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壊れないように見極めながら拡張してゆく喜び〜克己の中に見出される愛〜

音楽やヨガに取り組んでいて自分が大変恵まれていると思うのは、それらが「自分一人で取り組むこともできるし、誰かと一緒に取り組むこともできる」ということである。

音楽であれば同じ「楽曲」を、ヨガであれば同じ「動き(ポーズ)」を、同じ時間と空間を共有しながら、一人ひとりが自分自身に挑戦しながら、呼吸が合わさる喜びがある。

自分自身にある種の「厳しさ」を向けながらも、自己が壊れない限界にある境界を見出しながら、そしてそうした境界を少しずつ少しずつ拡張していく試みの中で、時に自分自身の内側から殻を破りながら、時に他者に可能性を引き出されながら、「己に打ち克つ(克己)」ことに内実が生まれるのではないかと思われる。

エーリッヒ・フロムによる『愛するということ』を読みながら、「愛」という概念は「克己の過程において育まれてゆくのではないか」と思われてくる。

特に、「壊れないように見極めながらも、境界(限界)を拡張していく」という点において、そのように思う。

そして、自然と一人ひとりの個性、特徴が醸し出されてくることに気が付くこともまた喜びである。

なぜかというと、いかにして合一感を得るかという問いには、どうしてもなんらかの答えが必要なのであり、ほかに良い方法がないとなると、集団への道長による合一がいちばん良いということになるのだ。孤立したくないという欲求がいかに強いかが理解できれば、ほかの人と異なることの恐怖、群れからほんのわずかでも離れる恐怖の大きさが理解できるだろう。しばしば、
「集団に同調しないことの恐怖は、同調しないと実際に危ない目に遭うかもしれないという恐怖なのだ」ともっともらしく説明される。だが実際には、すくなくとも西洋の民主主義社会では、人びとは強制されて同調しているのではなく、みずから欲して同調しているのである。

エーリッヒ・フロム『愛するということ(THE ART OF LOVING)』

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