【小説・ヴィーナス症候群】(623)盗撮犯の心理
第1章 京都人のいけず
京都市内の中心部にある社会福祉法人「洛愛福祉会」。
木目調の会議室で、フリーライターの神俣葵は女性所長を前にノートを開いていた。
「実際のところ、就労支援の制度って、三十代を超えると対象から外れがちですよね?」
「ええ。国の枠組みは“若年層優先”ですから。現場としても苦しいんです」
葵は笑みを含んで返した。
「私だってもう三十過ぎですからね。もし腕がなかったとして、制度の外に置かれるのは納得できません」
所長はにこやかにうなずきながら、さらりと言った。
「三十過ぎ? そないに綺麗なおみ足してはって、てっきり二十代や思てましたえ」
一見、褒め言葉。だが、含みのある言い回しに、葵の胸はざらりと逆撫でされた。
——三十過ぎにもなってスカートが短すぎる、とでも言いたいの? もしかして、これが噂に聞いていた「京都のいけず」ってやつ?
——誰が何を着ようが自由でしょ。
取材を終えて表に出た葵は、解せない顔で石畳の通りを歩いた。
町家の軒先にはのれんが揺れ、通りには外国人観光客が群れをなし、カメラやスマホで夢中に写真を撮っていた。
華やかな人波の中で、葵の表情だけが曇っていた。

京都駅の雑踏。
背後に妙な気配。カメラを構える影は、あまりにも自然で、シャッター音ひとつ立てない。
——それなのに、なぜか気配が生々しく伝わった。
葵は反射的に振り返った。
スマホを低く構えた中年男と目が合う。
次の瞬間、駅員が駆け寄り、男の腕を押さえ込んだ。
第2章 交番にて
狭い交番の小部屋。警察官が机に書類を並べ、淡々と説明を始めた。
「神俣さん、被害届を出しはりますか? もし出されれば事件として受理し、取り調べ、送検、裁判……と刑事事件になります。ただし出されなければ、今回は警告や説諭で済む可能性が高いです」
葵は軽くうなずき、椅子に腰を掛け直した。
「なるほど。大きな違いがあるんですね」
そして隣で縮こまっている男に目を向け、声のトーンを変える。
「私、フリーライターをやってるんです。盗撮犯ってどんなこと考えてるのか、一度きちんと聞いてみたいと思ってたんですよね。だから——あなたが正直に答えてくれるなら、被害届は勘弁して差し上げましょう」
男は顔から血の気が引いていく。観念したように小さくうなずいた。
葵はにっこり微笑み、さらりと言った。
「じゃあまず、お名刺交換しましょうか」
「……ご容赦を……」
「被害届」
男は震える手で鞄から名刺入れを取り出し、差し出した。
(名刺には「京洛マテリアルズ株式会社 半導体事業部 部長 岸部衡平」と記されている)
葵はその社名を見て、ぱっと目を輝かせた。
「あら、京洛マテリアルズ? あの筋電義手の“KMパッド”を作ってる会社よね?」
男はうなずく。
「……あれは弊社のウェルフェア事業部の製品です。第2サリドマイド事件のあと、国から『障害者支援機器の国産化を急げ』と強く働きかけがありました。助成金の枠もつきましたし、規格や保険適用も整えられまして……結果、筋電パッドの分野では国内シェアトップになったのです」
葵は笑顔で首を縦に振った。
「そうなのよ〜! ユーザーとしてはほんと大感謝! 国も京洛マテリアルズも頼りにしてるのよ」
男はわずかに誇らしげにうなずいたが、すぐに付け加えた。
「……まあ、私は半導体部門の人間ですが」
葵は肩をすくめて軽口を飛ばす。
「京洛マテリアルズなら、ノーベル賞のあの人みたいに京大?」
「いえいえ、私は阪大でして……」
「へえ〜、立派だわぁ〜。で、今はパンツか」
男は顔を真っ赤にして絶句した。
葵は机にスマホを置き、録音をオンにした。
「で、今日が初めて?」
男は小さく首を振った。
「……はい、出来心で……」
葵は眉をひそめ、軽く笑った。
「へえ〜、初めてにしては手慣れてたよね。じゃあスマホの中、見せて?」
「そ、それは……」
「ふーん。じゃあ被害届出しちゃうよ?」
男は観念し、震える手でスマホを差し出した。
葵はスクロールしていくうちに、画面のフォルダ名に気づいた。
「……あら? “滋賀”“シンガポール”“台湾”“白”“縞パン”……?」
並んだ文字列に思わず声が漏れる。よく見ると、写真は几帳面に場所や色柄ごとに仕分けされ、タグ管理までされていた。
葵は呆れ半分に吹き出した。
「うわ……ここまで整理する? さすがは大企業の部長、効率的ねぇ」
男の顔はすでに真っ青で、椅子の背に沈み込むように縮こまっている。
葵はスクロールしているうちに、ある写真に目を止めた。
「ん? これ……JR東日本の駅名標よね? ってことは——東京でもやってたの?」
男は観念したように小さくうなずいた。
「……出張のときに、つい……」
葵は肩をすくめ、スマホをさらに送った。
