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ChatGPTの文章が「なんか違う」と思った人へ

こんにちは!ご機嫌はいかがですか。

ChatGPTに文章を書かせてみたら、普通にうまい。構成も整っている。言っていることも、だいたい正しい。

でも、なんか違う。

この「なんか違う」って、めちゃくちゃ大事なんですよね。なぜなら、その違和感の中に、あなたが本当に書きたかったことが隠れているからです。

多くの人は、AIに文章を書かせて「なんか違う」と思った瞬間に、こう考えます。

  • プロンプトが悪かったのかな

  • もっと文体を指定すればよかったかな

  • 自分らしい語尾を覚えさせればいいのかな

  • もう少しエモくしてもらえばいいのかな

もちろん、それも一部は正しいです。AIは指示の出し方でかなり変わります。文体も寄せられるし、構成も直せる。でもね、ここに重要な前提があります。

AIで私らしい文章を書くには、「私らしい文体」を指定する前に、「私は何を問題だと思っているのか」を出す必要がある。

ここを飛ばすと、どれだけ文体を寄せても、どこか普通になります。

丁寧だけど普通。わかりやすいけど普通。共感できるけど、明日には忘れる文章になる。

なぜか?

文章の中に、書き手の切実さが入っていないからです。

AIは普通に正しい文章を書く

AIに「AI時代の文章術についてnote記事を書いて」と頼むとします。

たぶん、こういう文章が出ます。

AI時代には、効率よく情報を整理する力が大切です。AIを活用すれば、アイデア出しや構成作成の時間を短縮できます。一方で、自分らしさを失わないためには、自分の経験や価値観を反映させることが重要です。

正しい。

びっくりするくらい正しい。でも、どこかで見たことがある。誰が書いてもよさそう。読んでいて怒りも喜びも湧かない。

正しいのに、弱い。

AIの文章が弱い理由は、AIが下手だからではありません。むしろ逆です。AIはうますぎるんです。大量の文章から、もっとも自然で、もっとも無難で、もっとも外さない答えを出してくる。

だから、こちらに強い違和感や問いがないと、出てくる文章は「一般論としては正しいもの」になります。そしてnoteで読みたいのは、一般論だけではないんですよね。

「この人は、なぜこれを書いているのか」

ここが見える文章を、人は読みたい。

足りないのは、文法上の主語ではない

最初、わたしはこの状態を「主語がない」と表現しようとしていました。

でも、これは少しわかりにくい。

なぜなら、文章の中には普通に主語があるからです。「私はAIを使っています」「AIは文章を書くことができます」「これからの時代には思考力が必要です」。文法上の主語はちゃんとある。

我ながら、ちょっと思想が先に走りました。

では、本当に足りないものは何なのか。

文法上の主語ではなく、問題意識としての“私”です。

もっと噛み砕くと、こうです。

  • 私は何に引っかかっているのか

  • 私は何を見過ごせないのか

  • 私は何を普通だと言われると苦しいのか

  • 私は何に怒っているのか

  • 私は何を守りたいのか

  • 私は読者に何を手渡したいのか

この「私」がないと、文章は整っていても弱くなります。

私らしさは、文体より先に、何を問題だと感じるかに出る。

ここが、今日いちばん言いたいことです。

最初から言いたいことがわかる人は少ない

ただ、それが最初からわかったら苦労しないんですよね。

「あなたの違和感は何ですか?」
「あなたが本当に言いたいことは何ですか?」
「あなたの切実さはどこにありますか?」

こんなことを突然聞かれて、すぐ答えられる人はかなり強い人です。少なくとも、わたしはそんなにすぐ出てこない。真っ白な画面に向かって、「さあ、あなたらしさを出してください」と言われても困るわけです。出せるならもう書いてますからね。

だから、ここでAIが役に立ちます。

いったんAIに、普通の文章を書かせればいい。

これです。

AIに普通の文章を書かせる。そして、その普通さに突っ込む。

「いや、そこじゃない」
「それは正しいけど、わたしが言いたいのはそこじゃない」
「そのまとめ方だと、痛みが消えている」
「その言い方だと、ただのノウハウになる」

こうやって突っ込んでいくと、少しずつ見えてきます。

自分が本当に問題にしたかった場所が。

AIの文章は完成品ではなく、壁である

AIに文章を書かせると、普通の正論が出てくる。それを見て「つまらない」と思う。この瞬間、実はかなり価値があります。

なぜなら、その「つまらない」は、あなたの中に基準がある証拠だからです。何も感じないなら、たぶんその文章でいい。でも、「違う」と思ったなら、あなたはもう何かを持っています。まだ言葉になっていないだけで。

AIの出力は、答えではなく壁である。

壁に向かって投げるから、跳ね返り方がわかる。壁にぶつけるから、自分の中にあった違和感の形が見える。

これ、文章だけではなく、意思決定でも同じです。AIに「転職すべきですか?」と聞く。

AIは合理的に整理してくれる。年収、成長機会、働き方、将来性。ぜんぶ並べてくれる。

でも、読み終わったあとに「いや、そこじゃない」と思うことがある。もしかすると本当に気にしているのは年収ではない。今の職場の人間関係かもしれない。家族との時間かもしれない。自分が積み上げてきたものを手放す怖さかもしれない。

