【小説・ヴィーナス症候群】〔283〕宅飲み
第1章 Felice控室
赤坂の「Felice」トルソー控室。仮縫いのドレスが並ぶ鏡台の前で、武隈莉子が由美の顔を覗き込んだ。
「ねえ由美ちゃん、最近やけにスマホ見てニヤけてるじゃん。……彼氏でもできたの?」
「……そうなの」
淡々と返した瞬間、武隈莉子と檜皮谷奈緒の声が揃った。
「えーーーっ!?」
「ちょっと! 写真見ていい!?」
「由美ちゃんの彼氏なんて、気になっちゃう!」
由美は恥ずかしそうに画面を差し出した。
そこに映る釜野蓮の写真を見て、二人は固まった。
「……どうして? どうしてこんなイケメン!? どこで出会ったの!?」
「それがね……」
一通りの顛末を聞かされた二人は、言葉を失った。(第275話)
「……それはまた……なんて言っていいの?」
「……何もできないよね?」
由美はため息をつきながら、
「そうなんだよね…… レン君すごい精神的に不安定で犯罪でも起こすんじゃないかってくらい荒れたりして、普通に一緒に日替わり定食食べてても『最後の晩餐になるんじゃないか』ってヒヤヒヤするもん」
「最後の晩餐…… レオナルド・ダ・ヴィンチか」奈緒が突っ込む。
「奈緒ちゃん教養あるよね」由美が感心する。
「ま、本ばっかりしか読まない文学少女だったからね」
莉子は大きなため息をつき、「まあ……それでもイケメンっちゃイケメンだもんね……頑張ってとしか……」と苦笑した。
第2章 練馬駅近く
金曜の夜。練馬駅近くの築古ワンルーム。
狭いローテーブルに並ぶのはコンビニの唐揚げとスーパーの惣菜寿司。
蓮、由美、そして同僚の都賀龍太が缶ビールを開けていた。
部屋の隅でつけっぱなしのテレビから、アナウンサーの声が流れた。
「発達した低気圧の影響で、九州北部では本日未明から非常に強い風が吹き、福岡県・佐賀県・長崎県に暴風警報が発表されました。沿岸部では最大瞬間風速30メートルを超える見込みで、交通機関にも影響が出ています――」
しかし三人の耳には届かない。
「いやー蓮、仕事んときはチャラいくせに、こうして見ると意外と落ち着いてんのな」
龍太が笑いながら言うと、蓮は鼻で笑った。
「店じゃテンション上げねえと客つかめねえからな。インスタ用に“似合わせカット”とか言って盛ってんのよ。あれは半分営業」
「由美ちゃんも美容師トーク慣れないでしょ? 毎日“ブリーチは鬼大変だった”とか聞かされてんだろ?」
「……うん、ちょっと新鮮」
由美は笑った。
和やかに笑い合っていたが、蓮がトイレに立つと空気が変わった。
龍太は缶を傾け、低い声で言った。
「……蓮さ、前は本当にすごかったんだよ。
モデルの子に声かけて、そのまま終電逃させてアパホテル直行。
客とアシスタントの二股なんて当たり前。
“あれ、先週は別の子じゃなかった?”ってのもしょっちゅう。
クラブ帰りに一晩で二人、とかさ。病気うつしたなんて噂もあった」

由美は唖然とした。龍太はさらに声を潜めた。
「……だから、恨んでる子もいたよ。
中には“ルミちゃん、よくやった!”なんて言ってる子までいた。……あの事件起こしたルミちゃんね」
その瞬間、トイレから蓮が戻ってきた。
ズボンもパンツも履いていない。
股間には何もなく、縫い跡だけが痛々しく残っていた。
「おい、自分の家だからって……パンツぐらい履けよ」
龍太が思わず口をついた。
蓮は目を伏せ、涙を流した。
「もう……無いんだよ……立ちションもできねえんだよ……」
由美は義手で彼を抱きしめた。
「……無くたっていいじゃない。一緒にいれたら」
龍太は黙って缶を握りしめた。
「蓮……由美ちゃんを大事にしろよ」
蓮はただ、嗚咽を漏らすだけだった。
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