【小説・ヴィーナス症候群】[352]とちおとめのいちごオレ
生まれつき両腕のない女性――“ヴィーナス児”と呼ばれる彼女たちは、なぜそう生まれてくるのか、いまだ医学的に解明されていない。
その中には、アパレル業界で衣装展示モデルとして働く者もいる。「トルソーさん」。服を着せるための“動くマネキン”として。
高野美恵はそのひとりだった。栃木県の北部、箒川沿いの高校を出て上京し、今は吉祥寺のダンスウェアブランド「Confeito」で“トルソーさん”として働いている。
その日、美恵は押上駅近く、東京スカイツリーのふもとにある栃木県のアンテナショップで、昔の友人を待っていた。
赤白の瓶が冷えている。
ラベルには「とちおとめのいちごオレ」と印字され、脇に小さく「那須牛乳使用」とある。
東京限定、数量限定、季節限定。甘くて冷たい、懐かしいようで新しい味。
「美恵〜っ!」
瑠夏が、スカイツリーの下をぴょこぴょこと駆けてくる。
その声も、イントネーションも、高校ん時とぜんぶ一緒だった。
「おめ、変わんねぇな〜。肌つやつやじゃんかよ」
「そっちはさ、ちょっと痩せたんでね?」
ふたりで笑って、ベンチに並んで腰掛ける。
「ほれ、いちごオレ買っといたわ」
「ありがとねぇ〜。これが噂の、とちおとめと那須牛乳のやつかあ」
ストローで吸う。冷たくて、甘くて、ちっと土の匂いもする。

「で、仕事どうよ? 公務員なったんだっぺ?」
「んだよ〜、ヤバいわマジで。もうさ、訳わかんね区民の相手ばっかで、毎日鬱んなっちまいそう」
「まじか〜」
「うん。おめ、知らねと思うけど、高卒採用の職員なんて、裏方の黒子だかんな。電話番と、お茶っこ出す係ばっかだわ」
「でも、安定してっぺ?」
「安定して死んでくだけって気がしてきたっつーの」
美恵が笑いながら、ストローをくわえ直す。
「おめは、今なにしてっけ?」
「スポーツウェアとかダンスウェアのブランドで、“トルソー”してっぺよ」
「トルソーって……あの、マネキンみてえなやつ?」
「そう。服着せられて、展示されたり、試着のモデルやったりすんの。わたし、腕ねえべ? だから布の落ち方が自然で、重宝されんだわ」
「へえ〜、そんでもって、いずれは?」
「ダンサーになりてえんだよね」
「はあ!? ダンサー!? そんなの不安定すぎっぺよ。ケガしたら終わりだし、踊れんの? ヴィーナス児って」
美恵は何も言わずに、いちごオレを吸う。
もう半分くらい、減っていた。
そしてぽつりと、微笑みながら言った。
「……理由が必要?」
瑠夏が言葉に詰まる。
風が吹いて、スカイツリーのガラスがきらきら光る。
「……ないんけ?」
「ねえわけじゃねえけど、うまく言えねえんさ。自分の体のことだがら」
「……ふうん」
しばらく無言で、ふたりはいちごオレをちゅーっと吸ってた。
甘さと、懐かしい青臭さが口ん中に残る。
「なあ、美恵。発表会とかあるん?」
「あるよ、11月。代々木んスタジオで。通ってるダンス教室の」
「行ぐ。行かせてけろ」
「来てくんろ」
ふたりで笑いあった。
その笑顔は、説明も言い訳もいらない、ただまっすぐな光だった。
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