癇癪を起こす我が子が可愛く思えなくなった私の、癇癪と向き合う5つの視点
第1章:可愛くて仕方がないはずなのに、そう思えない私がいた
3人の育児。
この子たちは、私にとって、かけがえのない存在。
実際、ふとした瞬間に見せる笑顔に、心がふっとほどけることばかりなんです。
でも──
癇癪が始まると、
それまでの景色が一変してしまう。
泣きわめく声。
投げられたおもちゃ。
叩かれる腕。
床に寝そべり、叫びながら泣き続けるわが子。
そんな時、心の中でふとよぎる言葉があります。
「……もう、可愛くなんて思えない」
思ってはいけないとわかっているのに。
そんなふうに感じる自分を、
否定できないことが苦しい。
そのあとにやってくるのは、
「母親失格だ」という罪悪感です。
あの子は何かに苦しんでいたのかもしれない。
そう思っても、
私にはどうしても優しくなれなかった。
泣いているわが子に寄り添えず、
心のどこかで「またか」と思ってしまう自分が、
ただ、ただ怖かった。
第2章:ビクビクしていたのは、私だった
癇癪が始まりそうな空気。
私は、それを日々、
敏感に察知するようになっていました。
・お菓子を買わないと分かった瞬間の不機嫌
・お風呂に入りたくないと言い始めた声のトーン
・おもちゃ売り場から離れようとしたときの足取り
すべてが「危険信号」に見えて、
私はどんどん臆病になっていきました。
“またあの地獄がくるかもしれない”
そう思うと、私はビクビクと顔色を伺い、
心の余裕がどんどん削られていきました。
第3章:「癇癪は“困らせる行動”じゃなかった」──脳の仕組みから見えたもの
育児本を読むうちに、
私はひとつの言葉に出会いました。
「癇癪は“怒っている”のではなく、“困っている”というサイン」
……え?
じゃあ、あんなに泣き叫ぶのは、困ってるだけ?
私を困らせるためじゃなかったの?
調べていくと、
子どもの脳の仕組みにたどり着きました。
子どもの「前頭前野」は未発達で、
感情を論理的に整理してコントロールする機能が
まだうまく働かないそうです。
つまり、癇癪は
“自分では止められない感情”が外にあふれただけ。
私たちが「どうして泣くの?」と思う時、
この子もまた「どうしてこんなに苦しいの?」
と感じているのかもしれません。
それを知ったとき、私は初めて
「あの子は怒っていたんじゃなく、
助けてほしかったんだ」と思えました。
第4章:SNSの情報ばかり見て、目の前のわが子を見ていなかった
正直に言うと、育児のヒントを探すとき、
まずSNSを開いていました。
「癇癪 対処法」「子育て 叱り方」
「子ども 感情コントロール」……
でも、そこに並んでいたのは
“上手なママ”
“怒らない育児”
“自己肯定感を育てる関わり方”
みたいな、“できている誰か”の成功例ばかり。
そして私は、また自分を責めてしまっていました。
けれど今は思うんです。
本当に見るべきだったのは、
目の前にいる我が子の「感情の中身」だったんだ。
SNSにある情報じゃない。
他の誰かがしている育児じゃない。
目の前のこの子が、今、何を感じているか。
「助けて」って、
きっと伝えられなかっただけなんだ。
第5章:癇癪は「親のせい」じゃない。
私が一番救われた言葉があります。
「癇癪は、親のせいじゃない」
この一言で、
どれだけ肩の力が抜けたか分かりません。
でも、同時にこうも思いました。
「でも親だからこそ、できることもある」
どう接するか。
どう見るか。
どう応じるか。
これを知っているだけで、
少しずつ関係が変わっていく気がしたんです。
少し見方を変えるだけで、できることがある。
たとえば
癇癪の前に「疲れてるかも」と気づく。
癇癪の最中に「そうだね、苦しいね」と寄り添ってみる。
癇癪の後に「大丈夫だよ」と受け止める。
第6章:じゃあ、どうしたらいいの?「癇癪と向き合う5つの視点」
この続きを「読んでみたい」と思ってくださった方に向けて、癇癪と向き合うための
【具体的な視点・試せる工夫・私の実践記録】
をまとめています。
無理に取り入れなくて大丈夫。
でももし今、ちょっとだけ「ヒントが欲しい」
と思っているなら。
ぜひ、続きをのぞいてみてください。
視点①:癇癪の“正体”を、脳科学で理解してみる
まず私を救ってくれたのは、
「癇癪=わがまま」ではないという視点でした。
調べていくと、子どもの脳の中では
