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一度、逃げてしまったけど、やっぱり何とかしたい


前書き

私は英語の専門学校を修了した後、大学編入制度を利用して、地域経済学を専攻しました。

『過疎化』『地方創生』『地域活性化』『少子化』『高齢化』『東京一極集中』など、様々な勉強を重ねてきました。

”ガイアの夜明け”というドキュメンタリー番組では、そういった社会問題が取り上げられて、非常に観やすくて、毎週とても楽しみにしています✨

なぜ私がその分野に関心があるのかというと、
理由は、祖母が暮らす”河津町”を含めた、国内各地の田舎や地方を活気づけて、かつての街の明るさを取り戻してほしいと、切に願うからです。

桜が咲き誇り、思い出もまた色映える町 河津町🌸

河津町とは、静岡県の伊豆半島の南東部に位置する小さな町で、海と山の両方の大自然の恩恵に預かり、『伊豆の踊り子』の舞台にもなった町です。

何より、一番の見どころは、春の『河津桜まつり』です🌸


先週が一番の見頃でした!花見好きな方は、ぜひ来年に!

私にとって河津町とは、いわば自分のルーツでもあります。

私は隣町の下田市の臼井医院という小さな診療所で生まれ、母の里帰り出産を兼ねて、物心着く前から、河津の大自然と町の空気に触れておりました。

それから東京の住まいにいながらも、夏休みと冬休みの度に、遊びに行っていました。

母と幼かった兄と私の3人で、特急電車のスーパービュー踊り子号に乗って、車内販売されていたアイスをよく買ってもらいました。

冷凍庫から出したばかりで、まだカチカチに冷えていたのを、頑張ってスプーンで突いて溶かしながら食べたのは、良い思い出でした。

駅に着いて改札を出た途端、今は亡き祖父が、車でよく迎えに来てくれました。

「じいじ〜」と真っ先に胸に飛びついて、母の実家である民宿に着いた途端、畳の上をはしゃぎ回るようにして走りました。

そして、一緒に夜ご飯を食べる時も、祖父の膝の上に乗ったままでした。

「じいじがご飯食べづらいから降りなさい」

祖父にべったりな私に母は注意しました、おじいちゃんっ子だった私は、頑なに離れませんでした。

「いいよ。まこちゃんはここがいいんだよね」

そうやってじいじは、私のわがままを何でも聞いてくれて、今思い返せば、本当に良い思い出を残してくれた優しい祖父でした。

だからこそ、小学5年生に上がった頃、癌で亡くなってしまった時は、本当に悲しかったです。

成人式の振袖はおろか、せめて中学校の制服姿を見せたかったですが、今ではもう叶わない夢になってしまいました。

まだ幼かった私は、貰ってばかりで、何もお返しができませんでした。

せめて私がもう少し大人になるまで、生きていてくれたら、私も祖父の話を聞いてあげることができたかもしれない。

いつまでも祖父に甘えてばかりの子供でいるのではなく、大人らしくなれていたら、また違う思い出も作れていたかもしれない。

そんな心残りもあるため、だからせめて、祖母には祖父の分までこれからも元気に過ごして欲しい。

祖母のために、また祖母が暮らす河津町のために、私に何かできることがあればやってみたい。

私が幼い頃から見てきた春の桜まつりや夏の海水浴シーズンの活気が、再び町に戻ってきて欲しい。

祖父が残してくれた河津町での思い出や町のあたたかさが、時代の流れで損なわれていくのは嫌だ。

以前のような町本来の明るさを取り戻し、老若男女色んな人が笑顔で毎日を暮らせる居場所を再生したい。

そんな願いが切にあったため、人生初の就職も、東京ではなく、静岡に決めたのです。

人生1度きりなら、祖母と暮らす機会は滅多にないだろうから、ばあばが元気な内に、何か思い出を作っておきたい。

田舎で暮らしながら働いてみると、どんな生活になるのかな。
自然もあって空気も美味しいし温泉もある中で、きっと楽しいことだってあるよね。

そんな動機で、祖母と2年半住んでみました。

確かに、色んな美味しい祖母の手料理も堪能できたし、職場の同僚もいい人達がたくさんいて、同期も面白い人達だった。

でも、将来性を考えて暮らし留まるには、やはり厳しい現実があったんです……


新卒からの田舎暮らし。2年半頑張ったけど、結局……

最初の1年間は、確かに楽しかったです。

初めての仕事。バタバタした夏休みと年末年始。仕事終わりの旅館の大浴場にサウナの恩恵に預かるひと時。

