画面のないFitbitを、たぶん私はつけ続ける
Fitbit Airには画面がない。
それは少し不便そうだ。
でもたぶん、私はこれをつけ続ける気がしている。
Fitbitがけっこう気に入っている。
もう長いこと、Chargeシリーズを身につけている。最初はそこまで強い理由があったわけではない。健康のために、なんとなく歩数や睡眠が見られたらいいな、くらいの気持ちだった。
でも、気づいたら生活の中にかなり自然に入り込んでいた。
時計ほど主張しない。スマホほど気を散らさない。だけど、ちゃんと自分の身体の記録を残してくれる。
Fitbitは、自分にとってそういう存在になっている。
1万歩に届くと、少しうれしい
趣味で散歩をする。
目的地を決めずに歩くこともあるし、気分転換のために遠回りすることもある。歩いている間に考えごとがまとまることもあれば、逆に何も考えなくてよくなることもある。
そういう散歩の途中で、歩数が1万歩に届くと、少しうれしい。
大げさな達成ではない。誰かに褒められるわけでもない。仕事の成果でも、人生を変える習慣でもない。
ただ、今日もけっこう歩いたな、と思える。
この「少しうれしい」が、意外と大事なのだと思う。
健康管理というと、体重を落とすとか、運動習慣をつけるとか、どこか義務の匂いがする。もちろんそれも大切だけど、自分にとってFitbitのよさは、もっと小さいところにある。
数字があることで、日常の中のささやかな動きが、ちゃんと形になる。
Charge 6には満足している
今はCharge 6を使っている。
正直、とても満足している。サイズ感もちょうどいいし、画面で歩数や時間を確認できるのも便利だ。スマートウォッチほど大きくなく、でも必要な情報は見られる。
このバランスが好きだった。
だから、Google Fitbit Airの情報を見たとき、まず思ったのは「いいな」と「でも少し不便そうだな」の両方だった。
Fitbit Airは、Googleのトラッカーの中でも小さく軽いモデルとして発表されている。画面はなく、記録したデータはGoogle Healthアプリで確認する設計らしい。
つまり、手首で歩数を見ることはできない。
これは、やっぱり少し残念だ。
散歩中に「今どれくらい歩いたかな」と見る。仕事の合間に「今日は全然動いてないな」と気づく。そういう小さな確認が、Chargeシリーズでは自然にできていた。
Fitbit Airでは、それをスマホで見ることになる。
たいした差ではないのかもしれない。でも、日常で何度も使うものにとって、この小さな差はけっこう大きい。
画面がないことは、不便であり、少し静かでもある
ただ、画面がないことには別の意味もある気がしている。
スマートウォッチやトラッカーは便利だけど、情報が増えるほど、こちらの意識も持っていかれる。通知、時間、数字、達成状況。見られることは便利だけど、見えてしまうことが疲れるときもある。
その点、Fitbit Airはかなり割り切っている。
身につける。記録する。あとで見る。
それだけに近い。
これは不便でもあるけれど、少し静かでもある。
健康データを常に意識するのではなく、生活の裏側で淡々と残しておく。歩数も、睡眠も、心拍も、気づいたときにアプリで見る。
そう考えると、画面がないFitbitにも少し惹かれる。
健康管理を「がんばるもの」から、「あとで振り返るもの」に変えてくれる感じがある。
Pixel Watchと付け替える未来は、あまり見えない
公式情報では、Fitbit AirとPixel Watchを一緒に使うことも想定されているようだ。
日中はPixel Watch、睡眠時や軽く過ごす時間はFitbit Air。たしかに理屈としてはわかる。
Pixel Watchは画面があって、通知も見られて、時計としても使える。Fitbit Airは軽くて、睡眠時にもつけやすそうだ。役割分担としてはきれいだと思う。
でも、自分がそれを毎日やるかというと、正直あまり想像できない。
たぶん、付け替えるのがめんどくさい。
充電する。外す。つける。寝る前に替える。朝また替える。
ひとつひとつは小さな手間だけど、毎日のことになると続かない気がする。
自分はたぶん、Fitbit Airをつけるなら、ずっとFitbit Airをつけ続けると思う。
時間の確認はスマホでする。歩数もスマホで見る。少し不便だなと思いながら、それでも外さずにいる。
なんとなく、そういう使い方になりそうだ。
Fitbitは、身体のログというより生活のログに近い
Fitbitを使い続けていて思うのは、これは身体の記録であると同時に、生活の記録でもあるということだ。
よく歩いた日は、何か用事があった日かもしれない。
睡眠が短い日は、考えごとをしていた日かもしれない。
心拍が少し高い日は、緊張する予定があった日かもしれない。
数字だけを見ると、ただの健康データだ。
でも、自分の記憶と重ねると、そこにはその日の輪郭が残っている。
あの日はよく歩いた。
あの週は疲れていた。
最近は少し眠れている。
そういえば、散歩が増えている。
そういうことを、Fitbitは静かに教えてくれる。
たぶん私は、画面のないFitbitに慣れていく
もちろん、Fitbit Airに画面がないことにはまだ引っかかっている。
歩数をすぐ見られないのは不便だし、時間も確認できない。Charge 6に満足している今、わざわざ乗り換える理由がどれくらいあるのかは、正直まだわからない。
でも、Fitbit Airの方向性には少し納得している。
腕に小さな画面を増やすのではなく、身体の近くに小さなセンサーを置く。情報を見る時間は減らして、記録される時間を増やす。
それは、Fitbitらしい進化なのかもしれない。
自分はたぶん、最初は不便だと思う。
散歩中に手首を見て、あ、画面ないんだった、と思う。時間を確認しようとして、スマホを取り出す。1万歩に届いたかどうかも、その場ではわからないかもしれない。
でもそのうち、慣れる気もしている。
歩いている最中に数字を見なくても、家に帰ってから「今日は1万歩いってたんだ」とわかる。それはそれで、少しうれしい。
達成感は、リアルタイムで通知されなくても消えない。
むしろあとから静かに届くほうが、自分には合っているのかもしれない。
Fitbit Airは、画面をなくしたFitbitというより、生活の裏側で、自分の毎日を静かに覚えていてくれるFitbitなのかもしれない。
