「天使」に会った日 —— 困っている人を助けて、一番うれしかったのは私だった
駅ナカでの出来事
週末の夕方、
仕事帰りの人々でごったがえす駅ナカで
買い物を終えて改札へ向かっていたとき、
白い杖を持った30歳くらいの男性が
目に入りました。
盲目の方が持つ白い杖。
それを右手にしっかりと握り、
床を叩いて行き先を探しているようです。
(大丈夫かな…?)
電車が着くたびに人の波が行き交います。
彼もそれが分かっているのでしょう。
慎重に動いていますが、どうも方向が定まらない様子。
(自分が立っている位置が分からないのかもしれない)
人々は白杖の男性にぶつからないよう距離をあけて通り過ぎていきます。
わたしは彼から一番近くにあったお店の方へ移動しました。
人気のスイーツやパンを売るお店の前には数人の列ができていて
彼の存在に気づき視線を向けている若い女性もいます。
(このお店が目的地だと良いのだけれど…)
でも、違ったようです。
白い杖で足元を確認しながら、
周囲の音に耳を澄ませて、
自分がいる位置を特定しようとしているように見えます。
わたしはゆっくりと彼に近づき、
つとめて穏やかに、
そしてゆっくりと、声をかけました。
「あの、どこかお探しですか?」
すると彼はハッとこちらに顔を向けて、
「上の階に行くエスカレーターに乗りたくて…」
と答えました。
「あぁ!それでしたらお連れしますよ。ちょっと腕を持ちますね。」
彼の左腕を軽く持ち、エスカレーターへ誘導しました。
さっきのお店の列に並んでいる若い女性がずっとこちらを見ています。
「目の前にエスカレーターがあります。大丈夫ですか?」
この場所が初めてではない様子の彼は、
白杖でエスカレーターの位置を確認し、
うなずきました。
「では、あとは大丈夫ですか?」
上までついて行くのもどうかと思い、そう言うと
「はい、ありがとうございました。」
と彼は頭を下げました。
「お気をつけて!」
エスカレーターを上がっていく彼の背中に声をかけ、
わたしはその場を立ち去りました。
たったそれだけのこと。
ほんの数分の出来事でした。
「良いこと」をした自分に酔いしれる
わたしは
「困っている人がいたら助けなさい」
と両親からしつけられたし、
学校でもそう教わってきました。
だから、「当然のこと」「当たり前のこと」をしただけ。
誰だって同じタイミングにその場に居合わせれば同じことをするだろう。
なのに、なんでしょう?
この胸の高鳴りは…。
他人の目を意識しつつ、
ちょっと勇気を振り絞って、白杖の男性に声を掛けた。
「困っている人を助けちゃった」
「ちょっと良いことをしちゃった」
自分がすごく誇らしく、フワフワした気持ちなのです。
良い行いをした自分に酔っているみたいで恥ずかしい…。
でも、今夜眠りにつくとき
「今日はひとつ良い行いをした♪」
とホクホクして眠りにつけるなぁ、と考えると、
それがなんともうれしくて心が弾んだのです。
実は、わたしの中で当たり前じゃなかった
よくよく考えてみると、
もしこのようなことが「当たり前」だったのなら
こんなフワフワした気持ちにならないですよね?
駅の改札を通ったときのようにフツーに、
何事もなかったように元の自分に戻ったはず。
そう考えると、私の日常において
家族以外の「困っている人を助ける」というシチュエーションはそんなに多くない。
たまに電車で席をゆずったりするけれど、
自分自身が疲れていたり荷物が重かったりするとゆずれない時もある。
リモートワーク中心になり外出が減って
そういう機会自体が少なくなったし…。
結局わたしにとって、
「困っている人を助ける」ことが
まったく当たり前じゃなかった、
ということに気づいたのです。
良い行いをするチャンスをくれた「天使」
そう考えると、
今回わたしがたまたま出会った「白杖の彼」は、
わたしに ”善行を積むチャンス” を与えるために
目の前に現れた「天使」なのではないか?
そんな風にも思えてきました。
見て見ぬふりをすることもできた。
でも、思い切って声をかけてみた。
実はそうすることで一番うれしかったのは、
白杖の彼ではなく、
「良い行いができる自分」に会えた私自身だったのです。
情けは人の為ならず
世の中に「困っている人」はたくさんいます。
障害をもつ方々だけでなく、
お腹の大きな妊婦さん、
ベビーカーを押す、または小さいお子さんの手を引く親御さんたち。
ケガをして松葉づえで歩く人、車いすの人。
ご高齢の方。
パッと見では分からないけれど、体調不良の人、
来日して道が分からず迷っている旅行者などなど。
そういえば数年前、
なんでもない平坦な道でつまずき、
思いっきりコケてしまったことがあります。
地面に手と膝をつき
四つん這いの状態で、しばし呆然…。
たまにつまずくことはあっても、
転ぶことがあまりに久しぶりで
(しかも地面に両手・両膝をつくほどに!)
一瞬なにが起きたのが理解できなかったのです。
そんなとき、
「だ、大丈夫ですか?」
と、恐る恐る声をかけてくれた女性がいました。
その一言でハッと我に返り、
とたんに恥ずかしさMAX!!
「あ、あ、大丈夫です! ありがとうございます!!」
急いで立ち上がりましたが、
膝の痛みよりも、
多くの人が行き交う路上で思いっきり転んだことが
顔から火が出るくらい恥ずかしかった。
「大丈夫ですか?」と声をかけてもらったことで
どれだけ救われたか…。
それ以来、転んだ人を目にしたら
なるべく「大丈夫ですか?」と声をかけるようにしています。
災難は、いつ、どんなときに、自分に降りかかるか分からないのです。
道でコケるくらいなら笑い話で済みますが、
もしも、大きな事故に遭遇したら?
もしも、天災が起こったら?
きっと「ひとりでは何もできない」と思うのです。
ひとりで乗り切れないような事故や災害に遭遇したときは、「自己責任」なんて言っていられない。
知らない人たちと手を取り合い、助け合わなきゃいけない。
一緒にその場を乗り切らなければならない。
そう考えると、普段から
「小さな思いやり」や「助け合いの精神」をもって行動することが、いつか自分を救うかもしれないと思うのです。
最後に・・・
私が入っている情報発信を学ぶコミュニティがあります。
「善意が報われるような世界にしたい」
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