【小説・ヴィーナス症候群】(681)反戦デモに参加しようかな
フリーの「トルソーさん」戸頭紬の次の仕事は、コスプレ系のアパレルブランド・LIBIDOHだった。
以前、このLIBIDOHで新作の競泳水着の合わせがあった時、スタッフに言われた。(第620話)
「いいお尻してる。撮影会に出てみない?」
腕のない自分で、カメコのおっさんたちががっかりしないだろうか。
少し迷ったが、ギャラが良かった。
当日、池袋のスタジオに行ってみると、スタッフが軽く手を振る。
「紬ちゃん、結構予約入ってるよ。なかなか人気だね」
「え、ほんとですか」
紬は少しだけ驚いた。
スタジオに入ると、撮影会は思ったより普通だった。
カメコたちは思い思いにカメラを構え、時々声をかけてくる。
「トルソーって給料いいの?」
「普通のOLとそんなに変わらないですよ。単なる試着モデルですから」
笑いが起きる。
シャッター音が続く。
空気は、悪くなかった。
「最近、電気代高いよね」
「そうそう」
「私の好きなポテチも、生産しなくなっちゃったっていうんです」
「えー、マジで?」
「最近じゃ義手充電するのも、ヒーター入れるのも躊躇しますよ」
「中東情勢がね〜」
「ああ、そうそう」
紬は、何気なく続けた。
「私も反戦デモ、行こうかなって思っちゃいます」
その瞬間だった。
空気が、はっきりと変わった。
「あのね、戦争やめろなんて単純な話じゃないんだよ」
「女の子は分かんないかもしれないけど、中東って本当に複雑なんだ」
「そういうの、ちゃんと勉強してから言った方がいいよ」

「サヨクに取り込まれる典型パターンだよね」
「デモとか行くとさ、リストに載るから」
「CIAとかモサドとか、普通に見てるって話あるし」
「就職とか影響するよ?」
「知らないで行くのが一番危ない」
紬は、少しだけ後ずさった。
カメラは向いたままだったが、もう撮影ではなかった。
「いやちょっと待って、今の話ってさ、完全に前提がズレてるんだよね。戦争って“起きるか起きないか”の問題じゃなくて抑止力が機能してるかどうかの問題だから。例えば湾岸戦争でもF-15とかF-16で制空権取った時点で戦局ほぼ決まってるわけで、そこにトマホーク撃ち込んでC4ISR潰して、あとは地上部隊がM1エイブラムスで押し込むっていう流れになるわけ。で、今の戦争ってもっと複雑で単純な総力戦じゃなくてA2/AD戦略とかハイブリッド戦争の文脈で見ないといけないの。例えばS-400とかS-500みたいな長距離防空システムで接近拒否して、その上でドローン飽和攻撃とか巡航ミサイルで削るみたいな。そこに対してF-35とかB-2みたいなステルス機がどう突破するかっていうのがポイントでさ。あと“戦争反対”っていうのは抑止力の否定になるんだよね、抑止っていうのは“攻めたら損する”って思わせることだから、イージス艦とかPAC-3とかTHAADとかそういう防空網、それに加えて原潜のSLBM運用とか、そういうの全部含めてバランス取ってるわけ。で日本の場合はシーレーン防衛が生命線だからホルムズ海峡とかマラッカ海峡が止まったらエネルギー全部止まるでしょ、だから海自が護衛艦でライン維持してて、そこにP-1とかP-3Cとかの対潜哨戒機も関わってくる。結局さ、戦争って感情論で止まるものじゃなくてロジスティクスと戦略の積み重ねなの、兵站が崩れたらどんなに正義があっても負けるし、逆に兵站が維持できれば長期戦になる。だから“嫌だからやめよう”っていうのは構造を全く理解してない発言なんだよね。あと現代だとサイバー戦とか宇宙領域もあるから、GPS妨害とか通信妨害とかASATとか、ここまで来るともう単純な話じゃなくて国家の総合力の問題になるわけ。だからさ、反戦デモ行くっていうのは自由だけど、それが現実の安全保障にどう影響するかまで考えないと意味ないんだよ。むしろ抑止力を弱める方向に働く可能性もあるし。いや別に否定してるわけじゃなくて、ちゃんと構造理解した上で発言した方がいいよって話ね」
「いや、あの……」
紬が口を開きかけたところで、
「はい、はい、その辺で」
スタッフが割って入った。
「そういう政治的な話は、別のところでやっていただいて」
「いやいや、反戦デモが政治的な話で――」
「はい、はい、戸頭にもよく言って聞かせますので」
スタッフは軽く頭を下げた。
紬の方を見る。
一瞬だけ、目が合う。
紬はすぐに言った。
「ああ、うん、そうだね。ごめんね。私デモ行かない。私、間違ってた」
場の空気が、整う。
「まあ、分かればいいよ」
「そうそう、ちゃんと考えればね」
撮影が再開される。
「はい、そのままいいよ」
紬は顔を上げる。
表情を作る。
それが仕事だった。
撮影会が終わってから、スタッフが言った。
「まあ……ああいう人たちで、どこで火がつくか分かんないからさ」
軽く笑う。
「まあこれも客商売の経験だと思って、懲りずにまた来てよ」
紬は、少しだけ笑った。
「はい。でも言われっぱなしじゃ気が済まないからあのバニーやってみようかな」
「お、紬ちゃんもうちでやる気になってきたね?」