「ふうん。で、今度は“滋賀”ってフォルダが多いわね。どうして?」
男はうなだれたまま答えた。
「……弊社の工場が、滋賀にありまして……出張のついでに……」
「なるほどね。で、シンガポールかぁ……南の国ならミニスカートの女の子多そうだもんねえ」
「……シンガポールにも事業拠点がありまして……」
葵はさらに画面を送り、「台湾」のフォルダを見つけて眉をひそめた。
「台湾はずいぶん顔の入った写真が多いわね」
男は声を絞り出した。
「……台湾の子は、無防備な子が多いんです……」
葵はため息をつき、冷笑を浮かべた。
「やれやれ、とんだグローバル人材だわね」
葵はスクロールを止め、別のフォルダに目をやった。
「……で、これは“白”“縞パン”? 色や柄でまで分けてるの?」
男は小さくうなずいた。
「……ええ……整理しておかないと、あとで探すときに不便なので……」
葵は呆れて吹き出した。
「几帳面すぎ! ほんと大企業の部長らしい管理能力だわねぇ。で、好みは?」
男は視線を落としたまま、かすかに口を動かした。
「……白……普通の……」
葵は爆笑した。
「やっぱり! 常習のくせに好みはベーシック〜。でもさ、白が好きなら女子高生でも狙えばいいのに、なんで私みたいな三十過ぎのおばさんを?」
男はもう観念したのか、やけっぱちに口を開いた。
「……おばさんの、年甲斐もないミニスカートも……良いもんですよ」
葵の胸に、さっき洛愛福祉会の所長が言った言葉がふっとよみがえる。
——三十過ぎ? そないに綺麗なおみ足してはって、てっきり二十代や思てましたえ
褒め言葉のようでいて含みのある「いけず」。
そんなにスカートが多少短いことで、どうしていちいちグダグダ言われなきゃならないのか。
葵は冷ややかな目で男を見据え、問いを投げた。
「で、初めてこんなことしたのはいつ?」
男は視線を落としたまま、ぽつりぽつりと語り出した。
「……5年前です。最初は本当に出来心だったんです。駅の階段で……一度だけのつもりでした。
でも……誰にも気づかれなかった。怒られることも、捕まることもなくて……」
彼は乾いた笑いをもらした。
「それが……妙に安心してしまって。味をしめた、と言うんでしょうか。
一度バレないと分かると、またやりたくなるんです。気づけば回数は増えて……今では、出張や外回りのたびに、条件反射のように……」
葵は腕を組んで首を振った。
「……つまり、バレなかったことが報酬になっちゃったわけね。自分のキャリア全部を崩すほどの快感で?」
そのまま壊れたように言葉を継いだ。
「……妻子持ちですからね。バレないようにやるには、それなりに工夫がいるんです。
人混みに紛れて自然にかがむ角度……音が出ないカメラアプリの設定……。
それに、動画を撮ってから静止画を切り出す方法も試しました」
葵は首をかしげた。
「へえ、でも動画から切り出したら画質が悪くならない?」
男は小さくうなずき、淡々と答えた。
「……最初から高解像度で撮ればいいんです。4K動画なら切り出しても八百万画素は残りますから。最近のスマホは性能がいい……」
語る声には妙な自信と“研究熱心さ”がにじみ出ていた。
葵は深くため息をつき、皮肉を込めてつぶやいた。
「阪大出て、一流メーカーで部長になるような人は……やっぱり研究熱心ね。分野は最低だけど」
男の肩が小刻みに震え、顔はさらに蒼白になった。
後ろで聞いていた警察官の表情にも、緊張が走った。
男の“研究熱心さ”を聞き出した葵は、録音を止めてにっこり笑った。
「ありがとう! 良い取材ができたわ。約束どおり、私は被害届は出さないから」
男は一瞬、安堵の色を浮かべ、肩を落とした。
「……助かりました……」
しかし、その直後だった。
後ろでずっと黙って聞いていた警察官が、重々しい声を発した。
「——神俣さんが被害届を出さんとしてもやな。ここまで洗いざらい聞かされた以上、ワシらは動かざるを得ん。どうやら、余罪がアホほどあるようやな」
男の顔から再び血の気が引き、蒼白になった。
葵はスカートの裾を直しながら立ち上がり、肩をすくめた。
「……やれやれ、取材は終わり。でも物語の続きは、警察の仕事ね」
交番を出た葵は、深呼吸をひとつして気持ちを切り替えた。
「さて……せっかく京都まで来たんだし」
京都駅の土産物売り場に立ち寄り、八ツ橋の箱を手に取る。
「編集部へのお土産には、やっぱりこれよね」
レジ袋を片腕の義手に掛け、もう一方の肩で鞄を押さえながら歩き出す。
人混みのざわめきにまぎれ、葵の表情には満足げな笑みが浮かんでいた。
——取材は収穫あり。記事にもなる。
そして何より、自分の短いスカートを笑う声に、胸を張って反論できた。
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