【小説・ヴィーナス症候群】(789)桜の城門 🌈虹色創作部🌈
西日の差し込む自室で、YouTuber・麻帆は器用にタブレットの画面をタップしていた。
画面に並ぶのは、未編集の動画ファイルの山。
生まれつき両腕のない彼女にとって、ドローンを駆使した独自の撮影スタイルで、チャンネル登録者数数十万人を誇るYouTuberとして活動している。
「……さすがに溜め込みすぎたなぁ」
最近はあちこち旅に出るばかりで、肝心の編集やアップロードがすっかりお留守になっていた。
視聴者からも「生存報告まだですか?」とコメントが届く始末だ。
重い腰を上げてフォルダをスクロールしていると、ある動画データに目が止まった。
茨城県坂東市にある、逆井城跡。
戦国時代の城郭を忠実に復元した、知る人ぞ知る桜の名所だ。

これは『猿島(さしま)観光協会』というところから依頼された、いわゆる「案件動画」だった。
先方の担当者は大らかな人で、「うちはあくまで歴史ある城跡を見せたいので、桜の季節に急いでアップしなくて大丈夫ですよ」と言ってくれていた。
そのお言葉に甘え、さらにバタバタとした旅が重なった結果、案件であるにも関わらず、完全に時期を逃して今日までお蔵入りになっていたのだ。
「いい加減、本気で怒られる前にアップしないと……」
麻帆は動画のカット編集を始めた。
画面に映し出されるのは、満開の桜の中に佇む、見事な木造の城門。
編集を進めるうちに、当時の記憶が鮮明に蘇ってくる。
あの日は春の嵐が近づいていて、とにかく時間がなかった。
東京から高速バスに揺られ、最寄りのバスターミナルに降り立ったまでは良かったが、そこからが問題だった。
「歩くってレベルじゃねーぞ……!」
スマホのナビを頼りに、麻帆はただひたすら歩いた。
歩けども歩けども、景色はのどかな田園風景のまま。焦りが募る。
なぜなら、空の雲行きが怪しくなってきただけでなく、ドローンのバッテリーは気温が低いと消耗が早い。
移動に時間を取られすぎれば、いざ城跡に着いた時に「バッテリー切れで飛行不可」という最悪の結末が待っている。
「お願い、持ってよ……!」
ハラハラしながら、文字通り息を切らせて辿り着いた逆井城跡。
そこに広がっていたのは、現代から切り離されたかのような、見事な戦国の一角だった。
息を整え、足の指先で繊細にプロペラをセットする。コントローラーを顎と胸で挟み込み、ドローンを大空へ飛び立たせた。
液晶画面に映ったのは、薄紅色の桜の海に、厳かにそびえ立つ黒い城門。
それは息をのむほど美しく、バッテリーのヒヤヒヤ感も、足の痛みも、一瞬で吹き飛ぶほどの絶景だった――。
「うん、映像の出来はバッチリ」
麻帆は満足して、動画を一本のファイルに書き出した。

しかし、ここからがこの動画をお蔵入りにさせていた「最大の理由」であり、一番の難所だった。
この案件の条件として、動画のアップロードは通常のYouTubeだけでなく、観光協会が指定した「独自の地域プロモーションアプリ」をわざわざスマホにインストールし、そこ経由で連携させて投稿しなければならないのだ。
「……めんどくさっ」
思わず本音が口から漏れる。独自の専用アプリというのは、UI(操作画面)が独特で、麻帆のように口や足で操作する人間にとっては、ボタンが小さすぎたりして致命的に使いづらいことが多い。
「だるいなぁ、本当にだるい……」
ブツブツ文句を言いながらも、これはお金の発生している「お仕事」だ。
クライアントの要望には応えねばならない。
麻帆はスマホを床に置き、右足の親指と人差し指で器用に操作を始めた。
検索して、怪しげな(と言っては失礼だが)地方自治体特有のデザインのアプリをダウンロードする。
案の定、ログイン画面の規約同意チェックボックスが信じられないほど小さく、二回ほど押し間違えて別のページに飛ばされた。
「あーもう! 負けるか!」
意地になった麻帆は、画面を限界までズームし、全神経を足の指先に集中させてチェックボックスをタップした。ポン、と小気味いい音がしてチェックが入る。
そこからは一気呵成だった。動画ファイルを読み込ませ、タイトルに『【ドローン空撮】桜と眠る戦国の名城・逆井城跡にいってきた!』と入力する。
アップロードの進捗バーが100%になるのを見届けて、麻帆は大きくベッドにひっくり返った。
「終わったーーー!」
天井を見上げながら、達成感に浸る。
窓の外を見ると、いつの間にか夕日は沈み、夜の帳が下りようとしていた。
スマホが震えた。
通知を見ると、早速アプリの動画を見たらしいユーザーからコメントがついている。
『うわ、ここ地元だけどこんなに綺麗なんだ!』
『桜と城門のコントラストが最高ですね。次の休みに行ってみます』
苦労して歩いた道。
ヒヤヒヤしたバッテリーの残量。面倒だったアプリの操作。
そんなプロセスは、画面の向こうの視聴者には関係ない。
だけど、自分が届けた景色が誰かの心を動かした。その事実だけで、すべての面倒臭さは一瞬で報酬へと変わる。
「よし、次はどこに行こうかな」
麻帆はまだ見ぬ日本の絶景を思い浮かべながら、足の指でスマホを操作し、次の旅の高速バスを予約し始めた。
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