小説『楽園の烏』 八咫烏シリーズ 外伝『烏百花 白百合の章』 「はるのとこやみ」 登場人物・ストーリー <ねたばれ>
『楽園の烏』 八咫烏シリーズ 外伝『烏百花 白百合の章』 「はるのとこやみ」
(2021年4月 文藝春秋 / 2023年5月9日 文春文庫)
<あらすじ>
大人気和風ファンタジー「八咫烏シリーズ」の外伝第2弾!
人気キャラクターたちの秘められた過去や、知られざる思い。本編では描かれることのなかった珠玉のエピソード。
「オール讀物」に掲載された「あきのあやぎぬ」「ふゆのことら」「なつのゆうばえ」「はるのとこやみ」「ちはやのだんまり」「おにびさく」のほか、「かれのおとない」、さらに書下ろしを加えた全8編を収録。
とんでもない意気地なし、と噂の少年・雪哉に剣の指導を頼まれた腕に覚えのある市柳は、おびえる雪哉に自信満々で打ち込むが、まもなく違和感を覚え始める――(「ふゆのことら」)
貴族の少年たちが、父の跡を継いだ職人が、全身全霊で守りたいものとは何か。
山内に生きる人々の幸せを誓った彼、そして、権力闘争のはざまに育つ姫君の心の奥にある思いとは……。
読者の胸を刺し貫く魅力でベストセラーとなった、和風ファンタジー「八咫烏シリーズ」震撼の第2部へと橋をかける必読の短編集8編。
あせびの母親・浮雲の知られざる過去とは? あせび出生の秘密とは?
ふしだらな母親と悪魔のあせびの原点がここにある
<目次>
短編集8編
「かれのおとない」茂丸と茂丸の家族とのあたたかなエピソード
「ふゆのことら」雪哉と市柳の少年時代のエピソード
「ちはやのだんまり」千早と妹・結の
「あきのあやぎぬ」真赭の薄と西家次期当主になる顕彦のエピソード
「おにびさく」西領の「鬼火灯籠」職人のエピソード
「なつのゆうばえ」南家現当主とその姉大紫の御前のエピソード
「はるのとこやみ」浮雲と倫のエピソード
「きんかんをにる」若宮紫苑の宮とのエピソード
八咫烏シリーズ 外伝『烏百花 白百合の章』 「はるのとこやみ」

<ストーリー>
兄・伶(れい)と弟・倫(りん)は竜笛を学ぶ双子。
くるくると癖の強い淡い茶の髪。
伶と倫の兄弟は、山内は東領、永日郷(ながひごう)の宿場町に生まれた。
貴族達からは山烏と蔑まれる生まれでありながら、大貴族東家のお膝元で楽人見習いとして日々励んでいられるのは、東家の施策によるものだ。
努力は実を結び、双子は名のある竜笛奏者の推薦を受け、十三にして東本家の擁する楽人の養成所、外教坊(がいきょうぼう)に入ることを許された。
東家のお抱えになったからと言って、そのまま宮中に上がれるわけではない。
実際に宮仕えするためには、この上さらに「才試(ざいこころみ)」という試験に受からなければならなかった。
才能には差があり、倫のような音は、怜には出せない。
明日の宴では、東分家の姫がここに集められ、楽人としての腕前を披露させられることになっていた。
将来この山内の地を統べる若宮殿下(捺美彦)の后選び、いわゆる登殿の儀がもうすぐ始まる。
四大貴族を代表する姫が中央の宮殿に赴き、若宮の寵愛を競うわけであるが、その候補者の選定が行われるのだ。
姫達が御簾の内側に隠れて顔は見えなかったが、倫の言うところの「腕のある姫」の演奏は耳にすることが出来た。
東家の姫が得意とするのは、長琴(なごん)という楽器である。
突風のような音が吹き荒れた。
その音はまるで、艶然と咲き誇る梅を容赦なく吹きこぼしてゆく春風のようでもあり、満ち足りた天上の世界から溢れて出た、光そのもののようでもあった。
「見事なり!」 静寂を破って最初に声を上げたのは、東家当主その人であった。
「いやはや、素晴らしい演奏だった。今の奏者は、一体どなたかな」
「わたくしは、東清水の浮雲(うきぐも)と申します」
悪魔・あせびの母親である。
時をおかずして、東清水家の浮雲は登殿に備え、正式に東本家の姫として迎え入れられた。
梅花の宴以降、双子の話題は、もっぱら本邸にやって来た浮雲の姫君のことばかりであった。
本当に若い女性が弾いているのか、実際に姫が奏している姿を―御簾の内側を垣間見たい。となった。
ただ、正式な楽人にもなれていない、下男同然の身でそんなことをしたと露見すれば、当然ただでは済まされない。
最悪の場合、見習いとしての資格を剝奪されるが、どうしても好奇心には勝てなかった。
月の明るい晩である。
少しだけ御簾が巻き上げられていた。差し込む月明かりに、長大な琴と、それを奏でる手元だけが照らし出されている。
綺麗な、白い手だ。
想像していた通り指は長かったが、あのはっきりとした音のまま一曲を弾きこなせるとは思えないほど、跳ねるように弦を爪弾く指先は細くたおやかである。
顔は見えない。だが、今、そこで長琴を奏しているのが、若い女であることは認めざるを得なかった。
御簾のうちから響く音はとろけるようで、ぼうっと聞き惚れていた伶は、隣にいた倫がゆっくりと立ち上がったのに、すぐには気付くことが出来なかった。
誰に見つかっても構うものかと言わんばかりに、仁王立ちで竜笛を奏でる弟の姿があった。
長琴は、合奏を企図して作られたものではない。
それなのに、倫の竜笛は長琴を邪魔することも、しかしその音に負けることもなかった。
長琴の女が天才であるならば、倫もまた、天才なのだ。
