【小説・ヴィーナス症候群】[750]媚びると重苦
日曜の午後、舘合翠は有楽町の喫茶店でコーヒーを待っていた。
平日は鎮貪舎の庶務課で働いている。
今日は最初から、都立音羽高校の同級生・富岡佐江と会う約束だった。
「お待たせ〜」
待ち合わせの駅に現れた女を見て、翠は一瞬、言葉を失った。
――どちら様ですか。
そう思うほど、佐江は変わっていた。髪もメイクも、声の調子も。
電子タバコの煙がゆっくりと上がる。

「……佐江?」
「うん。今は“るか”だけど」
「夜職やってんの?」
「キャバ」
翠は苦笑する。
「え?キャバ?媚びると重苦だとか言って会社辞めたのに、それって媚びる仕事の最たるものじゃん」
佐江はあっさり言った。
「引きこもって分かったの。多かれ少なかれ、誰かに媚びないと生きていけないって。それはミュージシャンでも沖縄のリゾバでも同じ。どうせなら、それを最大限換金する仕事にしようって」
「で?」
「ナンバー入った。ちょっと楽しい」
「会社の“重苦”ってさ」と佐江が言う。
「媚びることじゃなくて、誰に評価されるか分からないまま合わせ続けることなんだよね」
翠は少しだけ頷く。
「私はさ、ぼちぼちやっていくよ」
佐江は煙を細く吐いた。
「それでいいと思う。どうせどこでも、何かには媚びるんだから」
翠はコーヒーを一口飲んだ。苦味は、思ったより軽かった。
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