そして何より、共に接客に携わる仲間達。

正社員と派遣社員関係なく、1年目の時は、分け隔てなく色んな人と交流できたので、楽しかったです。

人が喜びを感じる時というのは、自分が誰かの役に立っている実感を噛み締めている時と、気の合う誰かと話している時ですからね。

しかし、2年目に突入すると、状況が変わりました。

仕事内容が、接客から予約事務に変わったのです。

それまでお客様と和気藹々と話すことが好きだった私にとって、思いもよらない転機になってしまいました。

元々私は、事務のように、ずっと椅子に座ってPCで目を酷使するようなデスクワークが苦手で、だから旅館の接客の仕事を選んだのですが。

運動は得意ではないけど、体を動かすのは好きで、人と話すのはもっと好き。

そんな私が、周りには上司や役員だけが座っている中、極度に気を遣いながら、私語を慎み、気軽に話すことができない環境に置かれ、
自分もPC機械と化すような全く動けない仕事をしたのは、とても辛かったです。

仕事が終わっても、そんな悩みを気軽に話せる身近な友人はいませんでした。
田舎が故、同世代の若い人が全くいなく、祖母は昭和の人なので、話すこともできない。

「お世話になっているなら、我慢しなきゃね」

そうやって私の悩みを一蹴するのは目に見えていました。実際何度も言われたこともあります。

地元の東京に行けるのは、2ヶ月に1回くらいで、そこで友達に話せても、次に会えるのは、良くてまた2ヶ月後。

田舎というのは、旅行先として素晴らしい自然を目にでき、その中で美味しい食事ができ、日常から離れた開放的かつ幻想的な一時を送ることができます。
私はそんな伊豆の魅力を多くの人に知ってもらうために、街の観光を担う一人として、自分なりに従事してきました。

私が幼い頃から、夏休みや冬休みで訪れては、祖母と亡き祖父が温かく出迎えてくれた大好きな町を、大人になってから恩返ししていきたいと考えておりました。

河津町に住みながら、得られた学びも確かにありました。

年々、出生数や移住者数以上に、亡くなる方が増えていること。
それに伴い、空き家も増加傾向にあること。
春限定の桜まつりが、街の活気を担う最大の観光資源であり、逆に言えば、それ以外のシーズンでのアプローチ要素が弱いこと。
若い人が少ないため、祭りの運営においても、地元の人より外部か出張で来る業者が年々、増えていること。
このように祭りをうまく回そうとしても、人手やコストの問題で、町にうまく循環でききれず、様々な改善点があること。

私はそんな問題を身近で感じながら、何とかできないものかと考えていたのですが、
ある時期から、できなくなってしまったのです。


本職の慣れない仕事をやり続けた故に、『適応障害』を患ってしまいました。


若い人が全くいない土地で、仕事の辛さをうまく発散する方法が見つからなかった故の結果でした。

世の中、ネットを使えば何でもできて、色んな人と知り合えて便利ですが、
私は、人とは直接顔を合わせる方が好きなので、あまりSNSも使いません。

新聞の投書を趣味にしている時点で、かなりのアナログ人間であります笑

少しでも、身近に価値観を共有できる同世代の友人がいてくれれば、状況は違っていたかもしれない。
仕事以外のコミュニティで、私生活(プライベート)において、充実させられる要素があれば、もっとあの場所で祖母と仲良く暮らせていたかもしれない。

東京ほど栄えていなくても良い。
気軽にショッピング・映画・旅行・友人との会話ができる環境だったら……

そんなないものねだりをしていました。

今は東京の実家に戻ってきて、こうして振り返るようにして書いております。

状況が状況がだけに、自分の身を守るための選択だったとは言え、河津から去ってしまったことに、後ろめたさを感じております。

もし、もっとうまく生きれたら、体を壊さずに、町のためにできることはあったんじゃないか。

そう思いつつも、色んなご縁の中で、色んな自分を見つけていき、いずれかは家庭を持ちたいという夢がある以上、1度は東京へ戻るべきだという思いもありました。


田舎と都会の二極化

田舎には、昔から慣れ親しんで住んできたご年配の方々が多く住んでおります。
そういった方々からしたら、余計なものは必要なく、季節の移ろいを嗜みながら静かに暮らしていくのが理想かもしれません。

