認定NPO法人カタリバの珠洲入りプチ炎上を解体してみたら、戦後の教育の問題が浮かびあがってくるなど-戦後レジームの本体は教育―
2022年の初秋、暇空茜氏がColabo問題を取り上げて以来、SNSで各種支援団体に絡んだ話題がSNS上で珍しくなくなってきた。
Colabo、WBPC、赤い羽根、フローレンス、しんぐるまざぁずふぉーらむ…ああ、盛りだくさんだ。
本年あけてすぐ、能登半島の震災があった。
道路状況の問題から、当初から押しかけ支援への懸念があちこちから言われていたわけだが、SNS上には東日本大震災後の支援で名を上げたと思しきNPOのいくつかが支援の名乗りをあげていたので、今回もいく人は行くだろうなあと思ってはいた。
情報環境が東日本大震災の時とはまるで変っているので、そこそこ炎上する団体はあろうとは思っていたが、ちょっとした有名団体がプチ炎上したのでびっくりした。そうだ、認定NPO法人カタリバである。
2024年1月2日の段階で「情報収集開始」を謳っていたので、どっかで動くだろうってのは予想の範囲ないであったが、炎上一番乗りにここが来るとは…思わなんだ。
【#令和6年能登半島地震 による災害の現地調査を開始】
— NPOカタリバ (@katariba) January 2, 2024
カタリバの 災害時子ども支援「#sonaeru(#ソナエル)」は、能登半島地震を受け、被害状況や子ども支援について情報収集を開始。今後の支援については情報収集を経て判断してまいります。https://t.co/Sc6gWYOlczhttps://t.co/DMDlGtl8gI
ただまあ、炎上といっても、コメの応酬があるわけでもなし、書き口もおだやかなものが多いので、プチ炎上といったところか。
カタリバのプチ炎上を概観する
始まりは、Colaboにストーカー呼ばわりされた上に提訴されて、いろいろ訴訟もやっているエコーニュース音無ほむらちゃんのツイートについた、さぶ氏のコメントで、認定NPO法人カタリバの代表、今村久美氏のnoteで語られた「珠洲入り」についてのレポートが紹介されたことからだった。
Colaboの母体になったNPO法人「カタリバ」は被災地にもう来てる
— 音無ほむら(エコーニュース) (@echonewsjp) January 8, 2024
ここも日本財団の援助先..https://t.co/8EAHt2d9aH https://t.co/a2KkPWeiRj pic.twitter.com/uK530kFpn9
カタリバの被災地入り
— さぶ (@ndldnjaem) January 9, 2024
3日の大渋滞
被災地入りできず避難所にお世話になる
1日から避難している老人にダンボールを分けてもらう
避難所で自分達は持参した食事をとる
素晴らしい現地入りです pic.twitter.com/ZEuhBS4gBJ
後で精査したところ、カタリバ代表今村氏一行の珠洲行軍のスタートは4日であった模様。
今村氏のnoteがでのレポートが起点である。
まあ、私もRTしたので、プチ炎上に加担してはいる。
うわあ…「NPO法人カタリバ」災害ボランティアがやっちゃダメなことフルセットで押しかけてるやん。 https://t.co/0hb9QDIs4p
— 狸穴猫/松村りか (@mamiananeko) January 9, 2024
まあ、4日の食料は持参したらしいので厳密にいえばフルセットではないのだが、このくらいあれば十分だろうというくらいにはやっている。
しかも…7日にアップしたnoteでは、意味不明の「支援物資指南」まで書いている。
ツッコミどころ満載である。
さて、個別のツッコミは後にして、この件からたぐり出せるもろもろの概略をとりあえず図にしてみた。

