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「乗り越えた話」を書けなかった理由


このnoteを書き始めたとき、
「何を書きたいんだろう」と何度も考えた。

いじめのこととか、
うつのこととか、
子育てのこととか。

書こうと思えば、いくらでも“題材”はあるのに、
いざ言葉にしようとすると、手が止まる。

たぶん、どこかで
「ちゃんとした形にしなきゃいけない」って思っていた。

読んだ人が納得できるように、とか。
意味のある話にしなきゃ、とか。
最後はきちんと前向きに終わらせたほうがいい、とか。

そうやって考えれば考えるほど、
うまく書けなくなっていった。


世の中にある“体験談”って、
多くが「乗り越えた話」になっている気がする。

あのときは辛かったけど、
こういうふうに考えられるようになって、
今はこうやって前を向いています、っていう流れ。

それはそれで、救われる人もいるし、
私もそういう話に助けられたことはある。

でも、自分が書こうとすると、
どうしても違和感が残る。

まだそこに、いないから。


今も普通にしんどい日があるし、
同じところで引っかかることもあるし、
「あれ、結局何も変わってないかも」って思う瞬間もある。

少し楽になった部分は、たしかにある。
でも、それと同じくらい、
まだ揺れている部分も残っている。

むしろ、そっちのほうが日常に近い。


それなのに、
“乗り越えた形”にしてしまうと、
どこかで自分を置いていく感じがした。

うまくまとめられた文章ほど、
今の自分から少し離れていく。

ちゃんとしているぶん、
本当の自分とはズレていく。

それが、どうしても苦しかった。


だから、このnoteでは、
「まだ揺れている話」を書いていこうと思った。

途中のままの感覚とか、
整理できていない気持ちとか、
うまく言葉にできない違和感とか。

きれいにまとめないで、
結論を急がないで、
そのとき感じているものを、そのまま置いていく。

読んだ人にとって、
わかりやすい答えにはならないかもしれない。

でも、
「こうすればいい」って言われるより、
ただ同じように揺れている誰かの存在を感じるほうが、
少しだけ呼吸がしやすくなることもある気がしている。


実際、自分がしんどかったとき、
救われたのはそういう言葉だった。

ちゃんと立ち直った人の話よりも、
「今もまだうまくいってない」っていう声のほうが、
変に構えずに読めた。

その人の弱さというより、
“今も続いている感じ”に触れたとき、
「ああ、終わってなくてもいいのかもしれない」って思えた。


このnoteも、たぶんずっと途中のままになる。

急に何かを悟ることもないし、
劇的に変わることも、あまり想像できない。

でも、それでもいいのかもしれない。

生活は続いていくし、
揺れながらでも、日々は進んでいくから。


きれいに終わっていないことを、
そのまま書いていく。

この場所は、たぶんそういう使い方のほうが、
今の自分には合っている気がしている。


ちゃんと終わっていないままで、
それでも言葉にしていくことを、続けてみようと思う。

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