一方で、東京出身もしくは東京に住んだことのある若者にとっては、
流行や目新しいものが次々に発信されていく東京や各地方の都心部の方が、住みやすく、友人もできやすいし、まだ先のある将来を見据えながら生きるのに絶好の場です。

新宿や渋谷へ行けば、至る所に広告があり、多種多様なショップ(100均・ユニクロ・スターバックス・美容室など)があり、街中をすぐ歩けば、生活必需品の大抵の物は、すぐに手に入ります。

ですので、地方より都心部の方へ人が集まるのは、必然的に起こる現象なのです。

そんな現象を逆らうように、『地方創生』や『地域活性化』というスローガンを抱えて、地方に人を集めようとしても、
抜本的な解決策を見出せない限り、焼け石に水だと思います。

町を作るのは人であり、町全体を担うその輪の調和がうまく取れて、外部を引き寄せるくらいの魅力や住みやすさを発信することができれば、町は活気立ちます。
人を集めるには、町をより住みやすく、楽しく暮らせる素敵な場所にする必要があり、そのためにもお金や資源が必要になります。

お金・資源・町・人。この4つの要素をうまく活用して、循環型経済を実現できれば、かつての町の明るさが再び灯るはずなのです。

今は今の時代のニーズに合う働き方と柔軟な環境づくりが大事

今は昔とは状況が全く違います。

出生率が”過去最低”と、最近、新聞で報道されたくらい、国内の労働人口はますます減っていく一方です。

さらには、インターネットが普及したことにより、就職口の幅は大きく広がり、
リモート・フリーランス・SNSのインフルエンサーなど、自主的な働き方も多様になってきています。

少ない若者が、多種多様な仕事の中から、自ら選んで自主的に将来の道を歩む時代になってきているため、
浅く広い世界になってきているのだと思います。

そんな中で、労働力を確保するために、賃金や待遇面で他社とうまく差別化して募れるように、切磋琢磨する企業の苦労が伺えます💦
特に中小企業となればなおさらです。

要するに、AI技術やそれに伴う働き方が大きく変わる世の中で、昔からのやり方では通用しなくなってきているので、
今の時代のニーズに合う需要や働き方とは何なのか。
今を生きる若者や職を求める人達にとってのメリットとは何なのか。

そんな相手目線の思考をひと工夫以て、人をうまく集めうまく連携して、将来を生きる人達の為にも、町を作っていかなくてはいけないのです。

ただ、色んなキャリアを積んで、キャリアアップ志向の人が多い世の中で、長く勤めてもらうのは難しいかもしれません。

むしろ、これからはさらに、転職が当たり前になっていくでしょう。

昔では当たり前だった終身雇用制度は、今では機能していなく、長く働いたとしても、同じ環境で同じ人達と同じ仕事をするだけでは、自分の今後の成長につながらない。

あらゆる環境で色んな人に出会うことで、自分でも知らなかった自身の内にある能力に気づいて、色んな道を可視化できるようになり、自らの足で進めるようになる。

1日の約1/3を労働に費やしているならなおさらです。

仕事が充実すれば、1日もしくは1年を通じて充実したと実感が持てるようになる。

「この1年に一片の悔いなし!」と、除夜の鐘の音をバックに、大晦日に拳を上げて言い締められるくらい、自分の人生を満足なものにしていきたい。
※あくまで個人的な気持ちです。

そんな理想的な時間の過ごし方を目指す人が、若者のみならずセカンドキャリアを視野に入れている人の中に多くいると思います。

そんな理想を阻むのではなく、後押しすることはできなくても、あたたかく見守ってあげられる企業とその環境。

それこそが今求められる現代のニーズに合った環境づくりではないでしょうか。

自主的に物事を考えて、自分のキャリアのために一生懸命になれる人に、「ずっと我が社にいて欲しい」「辞められちゃ困る」と引き留めるのではなく。

もし転職するとしても、柔軟に引き継ぎができて、気まずくなることはなく快く働き切れる職場体制が理想的だなと思います。

むしろ、人材が変わることで、さまざまな人が入れ替わり立ち替わり入り、色んな人のアイデアや努力を取り入れられる好循環な環境づくりができれば、お互いにとっても理想的になるのではないでしょうか。

