【小説・ヴィーナス症候群】〔358〕投げやりな恋
第1章 バオカップ期の面影
ブゥンッ! プァーッ! プァーーーッ!
焼けたアスファルトの隙間から、今日もハノイの朝が立ち上がる。
無数のバイク。ぶつかりそうでぶつからない運転。信号無視は当たり前、クラクションは合図の代わり。
その喧騒を、関那由他は軽く首をすくめながら歩いていく。
黒のタンクトップに、淡い色落ちのジーンズ。
両肩には義手。生まれつき両腕のない身体をカバーする、シンプルな義肢。
彼女が歩いているのは、ハノイ旧市街の外れ、かつて“配給制度通り”と呼ばれた通りだった。
社会主義計画経済の時代──バオカップ期──に、米や石鹸、針金やランプが配られていた建物がまだ残っている。
補修された赤レンガ、表面を上塗りしただけの看板、木造の軒先には雑貨と土産物が同居している。
那由他は一瞬、歩みを緩めた。
「……ここ、パンの引換所だったって聞いたことがある」
日本語で呟く。聞き取れる人は周囲にいない。
昔、現地の年配研究者がそう話していた。
「配給票と交換で、少しだけパンがもらえた」
「毎月、家族の人数分。足りなければ仕方ない」
喃字(チュノム)のような文字を、政府が読み書き不要と見なして切り捨てた時代。
文字を学ぶより、鍬を握れ。
詩よりも米を。
学びより服を──
そんな時代のまま、止まっている街区。

那由他の義手が、ジーンズのポケットでキーケースを探る。
指先に感触はない。だが、物の重さと形状で判断できるようになっていた。
「文字に意味があると、信じること自体が“贅沢”だったんだよな……」
ここでは、かつて喃字が贅沢品だった。
言葉ではなく、ただの“旧文字”。
歴史の隅に追いやられ、見向きもされず、燃やされさえした記録。
那由他はふたたび歩き出した。
図書館はすぐ先だ。
喧騒を抜け、記録に向かう。
歴史に残らなかった言葉を、今日も彼女は読むために。
第2章 19世紀ベトナムの喃詩「投げやりな恋」
閲覧室は冷房が効きすぎていた。
真夏のハノイでは、それが“歓迎”の証だった。
関那由他は義手の指先で、トートバッグの口を開けた。
A4のフォント表、マスキングテープ、厚手の原稿用紙、タブレット。
身軽さが命だ。義手で細かく操作するには、少ない荷物と整った導線が必要だった。
机の上には、取り寄せたばかりの一冊が置かれている。
『情捹吹』――十九世紀中葉、順化(フエ)の旧家で私家版として刷られた喃字詩稿。
漆のように艶のある筆跡が、薄い手漉き紙に滲んでいた。
那由他はそっと指先で紙面を押さえた。
義手の感触ではわからないが、紙の湿気は頬の空気で感じる。
カビ臭いというより、もう少し乾いた匂い。古い桐箱のような。
「……この“捹”の字、buông だな。手を放す。吹は xuôi、流す。
“情捹吹”――愛を放って、風に流す、か……」
喃字の字形には規則性がない。
それでも、那由他には“揺らぎ”の中に息づく音が見える。
誰かが確かにそう書いたという事実から立ち上がる呼吸のように。
クオック・グーにはもう残されていない音の余韻。
漢字にはない、手触りのような意味の重なり。
そして今は誰にも読まれない構文。
「声にならなかった言葉って、こうして紙に沈んでいくんだな……」
誰に向けた言葉でもない。
でも、彼女の中では、それがはっきりと響いていた。
視線を落とすと、タンクトップの肩から義手のジョイントがのぞいている。
そこにもう、羞恥も引け目もない。
腕があってもなくても、この文字は誰にも読めない。
だったら、その沈黙に応える者が必要だ。
外の喧騒は、図書館の分厚いガラスを通してくぐもった音になって届く。
喧騒と静けさのあいだ。そこが、彼女の仕事場だった。
頁をめくると、次の行にもまた、誰かの名もなき声が沈んでいた。
情捹吹
𦝄斜 灯熄 礼洟埃
無誓 無怨 䬔迻𨱽
花開未尽 香梳薄
笑未残心 夢已沛
(Tình buông xuôi 投げやりな恋
Trăng tà, đèn tắt, lệ rơi ai 月は傾き 灯は消え 涙は誰の袖に落ちる
Vô thệ, vô oán, gió đưa dài 誓いもなく 恨みもなく ただ風が遠くを渡る
Hoa khai vị tận, hương sơ bạc 花は咲ききらず 香はすでに淡く
Tiếu vị tàn tâm, mộng dĩ phai 笑みは残れど 心はすでに夢のように褪せていく)
那由他はその文字を、まるで亡霊の息を聞くように読み取った。
それは恋を捨てた詩ではなく、
――愛を“もう掴めない身体”が残した祈りだった。
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