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Vol.8 「遺伝だから仕方ない」でも「家族にいないから大丈夫」でもない。


健診の結果説明をしていると、よく耳にする言葉があります。「うちは家族に糖尿病がいないから大丈夫です」「がんの家族はいないから大丈夫」。

この「遺伝」という言葉への誤解が、予防医療の現場に根深く存在します。

まず整理しておきたいのですが、「遺伝病(遺伝性疾患)」と「遺伝的リスク(遺伝的素因)」はまったく別の概念です。ハンチントン病・フェニルケトン尿症などの遺伝病は、特定の遺伝子変異が直接病気を引き起こします。比較的稀な病気が多く、多くの皆さんにとっては直接関係のないことが多いです。一方、糖尿病・高血圧・脂質異常症・多くのがんは多因子疾患であり、数百〜数千の遺伝子の微細な差異と生活習慣・環境が複雑に絡み合って発症します。

後者は、遺伝病ではないですが、その疾患へのなりやすさという素因は遺伝的に(すべてではなくある程度)規定されます。重要なのは、遺伝的素因は「家族歴」とイコールではない、という点です。

とてもとても(×10回くらい書きたいくらいです)残念なことに、このことを医師であっても理解していない場合がとても多いです。

多因子疾患の遺伝的リスクは、特定の遺伝子の有無ではなく、数百の遺伝子バリアントのパターンの組み合わせで決まります。両親・祖父母が全員健康でも、あなたにリスクの組み合わせが備わっている可能性は十分あります。逆に、家族に糖尿病の人が多くても、あなた自身は比較的低リスクである可能性もある。遺伝的素因は、家族歴を見ても(参考にはなりますが)正確にはわかりません。

では、自分のリスクを知る方法はあるのか。現在、「ポリジェニックリスクスコア(PRS)」という、数百〜数千の遺伝子バリアントを積み上げてリスクを数値化する技術があります。研究レベルでは標準的な手法で、商業ベースのゲノム検査サービスでも部分的に提供されています。ただし、日本の一般的な健診や医療機関でルーチンに使われているかというと、現時点ではまだそうではありません。個人的には、これは遠くない未来に多くの健診機関で皆さんが一般的に検査をすることになるだろうと予想しています。

そして、もう一つ正直に伝えなければならないことがあります。生活習慣が完璧でも、遺伝的素因が強ければ病気を発症することはあります。

Khera et al.(NEJM 2016)のデータでも、健康的な生活習慣はリスクを大きく下げますが、ゼロにはなりません。遺伝的高リスクの人が理想的な生活習慣を実践しても、遺伝的に低リスク+不健康な人と同程度のリスクにしかならない、というのが残酷ですが現実のデータです。

強調しておきたいのですが、これは「頑張っても意味がない」という話ではありません。自分の遺伝的リスクを把握した上で、それでも生活習慣で変えられる部分に全力で集中する——それが本当の意味での予防医学の姿勢です。

「遺伝のせいで防げない」でも「うちは家族がいないから関係ない」でもなく、自分のリスクと正面から向き合い、変えられることに集中する。矢印を常に自分に向けることが、予防医学の出発点です。

出典:
Khera AV, et al. N Engl J Med. 2016;375(24):2349-2358.
Lichtenstein P, et al. N Engl J Med. 2000;343(2):78-85.
Fuchsberger C, et al. Nature. 2016;536(7614):41-47.

*noteの記事の内容は筆者の個人としての見解です。筆者所属の医療機関の見解とは一切関係ありません。内容の正確性には細心の注意を払っておりますが、万が一不適切な内容がございましたらご指摘いただけましたら幸いです。

#予防医学の基礎 #遺伝 #生活習慣病 #リスク管理 #ポリジェニックリスク

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