ひらがなの「たとえば」は要注意ですよという話
それは「赤いきつねCM」から始まった
2025年2月中旬にふってわいた「赤いきつねCM」騒動、数日で終結…かと思いきや、3月に入っても、まだいろいろ出てきている。
企業のSNS運用に研修ビジネスを滑り込ませたい方がいるようで…
私たちは、「男性向けジェンダー研修」事業を行っており、「himpathy(加害の事実が明白なのに男性が男性の加害者に共感を示すこと)」についても取り扱っております。
— MenWithWomen (@MenWithWomenNGO) March 4, 2025
企業の公式アカウントで赤いきつねCM問題に乗っかってしまうような広報担当者をお抱えの企業には、ぜひ受講して頂きたいです。
回ってきたスクリーンショットから、勝部元気氏がこれをリポストしているようである。

そして、あっという間に、この団体がどうやら、往年のちん騎士フェミニスト男性、勝部元気氏が中心となって立ち上げた団体であるらしいことが判明。
まあ、この手の研修ビジネスが胡散臭いのは言うまでもなく、速攻でツッコミが入っている。

念のため魚拓もおいておこう。
https://archive.md/VbwEM
https://archive.md/EDqhj
https://archive.md/RjBGm
うさんくさい平仮名の「たとえば」
問題は、この真ん中のポストである。

これ、「たとえば」を使った目くらましなんだよね。 「例えば」をつかうものの「例示」にも「喩え」にも「譬え」にもなっていないという。
この用法は、共産主義者(コミュニスト)の一部がしばしば使うものであるが、共産主義者だからといってこの用法を使うとは限らない。 使わない人達もいる。 ではどのような人らが多用してきたかというと、数十年前であれば学校教育に関係した人たちに多いようにおもう。
勝部元気氏のは、すぐばれる程度にレベルが低い(ああ、いってやる、短いとバレやすいよって、何度もおばちゃんいってるわよ)んだけど、結構解体が面倒くさいのもあるんだよな。
格好のネタがあるので、
上田庄三郎氏の文章を例にとって
(↑「実例」という意味での「例」の用法ですね)

こんなもん「ああ、例示がでてこない”たとえば”だ、でも喩えにも譬えにもなってねえ!クソが!」とポイッと投げ捨てていい。
「例え」と「喩え」「譬え」の攪乱を誘発し、「悪いのはコレだ」をゴリ押しする目くらましである。
強いていうなら、恣意的な「譬え」を用いて印象操作することで主張のゴリ押しを図ろうというものかもしれないが、そもそも「例えば」は「例えば~のように」など、それなりの使い方があるし、「喩え」「譬え」は、使うことはあっても「喩えば」や「譬えば」はほぼあり得ない表現である。
ああ、出典を付しておかなきゃですね。
『上田庄三郎著作集 第5巻 (抵抗の教育) 国土社 1978』
著者がどういうかたかというと、昭和の教育者であり、戦後は教育評論家となった高知生まれの生活綴方教師で、昭和初期には上京し、生活綴方運動等にご活躍されたようである。
そして、共産党の書記長だった不破哲三氏とその兄の上田耕一郎氏のご父君でもある。
戦後の共産党の教育闘争方針には、氏のロジックとレトリックがふんだんに活用されているように思う。
上田流レトリックとどう向き合うか?
(ああ、「向き合う」って使ってみたかっただけです)
それにしても凝っている。
荒木文部大臣(第80-81代)をディスりながら、
国民の文章観をディスり
「封建的権力に抵抗できる、進歩的でウソのない文章観」を身に着けるべき(そういう教育がのぞまれる)って話にもっていく。
たとえば、日教組の執行部にいて日教組の機関誌の編集者を数年つとめた自称名文家があったとする。それが日教組を脱退して敵の陣営の編集長となり、自民党討滅の名文家になったとする、これもまた、戦前戦後を通じての流行歌のスターとえらぶところはない。これについては当の裏切り行為よりも、これを名文と見る世間の文章観に問題がある。どちらがウソの文章であるかを見分ける目が必要である。
解体の方法だけど、原文の枠で囲った部分を反転してみたらいい。
例えば下記のようにである。(←はい、擦ってます「例えば」の用例兼ねて)
「日教組→自民党」「敵の陣営→アカハタ」にしてみる。
【保革反転版】
たとえば、自民党の執行部にいて自民党の機関誌の編集者を数年つとめた自称名文家があったとする。それが自民党を脱退してアカハタの編集長となり、自民党討滅の名文家になったとする、これもまた、戦前戦後を通じての流行歌のスターとえらぶところはない。これについては当の裏切り行為よりも、これを名文と見る世間の文章観に問題がある。どちらがウソの文章であるかを見分ける目が必要である。
こうしてみると「文章観」に持っていくのが不自然であることが浮かび上がってくる。
何回か、こういう作業をやってみると、外道な「たとえば」を見抜けるようになる。 それと同時に「封建的な文章観」とやらの根拠が希薄なのが見えてきますね。
「根拠」は書かれていない。
イメージをつかったゴリ押しである。
ついでに言うと「自称」という余計な形用が単に攪乱要素でしかないのも見えてくる。反転させにくくするトリックともいえる。
「裏切り行為」に対して、適示はするが怒りをあらわにしないことで、「文章観」という別の位相に話を滑り込ませている。
実に巧妙なレトリックである(褒めてない)。脳みそのリソースを変に奪われかねない迷文とはこういうもののことを言う。
まとめ
大の大人が平仮名の「たとえば」を出して来たら警戒してかかってよし。
「例えば」「喩え」「譬え」の意味区分と用法の区分をしっかりつけよう。
以上です。
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