赤い点線で囲った部分を考慮しなければ、一番槍狙いの新興ボラ団体、新興社会起業家のやらかし?で済むかもしれないが、認定NPO法人カタリバとなるとそうことは簡単ではない。
なぜ?
それを紐解きつつ書いてみることにしよう。
認定NPO法人カタリバをザックリ見ていくと
2001年に、当時大学生だった今村久美氏(慶応SFC環境情報学)と三箇山優花氏(明治大学 文学部/演劇学)が共同で創業した教育支援系NPO。
現在、代表は今村久美氏で、三箇山氏はファンドレイジングを担当している模様。
どうやら、NPO法人で出会った女子大生二人が意気統合して起業といったことのようだ。
「高校生の学習モチベーションのアップ」を、大学生・大学院生のメンターを活用して実現するというビジネスである。
起業家としての「カタリバ」と支援者としての「カタリバ」
当初は、首都圏の高校生を対象とした、独自のキャリア教育プログラム「カタリ場」であった。
初期は「カタリバ流コーチング」というものも前面に出しており、なかなかのキラキラっぷり。
これまでに約20校の中学・高校で総合授業「カタリ場」を実施してきました。
そしてこれから、もっともっと多くの中高生にモチベーションの種を蒔いていきます!
自分のアツさを次の世代に伝道していきたい人、
自分のさえない中高生時代に後悔を持っている人、
カタリバ流コーチングで中高生の心を開いてあげたい人、
何か始めたいけれど何から始めて良いか分からない人、
最後に完全燃焼したい四年生、
とにかくプロジェクトに取り組み成功させたい1・2年生、
人材系への就職や教職に興味がある就活生、
偏差値だけが進路じゃないって知ってる元受験生、
人生は真っ直ぐじゃないって知っている人、
教育実習のようにがっつり生徒と関わりたい人、
そして何より、出会いの力を信じている人。
ぜひNPOカタリバで、いっしょに中高生の心に火をつけにまいりましょう!
昔のカタリバのWebサイトでは、高校生向け(というか、ほぼ学校向け)サービスだけでなく、大人向けサービスとしてコーチングのワークショップもある。

l
メディア掲載歴のページを見ると、
2002.10 毎日新聞キャンバルに掲載
2003.01 リクルートキャリアガイダンスに掲載
2004.02 ラジオFM21・FM沖縄に出演しました
2004.02 沖縄タイムスに掲載
2004.06 日経新聞に掲載
2004.07 リクルート刊 アントレ独立辞典に掲載
2004.10 リクルート刊 ケイコとマナブ11月号 MY VOLUNTEER STYLEに掲載
沿革ページを見てみると
リクルートの企画を多く手掛けている。
起業家養成という視点なのかもしれない。
2000年を過ぎたあたりだと、政府も経済界も「若年者の起業」を雇用の打開策として考えていたふしもあるので、それに沿った企画にあう団体ではあったのだろう。
キラキラした起業家であるカタリバのキャストがロールモデルになり、高校生に夢と起業家精神を養いつつ学習のモチベーションを上げる…何と素晴らしいモデルだろう(棒)。
人権団体との接点
2008年には、こんな紹介記事もある。


カタリバの旧Webサイトで「紹介されました」コーナーからたどり着いたが、この内容は現在も下記で公開されている。カタリバ創業から6年目というから2007年くらいであろうか。
掲載媒体は同和・在日朝鮮人問題などを多く扱う、人権団体の媒体である模様。
躍進するカタリバと今村久美氏
あくまで印象としてだが、いま代表を務める今村久美氏がマスメディアで注目されだすのは2005年以降だろう。
カタリバが躍進しだすのは2007年に東京都委託事業を受託したあたりではないだろうか?
2008年「日経ウーマンオブザイヤー」受賞、2009年、内閣府男女共同参画局「女性のチャレンジ賞」受賞。同年、米国TIME誌の表紙を飾るなど、今村氏の華々しい活躍が始まる。

