伸びる人はなぜ「めんどくさい一手間」をやるのか。noteとXで差がつくシンプルな理由
ふと気づいたことがあります。
「ああ、伸びている人って、やっぱり“めんどくさいこと”をちゃんとやっているんだなあ」と。
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好きな物書きさんがいるのですが、その方はXでもnoteでも安定して人気があります。一方で、Xではよく見かけて「この人すごいな」と思っていたのに、noteを見てみると「あれ、思ったより数字が伸びていないな」と感じる方もいました。
その違いは何だろうと、ぼんやり眺めながら考えていたんです。
すると、あるシンプルな差に気づきました。
それが、「記事の見出し画像」です。
人気のある方は、見出し画像の中にちゃんと“文字”が入っているんですね。それもただの飾りではなく、「誰に向けた記事なのか」や「この記事を読むと何がわかるのか」が、ひと目で伝わるようになっている。
いわば、画像を見ただけで結論の輪郭がつかめるような設計です。
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これって、やろうと思えば誰でもできることかもしれません。でも実際にやるとなると、ちょっと手間がかかる。
文章を書いたあとに、さらに画像を用意して、そこに伝わる言葉を載せて……という工程は、正直めんどうです。
noteというサービスは、書き手にとってとてもやさしい場所です。シンプルで、気持ちよく書けて、そのまま投稿できる。
その「書きやすさ」は、続ける上ではとてもありがたいものです。
でも、それはあくまで書き手側のメリットなんですよね。
読み手にとってはどうかというと、やっぱり「わかりやすい」が一番うれしい。パッと見て、自分に関係があるかどうか判断できる方が、親切です。
つまり、その“もう一手間”をかけるかどうか。
そして、そもそもその一手間を「読み手のためにやろう」と思えるかどうか。
その小さな差が、じわじわと結果の違いになっていくのかもしれません。
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……と、ここまで考えて、ふと我に返りました。
そういえば自分も、昔は見出し画像に文字を入れていたな、と。
でも、やっぱりめんどくさくて、いつの間にかやめてしまっていた。
この文章は、言ってしまえばただの反省です。
でも同時に、ちょっとおもしろい気づきでもあるんですよね。
「伸びるための特別な才能」みたいなものではなくて、案外こういう地味なところに差があるのかもしれない、という。
だからといって、無理に全部やろうとしなくてもいいと思っています。
ただ、「あ、これやったらちょっと親切かもな」と思ったときに、気が向いたらやってみる。そのくらいの軽さで十分なのかもしれません。
めんどくさいことの中に、やさしさが隠れている。
そんなふうに思えると、その一手間も少しだけ軽やかに感じられる気がします。
さて、次のわたしはどうするでしょうね。
気が向いたら、またこっそりやっているかもしれません。
鹿児島より愛をこめて
まき子
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