もちろん、人手不足の中で、そんなうまく仕事と人を回せられるほど、現実は甘くありません。

限られた人と予算と時間で最大限の利益を消費者の幸福を生み出すには、まだまだ難しい問題があると思います。

私もこうやって理想論ばかり並べて、無知なところも多くあるでしょうから、だからこそ理解しようと、自分にできる努力はしていくつもりです。

己にとって幸せな働き方とは何か。
私の働きで、どんな人を幸せにしていけるのか。

今後の自分のキャリアに、不安以上に期待をしていきたいです。

後書き


町を作るのは人であり、人に町のために働いてもらうには、お金の使い方や働く環境の工夫が、今後ますます必要になっていくでしょう。

今は、インバウンド需要に伴い、各地の観光地では多くの外国人観光客がお金を使ってくれるおかげで、好景気な面もあるのも事実です。

しかし、ご説明したように、世の中は時代に伴いニーズは変わっていくため、一生同じ方法で通用することは決してないため、常に時代の変化に敏感になり、適応する心算が必要となっていきます。

新型コロナウイルスが良い例ですね。
あの災難により、数多くの企業や飲食店が倒産して、今でも生き残ってこられた事業はきっと、そういった先見の明があった人ではないかと思います。

特若い人が少ない地方ですと、人手不足の問題はより顕著で、
多くの飲食店・宿泊施設では、少ない人で回すための努力(ロボットサーバー・食品やサービスの一部を業務委託に)が見えます。

私が勤めていた旅館でも、かつては多くの従業員で、徹底したおもてなしを手掛け、バブル時代のニーズに合った時代背景がございました。

しかし今では、業務の効率化・システム化などを導入し、
なおかつ"円安"による"インバウンド需要"の波に乗ろうと、香港などの海外からの顧客を獲得するために営業に励んでいると聞きました。

そのように、時代は変化していっているため、今後、必要となっていくのは、『適応力』であり、『変わろうとする努力』だと、私は思います。

私の場合、静岡の伊豆の地方で働いてみたら、
就業率の厳しさだけでなく、都心よりも人手不足で低賃金の傾向にある実情を体感しました。

結果的に、東京へ逃げ帰ってしまったことになりましたが、
「今後のことについて、あらゆる知見を得て、英語や通訳案内士の勉強にするにあたって、人脈や勉強の機会がより多い東京の方が専念できる」と判断した上でした。

しかし、決して大好きな第二の故郷を見捨てるわけではありません!

あの2年半で培った経験や祖母との大切な思い出を、決して無駄にはしたくありません。

今は色々と、
取りたい資格(全国通訳案内士・手話通訳士)があったり、
今の仕事を少なくとも1年を通じてやってみたり、
お付き合いしてみたい人との今度会う約束を楽しみにしていたり、
通訳案内士のフィールドワークがてら、東京を拠点に色んな観光地へ赴いてみたりと、

やりたいことが様々にあります!

東京一極集中問題に携わってきたにも関わらず、結局私も、地方から都会に移ったその一人になった始末で、面目がございませんが……

今までと、そしてこれから得られる学びを、決して無駄にはしない。

観光を通じたまちづくりと活性化。

英語や様々なスキルを活かした自分にしかできない仕事に着手する。

自分にしかできないということは、つまり代わりがいないということなので、会社勤めに比べたらワークライフバランスを整えるのは難しいそうですが。
※父が自営業なので、その大変さを幼い頃から見てきました…

ですが、そんな働き方をしてみて、誰かの幸せや町の幸せになれるのであれば、自分にできることは全力でやってみたい。

無理のないように。自分が納得できるまで、とことんやってみる。

そんな気持ちを頭の片隅に置きながら、今日も仕事のために、電車に乗ります。

おばあちゃんの作る民宿の料理は美味しいです😋
特に干物と卵焼き。
卵焼き器は、河童橋で購入した物です。
いつも元気に、自分にも美味しいご飯を作ってね

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