双子が寝床を抜け出して姫君を垣間見したことは、誰にも気付かれなかった。
あれ以来、倫が夜にふらりといなくなってしまうようになった。
初秋の頃、その変化は唐突に訪れた。
いつも通り稽古をつけてもらっている最中のことだ。師匠の鋭い声は、伶ではなく、倫に対して発せられた。
これまで、静謐で犯しがたい清らかさを持っていた、倫の竜笛。 その音色が、濁った・・・。
倫の音は卑俗になった。高尚なそれではなくなってしまったのだ。
「お前、夏中山に通いつめていただろう。もう山での合奏は止めるんだ。遅れた拍子に合わせる変な癖がついているし、音に感情が乗り過ぎている。今ならまだ戻れる」
浮雲の君はつつがなく登殿の儀を迎え、中央へと去っていった。
才試みで倫は落ち、代わりに伶が召人として、皮肉にも中央へ向かうことになった。
「浮雲の君が、東領にお戻りになる?」
「どうも、南家の姫に一杯食わされたらしい」
「おっかない女傑だそうで、若宮を押し倒して、無理やりお子を身ごもっちまったんだと」
しばらくしてまとまった休暇を得た伶は、約一年ぶりに東領へと帰還した。
再び朝廷に戻った伶は、任せられる仕事が増えたこともあり、それからしばらくの間、東領へは足が遠のいていた。
入内が叶わなかった以上、誰かのもとに嫁がされるかと思われた浮雲は、しかし不思議なことに、そのまま本家に囲い込まれているようだった。―「好いたひとがいるから」と、本人が語っているためだという。
順調に宮廷の楽士として働いていた伶のもとに、倫が死んだ、という知らせが届いた。
急いで向かった東領において知らされたのは、伶の半身とも言える弟が入水したのだという、にわかには信じがたい話であった。
「最近、別邸に中央から貴公子がお忍びで通っているという噂があった。」
母を中央に連れて帰って三月後には、伶は上役から、西領の寺社へ向かうようにと告げられたのである。
母親と一緒に西領へ向かいなさい、と上役は言ったのだ。
「お前自身のためだ。もう、中央にも、東領にも戻って来てはいけない」
十年後、伶は名と身分を偽り、東本家の別邸において下働きをしていた。
料理が出来るという触れ込みで、伶はひたすらに芋の皮剝きをした。
十年前、西領へと流された伶は、当然、弟の死にも己の処遇にも、全く納得がいっていなかった。
浮雲は、伶が西領に流されていくらもしないうちに、東本家嫡男の側室として迎え入れられたらしいということであった。
しかも、側室に迎えられてから、早々に娘を産んだという。
悪魔のあせびである。
厨房で色々聞いた。
「金烏陛下は、若宮だった頃に会った浮雲の御方が忘れられなかったのさ。わざわざ、お忍びで東領まで来たこともあるくらいだ」十年くらい前の話だしねぇ。
「あの女、せっかく陛下が通ってくれたってのに、寝所に男を連れ込んでやがったんだぜ」
「陛下とねんごろになる前に子どもが腹にいるとばれちまって、お忍びも止んじまったわけだ」
「お館さまや女房連中の慌てようは相当なもんだったって」
「ふしだらで呆れちまうよねえ。アタシだったら、陛下が通って来てくれるんだったら、絶対にそんなことしないよ!」
伶もそれを面白がるふりをしながら、竜笛に代わって持ち運ぶようになった包丁を静かに腰鞘へ納めたのだった。
―当時、浮雲のもとに通っていたのは金烏陛下だった。
娘のその髪は風と陽光を受けて、金色に輝いていた。
くるくると靡く特徴的な癖毛は、自分と倫のほかに見たことがない。
娘の、木漏れ日に輝く清水のようにきらめく瞳。 弟の目だ。
濡縁では、陽だまりの中、長琴と並ぶようにして美しい少女が居眠りをしていた。
微笑ましく思いながら視線を巡らせれば、桜の古木の下で、花を見上げている黒髪の後姿があった。
ゆっくりと近付き、声をかける。「浮雲さま。お久しゅうございます」
魅力的な大きな目を見開き、彼女はまじまじと伶を見た。
倫にそっくりの、伶を。
それから、ゆっくりと首を傾げて、心底不思議そうにこう言った。
「あなた、だぁれ?」
―そこで伶は、倫は確かに自分から死を選んだのであり、そうさせたのが、この美しい女であることを知ったのだった。
浮雲は、怜によって殺害された。
<登場人物>
・長琴(なごん)
よく知られる箏(そう)や和琴(わごん)とはやや異なった構造をしており、その音色は、一面で神楽のための一編成に匹敵するとまでいわれている。
東家秘伝の楽器とされているが、実際は昔ながらの形を守っているわけではなく、外界からの技術や様式なども取り入れ、貪欲に改良を重ねているらしい。分家ごとに形式も異なり、それを作る職人を囲い込んでいるのだという。
音階が特殊で、高低の幅が異様に広い。
長琴は、姫を際立たせるためのものであって、他の楽器と合奏することはほとんどない。
それひとつでどれだけ華やかな音が奏でられるかが肝というだけあって、どんどん弦が増え、構造が複雑化していった。
・浮雲(うきぐも)
悪魔・あせびの母。
捺美彦・時代の桜花宮春殿の姫。
今上陛下がお忍びで東本家に通っていたのにかかわらず、淫乱でふしだらな烏で、倫と出来ていた。
生まれつき東家系列の東清水家の出で宮烏ではある。
長琴の腕をかわれ、東本家の養女・姫として迎え入れられ、登殿した。
・倫
悪魔・あせびの父。
