなくていいよ」
チャットがまた流れ始める。
麻帆は画面を見ながら、ゆっくり言った。
「なんか嫌だよね。お前は少数派なんだから多数派に合わせろ、みたいなザ・日本人」
画面の右側に、
「で、不謹慎厨とか言われんのね」
「炎上やろ」
とコメントが増えていく。
麻帆は水を一口飲んで、静かに言った。
「……Yokoさん、スパチャありがとうございます」
少し間を置いて、
「今日、来てくれてありがとう」
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