【小説・ヴィーナス症候群】[546]解散
どこかの地方都市で、生活保護の申請者に向かって市役所職員が「乞食!」と罵倒したという。
そして窓口で殴り合いになった。
それだけが確かな事実で、経緯はどの記事も歯切れが悪い。
福祉系ライター・神俣葵は、最初は申請者側にも問題があったのだろうと思った。
生活保護の現場で暴力沙汰――穏やかな話ではない。
だが続報を読んで、違和感が勝った。
市は釈明文を出し、職員の発言は「不適切だった」としながら、
こう付け加えていた。
――当市は古事記ゆかりの町であり、言葉の受け取り方に誤解が生じた可能性がある。
意味が分からなかった。
言葉の暴力を、由緒で包む。
これは相当ひどい。
これは取材した方がいい。
葵はそう決めて、電車に乗った。
⸻
男は、市外れのアパートにいた。
年齢を聞いて、葵は一瞬、言葉に詰まった。
「暴走族を解散したんだ」
男は平然と言った。
部屋には何もない。バイクも、ヘルメットも、革ジャンもない。
「失礼ですが、ご年齢は……?」
「もうすぐ五十だよ」
正直、そこが一番の驚きだった。

「昔は無敵だった」
自慢ではない。
確認するような言い方だった。
夜になると集まった。
走るだけで道が空いた。
地元じゃ負け知らず。警察も、他所の連中も、簡単には来なかった。
「名前出すだけで、黙った」
二十代でやめる連中もいた。
三十代で家庭を持って抜けたやつもいた。
「でも、残った」
仕事は続かなかった。
やらかして、切られて、またやらかす。
履歴書は回らなくなった。
「まあ、親がいたしな」
親の年金。実家。
それで生きてきた。
ところが、親が死んだ。
「終わった」
年も年だ。雇ってくれるとこはない。
市役所に行った。
「生活保護だ」
条件は淡々と並べられた。
バイクは資産だ。売れ。
族? まだやってんのか。解散しろ。
「市役所が出してくる条件は全部飲んだ」
仲間を集めた。
警察署の会議室での解散式。
書類。署名。
誰も騒がなかった。
「無敵だった頃の話も出たけどな、
途中で止まった。今さらだろって」
バイクは、安かった。
「それでも申請した」
そのあと、あの言葉が出た。
取り消されなかった。
そしてあの「乞食!」発言。
「昔はよ」
男は、ほんの少しだけ笑った。
「俺らが走ると、町が黙ったんだ」
今は、黙りすぎてる。
⸻
帰りに、市役所のロビーを通った。
写本の複製。天孫降臨。
下に小さく、注釈。
――諸説あります。
葵は思った。
五十近くまで走っていたことも、
それを誰も止めなかったことも、
全部、この町では整理されていない。
降りたかどうかなんて、どうでもいい。
信じて、走って、売って、解散した。
情報量が多すぎる。
でも、削れない。
この町で解散したのは、暴走族だけじゃない。
「昔は無敵だったんだ」という時間そのものが、
誰にも弔われず、静かに解散した。
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