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【小説・ヴィーナス症候群】(801)サーキットの季節

富士スピードウェイのパドックは、相変わらず脂汗と紫外線、そして何千万画素もの欲望が渦巻く地獄のプロレス会場だった。

俺は重さ3キロを超えるフルサイズ一眼と、中古で買った型落ちの大口径ズームレンズを首からぶら下げ、人の波を泳いでいた。

「底辺カメコ」――それが俺の自認だ。
SNSのフォロワーは3桁止まり。メーカーや有力チームの息がかかった「オフィシャル風の顔」をした上級カメコたちが最前列で優雅に目線を貰う後ろから、人の隙間にレンズをねじ込み、バストアップの置きにいった写真を量産する。それが俺の主戦場だった。

今年の富士も、全体的に衣装の「健全化」が進んでいた。
どのチームのレースアンバサダーも、露出を抑えたスタイリッシュなものばかり。
スポーティーなセパレートか、サイバー感のあるジャンプスーツ。時代の流れってやつだ。
ファインダー越しに見る彼女たちは綺麗だが、優等生すぎてどう撮っても「カタログの劣化コピー」にしかならない。

そんな中、グランドスタンド裏の27番ピット付近にさしかかった時、明らかに周囲とは異質な、加齢臭と執念の入り混じったベテランカメコたちの分厚い壁が行く手を阻んだ。

「おい、27番、京洛(ケイラク)の姐さんたち出てるぞ」
「マジか、今年もこの季節が来たか。場所空けろ」

前方を歩いていた同業のオタクたちが、色めき立って人垣へ突っ込んでいく。
釣られて視線を向けると、人垣の隙間から強烈な「白」が目に飛び込んできた。
今時、絶滅したはずのスタイルだった。

装飾を一切排除した、光沢のある白いワンピース。
そして、脚をこれでもかと長く見せる、90年代全盛期そのままの超ハイレグ。

素材メーカー「京洛マテリアルズ」のブースだ。
胸元には、令和のデザイントレンドを嘲笑うかのような、妙にフォントの太い赤と黒のロゴが印刷されている。
他社が「アニメの戦闘服」なら、彼女たちのそれは「生身の肉体の誇示」。
一瞬で、富士のパドックがバブル期の鈴鹿に先祖返りしたかのような錯覚に陥る。

だが、俺の隣で巨大な白レンズを構えた新参っぽい若いカメコが、ファインダーを覗いたまま「えっ……!?」と小さく息を呑んだ。

3人並んだレースクイーンの、中央に立つ女。
彼女には、両腕がなかった。

若いカメコが動揺したように、隣のベテランにひそひそ声で話しかける。

「あの、真ん中の子、腕が……」

すかさず、ベテランがシャッターを切りながら、事も無げに応じた。
「ああ、お前今年からか? 京洛ってほら、筋電義手のパーツとかパッドのシェアが世界一だかでさ、本物の義手ユーザーのRQを出してるんだよ」
「えっ、じゃあ障害者雇用のアピールとかですか?」
「さあ、そうかもね」

その会話を聞いて、俺の胸のすくような納得感が広がった。
そう、これだ。これこそがカメコたちの間で「年に一度の伝統芸」と称される、京洛マテリアルズの真骨頂だった。

「あの……腕、どうかしたんですか」

プレハブの控室で、他チームのへそ出しコスチュームを着た若いレースクイーンが、恐る恐る、だけど好奇心を隠しきれない目で渚を見てきた。

「あ、これは生まれつきで。京洛って義手の筋電パッドのメーカーなので、実際の義手ユーザーもRQに入れたいって思ったらしくて。普段はアパレルのフリーで試着モデルやってるんですけど」

渚は慣れた調子で微笑みながら返した。
この説明をするのは、RQを始めてからもう何回目か分からない。自分の中でも完全にテンプレと化していた。

「でもそれがよりによって京洛でしょ。カメコ、外ですっごいことになってたじゃない」

缶コーヒーを片手に持ったベテランの先輩RQが、椅子の背もたれに腕を回しながらニヤニヤと会話に混ざってくる。

「そうですね……。他のみなさんはすごくスタイリッシュなのに、なんでうちだけあんなコスチュームなのか、自分でもよく分からないですけど」

渚がちょっと困ったように、胸元の太いロゴを見つめながら言うと、先輩RQは「やっぱりね」と深く頷いた。

「聞いた話だと、京洛って素材メーカーで男ばかりだから、社風も昭和のまんまで有名なんだよ。都市対抗野球のチアガールも、割と最近までガチのレオタードだった所だったはず。今じゃさすがにフェミニストとか、色んな所から文句言われてやめたみたいだけどね」
「あ、それなら私も、鈴鹿で出た時にフェミニスト系の記者さんに色々聞かれました。そういう衣装を着せられて、男性の視線に晒されるのは性的搾取ではないか、みたいな」(本編284
「それで、渚ちゃんはなんて答えたの?」
「『まあ、こっちはちゃんとギャラ出るなら全然いいんですけど』って言っときました。お仕事ですし」

渚が事も無げに言うと、先輩RQたちは一瞬呆気に取られたあと、爆笑した。

「最高! いいよね、そんな無欲で。っていうか、京洛のRQってオーディションの倍率もエグいし、枠も少なくてなかなかなれないんだよ? ギャラが良いからって、サラッと言えちゃうのが強いわ」

「そうなんですか? だったら、」

渚は悪戯っぽい笑みを浮かべ、その先輩RQの細い腕を見つめた。

「どうですか? 先輩も両腕ともチョン切ってみませんか。今の義手ってすごく発達してますし、アパレルのトルソーの仕事とかもめちゃくちゃいけますよ」

「いや、さすがにそれはいい……」

全力の笑顔でとんでもない提案をしてきたペーペーの渚に、百戦錬磨の先輩RQも、引きつった笑いを浮かべて首を振るしかなかった。

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