ダダダダダ

 そこに在るのは、黒く濡れた丸い塊だった。
 ざくざくと夜の砂浜を突き進む。
 そこに在るのは、濡れた毛と肉の塊だった。
「ねぇ、いのちはどこにいくのかな?」レイは塊の傍らに座り込んだ。
 そこに在るのは、ガスで膨らんだかつて獣だった今はただの腐敗しつつある物体。
 どこだろ、と言ってイチは足元の砂を掬い、拳にした手からサラサラとこぼした。
「溺死ってすごく苦しい、一番苦しい死に方だって言うけど」「誰が確かめたの?」「さぁ。死んだらわかんないのにね」「苦しくない死ってあるのかな」「天寿を全うすると苦しくないとか」「安楽死って、本当に安楽なのかな」
 イチは立ち上がり手の砂を払うと、持ってきた花火を袋から取り出した。
 ライターで直に火をつけようとするけども、ゆるやかな海風が火をさらっていく。
 レイは風の通り道に立ち花火の防風林になった。
 火のついた花火がパチパチとうなり夜の浜辺を灯す。獣だった物の側に置き、レイは手を合わせた。
 イチは、残りの花火にも次々と火をつけて振り回した。一瞬強く火を放ち消えていく。それはいのちの灯と変わらないようにも思えた。
 レイも花火を持ち、そして優雅に踊った。死の香りがまとわりつき、火花が夜を照らし、煙が揺蕩い、輪郭が消え夜の風に混じる。その姿はどこか淫靡でもあった。死と性はどこか似ている。
 狂ったように性を貪ることでどこかが麻痺して、どこかが死んだようになる。性はいのちを呼び、死をも呼ぶ。
 レイは天を見上げた。花火を空に放ち、手を合わせたその姿はなにかに祈るようにも見えた。
 キュウが死んじゃった。
 そう言ったレイの声は震えていた。涙は見せなかった。抜け殻のように覇気がなく、目は虚ろで、微かに震えていた。
 遠く離れたところに住んでいたキュウと初めて会うはずの日にかかってきた電話はキュウの死を告げた。レイと葬儀に行った。初めて訪れたその土地は乾いていて、空気はどこかよそよそしかった。
 お通夜が終わるとキュウの父親が寄ってきた。初めてだけれども、わかったのだろう。「顔を見てやってください。あいつはあなたに会うのをすごく楽しみにしていました」
 電子でのやりとりで仲良くなったレイとキュウ。そしてそこに加わったイチ。微妙な三角関係が崩れて、これは何角形なんだろうと靄がかかったようにわからなくなった。
 キュウのいのちはどこにいったのだろう。
 キュウは会う日の前の日に川遊びに行き、高台から飛び込み、そのまま川に沈み、溺れた。
 箱に納まったキュウ。電子のやりとりだけで顔を見るのは初めてで、溺死した顔はパンパンに膨らむと聞いていたが少しおさまっていて、修復された顔はきれいで、そっと笑いかけてきた。
 レイは手を伸ばした、それは空に止まり力なく握られた。なにかを掴むように。なにかを掴めなかったように。
 日常のかたわらではネットの海に多くの死が流れてくる。爆弾が落とされ、大地は焼かれ、鉛を撃ち込まれ、首を斬られ、夥しい血が流れ、声にならない叫びが満ち、糞尿を垂れ流した檻に閉じ込められる。花火は爆弾となり人を焼く業火となる。地獄で罪人は焼かれるともいう。でも現実には生あたたかい罪なきいのちを、幼く弱いいのちを焼く。子どもは虚ろな目でレンズを覗いていた。深淵が覗き込んでくるようだった。ヒトは愚かだ。いつも殺し合う。勝手に死ぬのに。そんなことしなくても勝手に死ぬのに。キュウは勝手に死んだ。約束の日の前の日に。キュウの死も大海に流され、日常に溶けていく。
 饐えた匂いがした。意識は目の前の黒い塊に戻された。苦しんだのだろうか。勝手に死んだのかこの塊も。願わくば勝手に死んでいてほしかった。
 息がうまくできない。おぼれている、と思った。ヒトは絶えずおぼれている。
 欲におぼれて、正義におぼれて、自我におぼれて、信仰におぼれて、空気に雰囲気におぼれて、愛におぼれて、人におぼれている。
 キュウの死を受け入れたくなくて。苦しくて苦しくておぼれている。
「死に方に優劣なんてない、はずなのに。でもヒトのエゴで爆弾で銃弾で焼かれ撃ち抜かれるのは、親が子に子が親に手をかけるのは、地獄の業火に焼かれるよりも寒々しく、溺れるよりも苦しい。ヒトは愚かだ」「ヒトって主語でかっ」「それいまゆう? めんど」「うんめんど」「主語でかいこと言ってもいいじゃん」「だね」「自分も所属してんだし、勝手に代表してやる」「おー」「ヒトは滑稽だ」「ヒトはろくでもない」「鈍く汚れた鉛よりも美しくあたたかい言葉をたくさん撃ちたいよ」「ダダダダダダダダダダ」「業火に包まれるより、ハグされたい」「ギュッときつくやさしく」レイとイチは祈った。
 レイはイチの手に触れた。思わず触れたことにレイははっとして、顔をゆがめ、一筋の涙が流れた。そして静かに息を吐いた。
「いのちってどこにいくんだろ」
「どこだろ。でも今は、いまだけは確かに、ここに在るよ」
 イチはレイの手を握り、レイは強く握り返した。

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