【小説・ヴィーナス症候群】[716]サンダル日焼け止め藤棚
サンダルの底が、床の白いタイルに小さく鳴った。
ガーリーブランド・Riaでは、他のアパレル各社同様、生まれつき両腕のないヴィーナス児が「トルソーさん」として服作りの現場に立つことが当たり前になっている。
家久綾音が卒業したあと、その位置に入ったのが岩手から出てきた躑躅森風花だった。
黒いチューブトップとスパッツ、そしてサンダルだけの身体に、まだ形になる前のトワルがふわりと掛けられる。
パタンナーの史恵が、無駄のない手つきでピンを打っていく。
「どう?東京は」
「東京はもう藤棚にフジが咲いてる!と思ってびっくりしました。あと日差しが強いですね。日焼け止め買おうと思うくらい」
「最近はね、地球温暖化かどうか分かんないけど、もう熱帯みたいなもんよ」

肩口に触れる布を少し引き、史恵はピンを一本追加する。
風花は足元を見て、小さく体重をずらした。サンダルの感触がやけに軽い。
「前のトルソーの綾音さんって、東京出身なんですよね」
「そうね。世田谷」
「私みたいな田舎者には、絶対出せない可愛さがありますよね」
史恵は一瞬だけ手を止めて、ふっと笑った。
「ああ、あの子は別格。だって――」
少しだけ声を落とす。
「ここだけの話だよ」
「え、何ですか?」
「小さい頃からね、可愛い可愛いって言われて育ってきたらしくてさ。自分を可愛いと思わない人は異常だって、本気で思ってたみたいなの」
風花は目を丸くする。
「それでね、自分のこと可愛いって言わなかったおじさんを、警察に通報したんだって」(第361話)
「え?え……?」
「そしたらそのおじさん、大阪で凶悪事件起こしてた指名手配犯だったらしいのよ。そんな理由で通報するなんて、刑事さんも腰抜かしてたって」
しん、とアトリエに静けさが戻る。
ピンがもう一本、正確な位置に刺さる。
風花は少しだけ外の光を見た。
藤棚の紫が、都会の空に浮かんでいる気がした。
「東京って……化け物ばっかりですね……」
「違うわよ」
史恵はあっさりと言った。
「たまに本物が紛れてるだけ」
そう言いながら、トワルの裾を整える手は、最後まで迷いがなかった。
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