【小説・ヴィーナス症候群】(429)終わりの始まり
千代田線の車内で揺られながら、家久綾音はガラス越しに映る自分の顔をぼんやりと眺めていた。
両腕のないその肩は、真夏のブラウスからすっきりと覗いている。生まれつき両腕のない「ヴィーナス児」に多い職業として、アパレルの着用モデル――いわゆる「トルソーさん」として働いて数年になる。
今日は午後から、丸の内コロニアタワー低層階のKAWAIIモールにある「Ria」直営店での勤務だ。原宿の旗艦店とは違い、ここは新幹線で東京にやってくる少女たち向けに甘めのラインナップを揃えている。写真映えする色合いやシルエット、SNSを意識した世界観。綾音も何度かこの現場に立ってきたから、昼休憩を控え室で済ませ、午後から客の波が厚みを増すこともよく知っていた。
その予感どおり、午後になると店内には旅行鞄を抱えた少女たちが現れる。デニムのショートパンツから伸びる脚の細さと、肌の無防備さに、若さを感じた。
やがて女子大生風の客がレジを済ませて店を出ていく。残された三人組が小声で笑った。
「大学生になってまでRiaとかありえないよね〜」

その一言が、鋭く綾音の胸に突き刺さる。
――分かっていた。
大学を卒業してなお、ここで「トルソーさん」を続けている自分が、ブランドの年齢感から外れつつあることを。けれど、こうして面と向かって言われると、逃げ場もない。
その後どうやって仕事を終え、どうやって原宿に戻ったのか、記憶は曖昧だった。
気がつけば本社アトリエの扉を押していて、不意に頬を伝う涙を隠せなかった。
「どうしたの?コロニアで何かされた?」
デザイナーの愛子が目を丸くし、アシスタントのイザベラがすぐに駆け寄る。
綾音は、聞こえてしまった言葉をぽつりぽつりと話した。
二人は顔を見合わせてから、やや言いにくそうに笑った。
「いや……まあ……でも綾音ちゃんは可愛い系だから……」
やさしい言葉ではあった。けれど決して「Riaは二十五歳でも三十歳でも着られるブランドだ」とは言わない。
やっぱり、みんな同じことを考えているのだ。
肩をすくめるように嗚咽がこみ上げ、綾音は小さな声でつぶやいた。
「……次の身の振り方、考えなきゃな」
その言葉は、アトリエの白い壁に吸い込まれていった。
それが、彼女にとっての“終わりの始まり”だった。
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