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習慣を変え、体質改善に取り組んだキッカケーー不妊治療5年間の挑戦

子どもがいない女性として生きていくこと


私には子供がいません。

子どもが欲しかったけど、
授かりませんでした。
 
これまで、
子どもがいないことに
引け目のような気持ちを抱いてきました。
 

子どもを産めなかった自分には
価値がないのではないかーー
 
このまま年老いたら
ただの 「社会のお荷物」 になってしまうのではないか。
 

若い頃は
特に子どもが好きではなかったのに、

今は
赤ちゃんや
小さい子供を連れた家族を見かけると
つい目がいってしまう。
 

「可愛いなぁ」 
 

和やかな気持ちになりつつ、

胸のどこかがチリリとするような、
今でも、
そんな気持ちになることがあります。

 

顕微受精2%の壁

 

私は晩婚で、
不妊治療を始めた時は
既に42歳になっていました。
 

夫は私より7歳年上。
夫婦ともに超高齢での挑戦でした。

 
2人でクリニックを始めて訪れたとき
先生が私たちに放った言葉。

 
「顕微授精をしたとしても、確率は2%でしょう。」
 

いきなりハンマーで頭を殴られたような衝撃でした。
 

現代医療はもっと進んでいると楽観していた私は
不妊治療を開始直後に、
いきなり奈落の底へ突き落とされたのです。
 

だけど、これが現実。

時間は止められない。

チャンスは1か月に1度きり、
1年に12回しかないのです。


そして妊娠の確率は
時間にとともに下がる一方なのだからーー
 

何でもする、と決めた日


人工授精の中でも顕微授精は高額で
一般的に1回につき
数十万円の費用が掛かると言われます。
 

現在は少子化対策のため
43歳未満であれば保険が適用されるようですが、

私が不妊治療していた時は適用前だったので
全額自己負担でした。

だけど、
 

「できることは、なんでもしよう」
 

そう決意しました。

 

身体を酷使してきた報い


私は子供の頃から健康で
大きな病気とは無縁でしたが、
 
若い頃は自分の体力を過信して、
不規則で不健康な生活をしていました。
 
お酒が大好きで、
友人と深夜まで飲み歩いては

帰宅して服も着替えずメイクも落とさず
ベッドに倒れ込んでそのまま眠りこむ・・・

なんてことも、
一度や二度ではありませんでした。
 

偏食ではないものの、
「これが好き」 というマイブームがあると
そればかり食べる。
 
スイーツに目がなく
家にも仕事場にも大量のお菓子を常備。
 
夏はビールを大量消費、アイスクリームをドカ食い。
 

いま思い出すと変な汗が出るような
お世辞にも
「健康的」 とは言いがたい生活をしていました。
 
 

未来の自分のために

 
少しでも健康な卵子を育てるためには
自分の身体を変えるしかありません。
 
更年期一歩手前の私にとって

とにかくできることに全部取り組んで、
身体を変える必要がありました。
 
それは、

未来の自分が
「あのとき、もっとできたのでは・・・」
 
と後悔しないためでもありました。

 

デトックス断食


 「子どもを授かるために何でもする!」
 
と決意してから、
インターネットで
妊活関連の情報を片っ端から調べ始めました。
 

まずは、身体に溜まった毒を出すこと

そして、身体に悪いものをできるだけ避けること

に集中しました。
 

友人が教えてくれた
「デトックス断食プログラム」 に2回挑戦。
 

断食中は頭痛など
好転反応が出ましたが、

終わってみると
身体がスッキリ軽くなっている実感がありました。

 

食事の見直しと禁酒


せっかく身体をキレイにしたのだから、

それからは、

調味料をできるだけ天然由来のものに切り替え、

なるべく無農薬・無添加の食材を選び、

外食するときはオーガニック系のお店を選び、

もちろん禁酒もしました。
 

昔からお酒好きの私を知る友人たちは
会食でワインではなくウーロン茶を飲んでいる私を
不思議そうに眺めていました。

 

スイーツの誘惑


唯一、止められなかったのは
「甘いもの」。
 
どうしても欲しくなったときは
”我慢がストレスになる” と考え、

てんさい糖や黒糖を使い、
油など素材にもこだわった
比較的、身体に優しいお菓子を購入したり、

自分で作ったりして
なんとか自分を満足させていました。
 
こんな感じで、顕微授精を続けながら
食事での体質改善とデトックスに取り組んだのです。
 
白湯(さゆ)やお灸を始めたのもこの頃です。

 

「0%じゃない」という可能性にすがる日々


 不妊治療を始めた当初は
「45歳まで」と期限を決めて、
夫にもそう伝えていました。
 
でも、いざ45歳になると、
まだ生理があったため
簡単には諦められません。
 

「可能性が0%じゃない」
 

その事実にすがりました。
 

「あの時もっと出来たのではないか?」 
 
そういう悔いを残したくなかった、
というのも事実です。
 

結果として、47歳まで、
5年間の不妊治療に取り組みましたが
うまくいきませんでした。

 

最後と決めて臨んだ顕微授精


だんだん生理が不規則になり、
経血の量も質も悪くなってきて

自分の身体が更年期に足を踏み入れたことを
自覚せざるを得ない状態になった頃、
 
治療していたクリニックの先生に

「今回を最後にします」

と告げて最後の顕微授精に臨みました。
 

天国から地獄へ


無事に採卵ができ、
顕微授精に進み、
約束した日に結果を電話で問い合わせました。
 
「受精に成功しました」
 
そう言われた時は、

体中の血液が逆流するような、
私の“気”がイッキに外に溢れ出るような
喜びを感じました。
 
そして、神様に祈りました。

「私たちの子どもに会わせてください」 と。
 
でも、胚の分割が途中で止まり、
私のお腹に戻すことができず強制終了。
 
クリニックで最後に先生と面談した日。

涙が止まらなかったあの日のことを
いまでも鮮明に覚えています。

私が本当に手にしたもの


 不妊治療という経験は、
決して簡単なものではありませんでした。
 
結果だけを見れば、
望んでいた未来とは違う形になったのかもしれません。
 

でも、

あの時間があったからこそ、

私は初めて
「自分の身体」と本気で向き合いました。
 
 そして気づいたのです。

 
👉 人は、「変えよう」としても変わらない
👉 でも、「向き合った分だけ変わっていく」

 

食事も、
生活も、
考え方も。
 
 
すべてを少しずつ整えていく中で、
気がついたときには、
自分自身が大きく変わっていました。
 


そして今、
私は思います。
 
 
👉 あの経験は、「失ったもの」ではなく
👉 「これからを生きるために必要だったもの」 だった
 
 

子どもには会えなかったけれど、
 
その代わりに、
 
私は
健康な身体と、

これからの人生を前向きに生きる力を
手にすることができました。
 


 
では、
子どもがいない人生を、
これからどう生きていくのか。
 
かつての私は、
そこにどこか引け目のようなものを感じていました。
 
でも今は、
まったく違う感覚で、
人生を見つめることができています。


次の記事では、
 
👉 「子どもがいない女性の生き方」 について
 
少し踏み込んで書いてみたいと思います。
 
もし興味があれば、こちらも読んでいただけるとうれしいです。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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makomoka(まこもか)|50代・子なし・遠方に暮らす高齢の父あり・予防栄養学アドバイザー よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!

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