「小さな変化」を淡々と積み上げ続ける
台風の訪れる季節。
幼い頃の記憶を辿ると、年間の台風の数は30をゆうに超えていた。
この週末に接近する台風はまだ9号とのことで、台風の数はグッと減ったように思う。
ある事象を長い目で追っていくと、それが偶然なのか必然なのかはさておきその瞬間瞬間では察知が難しい環境の質的な変化が浮かび上がってくることがある。
お湯の温度も少しずつ少しずつ、ゆっくりと時間をかけて上げてゆくと、気付かぬうちにのぼせてしまうこともある。
変化の差が小さいとすぐには気付きにくいが、気付いた時には小さな変化の積み上げが、大きな変化として結実しているかもしれない。
変化の差が大きいとすぐに気付くことができるかもしれないが、変化の大きさのあまり受け止めきれずに変化を避けてしまうとすれば、その変化は持続せずに終わってしまうかもしれない。
こまめにストレッチを続けていると、小さな変化を淡々と積み上げることが大きな変化をもたらすことを、自分の「身体」が教えてくれる。
同様の実験によって、非生命的な化学物質と生命の化学物質を分け隔てる特徴など何もないことが、繰り返し証明された。適切な条件のもとでは、前者から後者へと容易に変換することが明らかとなったのだ。生命の根底をなす化学や物理に対する人類の理解が進むにつれて、非生命と生命のくっきりした境界線はぼやけはじめた。キャロルやショスタクやエリントン、そして彼らと同様の考えを持つ多くの人は正しかった。ある程度までは。
しかもこれまで調べられてきた限り、生きていない物質から生きている物質への転換は、物理学や化学に関する既知のどのような法則とも矛盾しないことが分かっている。生命は生成も消滅もしないという法則、いわば生命保存の法則などというものは存在しない。もちろん私たちは生命体が生まれたり死んだりするのを知っているのだから、それは当然だ。しかし往々にして、もっとも当たり前の観察結果が科学的にもっとも説明が難しく、それを数学的な法則に変えるのはますます難しいものだ。現代科学は、生命が物質の性質ではないことを教えてくれている。