AIの答えが間違っているわけではない。

AIの答えが、自分の引っかかりの場所を照らしてくれる。

そう考えると、AIとの付き合い方はかなり変わります。

ダメなのは、AIに書かせることではない

ここは誤解されたくないので、はっきり書きます。

ダメなのは、AIに文章を書かせることではありません。

AIに相談することも悪くない。AIで構成を作るのもいい。タイトル案を出してもらうのもいい。むしろ、使った方がいい場面はたくさんあります。問題は、AIの出力をそのまま完成品として受け取ることです。

AIが出した文章を読んで、

「なるほど、これでいいか」

で終わる。

これを続けると、たしかに自分で決められなくなります。

なぜか。

自分の違和感を通過していないからです。

AIが作った文章をそのまま出すと、たとえ内容が正しくても、どこか他人事になります。読者から反応があっても、自分の言葉として受け止めきれない。

AIを使って、自分の文章を始めたということです。

実際には、こう使うといい

では、どう使えばいいのか。

めちゃくちゃシンプルです。

まずAIに、普通の文章を書いてもらう。

たとえば、こう聞く。

「AIで文章を書くと自分らしさが失われる」というテーマで、一般的なnote記事の構成を作ってください。」

たぶん、普通にいい構成が出ます。

次に、それを読んで突っ込む。

  • ここは一般論すぎる

  • ここは自分の痛みと違う

  • ここはもっと強く言いたい

  • ここは逆に言いたい

  • ここは読者に誤解されそう

  • ここは単なるノウハウに見える

そして、その突っ込みをAIに返す。

「この構成は正しいけど、わたしが言いたいのは「AIが悪い」ではありません。むしろ、AIの普通さに突っ込むことで自分の違和感が見える、という方向にしたいです。」

ここまで言えると、出力は一気に変わります。

なぜなら、AIに「文体」を渡したのではなく、問題意識を渡したからです。AIにとって「私らしさ」は、放っておくと外から見える特徴になりがちです。語尾。テンポ。口癖。比喩。改行。太字。言い回し。

もちろん、それらも大事です。文体は器ですから。

でも、器だけ真似しても、中身がなければ薄い。

私らしさの本体は、文体ではなく、何を見過ごせないかです。

だから、AIに頼む前に一度だけ考えてみる。あるいは、AIの普通の文章を見てから考える。

  • このテーマで、わたしは何に引っかかっているのか

  • 世の中のどの言い方に違和感があるのか

  • どんな結論で終わらせたくないのか

  • 読者に何を渡したいのか

  • この文章を書かないと、何が気持ち悪いのか

これを一行でも入れる。それだけで、文章はかなり変わります。

たとえば、

「AIで文章を書く方法を教えてください」

よりも、

「AIで文章を書くと普通の正論になることに引っかかっています。わたしは、AIの出力に突っ込むことで自分の言いたいことが見えてくる、という記事を書きたいです」

の方が圧倒的に強い。

AIの性能差ではありません。

問いの中に、すでにあなたがいるかどうかです。

「文章はできたのに、自分が進んだ感じがしない」理由

AIに任せれば、たしかに早い。文章も出る。構成も出る。アイデアも出る。意思決定の材料も出る。

でも、自分の違和感を通過しないまま答えだけ受け取ると、「できた」のに「自分が前に進んだ感じ」が薄くなる。成果物はある。でも、自分が成長した感じがない。便利なのに、どこか空っぽになる。

なぜか?

自分の引っかかりを持ったまま、考える時間を通っていないからです。

AIを使うことは、未来のために今を犠牲にすることではないはずです。むしろ、今この瞬間の違和感をちゃんと見つけて、行動に変えるために使いたい。

AI時代に特に危うくなるのは、意義性と成長実感だと思っています。

価値提供は、代替不可能な違和感から始まる

ビジネスでも文章でも、価値提供の出発点は同じです。

相手にとって価値があるものを渡す。

でも、AIが平均的に正しい文章をすぐ作れる時代に、ただ正しいだけの文章はどんどん代替可能になります。

では、何が代替不可能になるのか。

あなたが何に引っかかったか。

そこです。

同じAIについて書いても、人によって問題にする場所は違います。便利さを書きたい人もいる。収益化を書きたい人もいる。教育への影響を書きたい人もいる。創作の劣化を書きたい人もいる。

そして、今回のわたしはここに引っかかっています。

AIで文章を書くと、普通の正論になる。けれど、その普通さに突っ込めたとき、ようやく自分の文章が始まる。

AIの出力は代替可能です。でも、あなたが何度も「なんか違う」と思ってきた履歴は代替できません。その履歴こそが、文章の芯になる。

おわりに:AIの普通さに突っ込めたとき、文章は始まる

ChatGPTに書かせた文章が「なんか違う」と思った人へ。

その違和感は、失敗ではありません。

むしろ、入口です。

AIに普通の文章を書かせる。そこまではいい。むしろ、やった方がいい。でも、その文章を完成品として受け取らない。一度、突っ込む。

「正しいけど、そこじゃない」
「わたしが言いたいのは、もっとこっちだ」
「この普通さが、まさに問題なんだ」

そうやって初めて、自分の言いたいことが見えてくる。

AIは、あなたの代わりに文章を書ける。

でも、あなたの代わりに「これを言いたい」と思うことはできない。

だから、AIを敵にしなくていい。でも、AIの正論に飲まれなくてもいい。AIに書かせるほど自分らしさが消えるのではなく、AIの文章に突っ込める人ほど、自分らしさが見えてくる。

「なんか違う」――その違和感こそ、あなたの文章の芯です

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