次のような状態が起きていると知ったのです。
前頭前野(感情のブレーキ役)が未発達
→ 論理では感情を止められない扁桃体(“危険!”を察知する部位)が過剰に反応
→ 「思い通りにいかない」=生命の危機と感じる自律神経が乱れ、身体もパニック状態に
→ 泣き叫ぶことで“内圧”を解放している状態
こうして脳の仕組みを知っただけで、
「この子は“怒っている”のではなく、どうにもならない感情に押し流されているだけなんだ」と思えるようになりました。
視点②:「泣き止ませる」ではなく「感じさせる」
癇癪のたびに「早く泣き止ませないと」
と思っていた私。
でもそれは、
泣く=悪いこととどこかで思っていたからでした。
だけど、あるとき保育士さんが
こんな風に話してくれたのです。
「泣くって、大事な自己表現なんですよ。
感じて、出して、初めて落ち着ける。
だから“止める”より“感じさせてあげる”方が、子どもにとっては安心なんです」
これを聞いてからは、
「早く泣き止ませる」ではなく、
“感じて落ち着く”を一緒に過ごす時間に
変えていきました。
私が黙ってそばにいるだけでも、
そのうち子どもは勝手に、泣き疲れて、
ふぅっと落ち着いていくことが増えたのです。
視点③:怒りそうになったとき、自分にひとつの問いを投げる
私は癇癪に反応して、
すぐ怒ってしまう癖がありました。
そんな自分を変えたいと思って試してみたのが、
この“たった一言の問い”です。
「いま私、何が怖いんだろう?」
この問いを挟むだけで、
すごく冷静になれる瞬間があるんです。
子どもの将来が不安だったのかも
自分が“良い母”じゃない気がして怖かったのかも
周りの人に見られて“ダメな母”“ダメな子”と思われるのが嫌だったのかも
癇癪に反応して怒るのではなく、
その怒りの根っこにある
“自分の不安”を見つけてあげると、
子どもへの言葉も自然と変わっていきました。
視点④:感情のコップが溢れる前に「先手を打つ」
癇癪って、
“その時”だけを見ても手遅れなことが多いんです。
前段階で
「疲れてる」「お腹すいてる」「環境が変わった」
など、
きっかけの芽はたくさんありました。
そこで取り入れたのが、“1日1回のミニスキャン”。
たとえば
朝の機嫌は?
睡眠時間は?
昨日の疲れは?
急な予定変更はあった?
これらを頭の片隅でチェックすることで、
「今日は癇癪起こしやすそうだな」と分かれば、
あらかじめ
声かけやスケジュールを少し調整できたりします。
視点⑤:「母親として」だけじゃなく「ひとりの人間として」のケアをする
最後に、何より大切だったのは、
“私自身の心を整える時間” を作ることでした。
友達と話したり、好きなTVを見て笑う
大好きなコーヒーを飲む
子どもと離れる時間を作る(私はよくトイレに篭もります)
「子どものために頑張らなきゃ」
「母親なんだからちゃんとしなきゃ」と思うほど、
自分を後回しにしてしまいがちだけれど、
心がすり減った状態では、
子どもに優しくなんてできないんですよね。
だから、「しんどいな」と思ったときほど、
“私”としての小さなケアを最優先にするように
しました。
▷ 実際にやってみた日の記録から
ある日
夕方、眠気と空腹が重なって癇癪が始まりました。
でもこの日は違いました。
「いまは、前頭前野が止まってるだけ。これは“嵐”。私にできるのは、“傘をさして隣にいること”だけ」
そう自分に言い聞かせて、
ただ子どもの隣で、「大丈夫」「びっくりしたね」と、静かに声をかけ続けました。
30分ほどして、
子どもがふと私の胸に顔をうずめてきたんです。
あの瞬間、「癇癪を“押さえ込まれなかった”ことで、あの子は安心できたんだ」と、心から思えました。
第7章:泣き叫んだそのあと
癇癪は、すぐにはなおりませんでした。
それでも
泣き叫んだあと、静かに私を見つめる子どもの目に
「わかってほしかった」
というサインを見つけるたび、思うのです。
この子も、この世界の中で、懸命に自分を生きてるんだな。
この子も、私も、完璧な人間ではないから、
許し、許されながら過ごしていきたいと
思っています。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
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