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【小説・ヴィーナス症候群】[554]携帯電話を川に落としたよ

韓国フェミニンブランド・HANEULのアトリエ兼スタジオは、昼の休憩時間になると一瞬だけ静かになる。
撮影も検品も手を止め、スタッフがそれぞれ思い思いの場所で腰を下ろす、短い間だ。

専属の「トルソーさん」である万之瀬はるかは、作業台の端に座り、肩義手を装着してスマホでYouTubeを見ていた。
仕事中は外しているが、休憩中は違う。

イヤホンから流れてくるのは、やけにメロディアスな韓国バラードだった。
ストリングスは大げさで、声も無駄に良い。
失恋か、別れか、そういう重たい話を歌っているのだろうと、はるかは思っていた。

背後でハンガーを戻していた韓国人スタッフのへヨンが、少しだけ笑って言った。

「それは、コミックの歌です」

はるかは画面から目を離さずに返す。
「コミックソング?」

「はい。歌詞が、そうです。
“携帯電話を川に落としました。
AppleCareに入っていましたから、安く交換しました。
Googleフォトに写真をバックアップしていましたから、
思い出は大丈夫でした。”
そういう内容です」

はるかは思わずイヤホンを外した。

「何それ?」

「その人は、作曲は天才です。
でも、作詞はとても下手です。
元々、行動が少し変です。
軍隊に行っても、すぐクビになって、出されました」

「徴兵クビになるって……よっぽどだね」

へヨンは肩をすくめた。

「普通は、なりません。
だから、その人は有名です。
音楽は、とても良いですけど」

はるかは小さく笑って、またイヤホンを耳に戻した。

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