そして、2010年には「カタリバという授業」という、書籍が上梓される。
ちょっと付記しておくと、この栄治出版というのは、カタリバ出身で、その後、一般社団法人Colaboを立ち上げた仁藤夢乃氏の「難民高校生」(2013年)を出している出版社でもある(なお、Colaboの稲葉隆久理事は2010年までカタリバの理事であった)。
カタリバ、東日本大震災を機に学習支援に進出
それまでは、高校生対象に「出向いて」の「カタリ場」の活動が主であったカタリバだが、東日本大震災後に、宮城県女川町、岩手県大槌町で被災地の子どもたちの居場所・学習支援に乗り出す。
ここでカタリバは「塾」に近い方向性も持ち始める。
被災地支援に際しては「もっと可能性があるはず、もっとキラキラしよう!」とは少し違い「被災しても夢をもてるように」「被災しても夢をあきめなくていいように」と、すこしアピールの路線が転換しているようである。カタリバにとっても、大きな転換点だったのではないだろうか?
この被災地支援によって、カタリバ今村久美氏は、公益財団法人社会貢献支援財団から東日本大震災による貢献者表彰(平成24年度)を受けている。
なぜ私たちは、東北に行こうと思ったか?もちろん、「可哀想な子どもたちのために何かしたい」という想いもありました。
しかし、一番の動機は、「この被災地で、たくさんのものを失った子どもたちの中から、10年後に日本を支えるイノベーターが、生まれてきやすいのではないか?」と考えたからです。
たしかに、震災による悲しみは、子どもたちにとって、抗えない現実です。
私が昨年度、大槌臨学舎で受けもっていたクラスでも、26人中7人の生徒が親を失いました。ふとしたことで、家族の話題になると、目に涙を浮かべる子どもが、今もいます。
しかしその悲しみに向き合うのが、彼らの課題でもあります。この現実を受け入れて、自分自身で乗り越えていく。そのために私たち大人ができるのは、彼らに寄り添って、"悲しみ"を"強さ"に変えるための学習機会をつくってあげることです。
いちばんの動機としてあげられるのが「イノベーション」というのは、いささか違和感を感じる部分ではあるが、「高校生がキラキラしながら進学し、イノベーションを作り出す」という社会が今村氏の理想であるのだろう。
勝手にそんなところに課題設定しなくてもいいんでね?と思わないでもない。辛口に言ってしまえば「いじめ、乗り越えれば強くなりますよ(by竹内常一)」と大差ない気がする。
ともあれ、この「大災害被災地での学習支援」が、後の「災害後のこどもの居場所支援」「災害後の学習支援」といったものにもつながっていくのだろう。
カタリバプログラムには二重の構造がある
カタリバの今村久美氏は、慶応大学時代、鈴木寛氏の自主ゼミに参加していたようである。
鈴木氏のゼミは、起業家を多く輩出することから「伝説のすずかんゼミ」といった異名もあるらしい。、通産官僚からIT方面に転職、民主党政権時代に文部科学副大臣を務めた、いわゆる「新しい公共」を提唱する方であるようだ。2024年現在NPO法人日本教育再興連盟の共同代表のおひとり(もうお一方は、百マス計算で有名な陰山英男氏)
カタリバの成り立ちに関与しているのは間違いないだろう。2013年(平成25年)の文科省のヒアリングの場で、鈴木寛ゼミの発想が取り入れられていることを今村氏自身が語っている。
キャリア教育といっても、まともにやっている学校もまだそんなにはないと思うんですけれども、これから始めていく一番初めの動機づけの部分、何かしたいと思う、やりたいと思う内発的な動機をまず引き出すということを、カタリバは担当しています。これは私が10年前に大学を卒業するときに、鈴木先生がまだSFCにいらっしゃったころに立ち上げた団体で、鈴木先生というのは鈴木寛さんですけれども、もちろん御存じだと思いますけれども、お世話になりながら立ち上げてきました。
ここで重要なことが語られている。カタリバの構造は実は二段重ねだということである。
①1次プログラム 社会人、大学生を元気にして「語れる人材」にする
②2次プログラム 高校生を元気にしてイノベーターを生み出す
この2段重ねだというのだ。
そして、2次プログラムとして高校に行きます。ここからが高校生にとっての「カタリ場」なんですけれども、私たちは今まで10年間、「カタリ場」に取り組んでいく中で、その1次プログラムの方、学校にかかわるということで社会人側が元気になる、大学生側が元気になるというプログラムについては、結構やり尽くしてきました。ボランティアに参加したいという人たちも、1日10人エントリーしてくるぐらいのペースで、相当たくさんの人たちを巻き込むことが今できるようになりました。
カタリバの創業期である、2000年台初頭といえば、就職氷河期真っ只中である。大企業は買い手市場をいいことにこぞって「コミュ力があって企画力があって元気でプレゼンに強い人材」を要求していた時代である。
私は、やっぱり教育の一番の役割は内発性をともすことにあると思いますので、今とにかく、これからいろんな課題はありつつも、生徒たちが何かしたいと思う、チャレンジしたいと思うその動機づけのところを、たくさんの方々にかかわっていただきながら、これからも展開していこうと思っております。
『教育の一番の役割は内発性をともすこと』と今村氏は語る。
いわば「自主性・主体性の養成」である。
しかし、これは、対象年齢層や方法論によっては心理的侵襲性をともなうことも往々にして起こりやすく、離脱しにくい場であればあるほど「マインドコントロール」に近いといったことになりがちでもある。
逆に言えば「囲い込めば可能」なのである。
この辺のバランスをどうとるか?といった問題は、常に付きまとうが、あまり語られてはいないように思う。
とりあえず「キラキラ」と「主体性」がカタリバの事業のキーワードであることは確かだろう。

カタリバを支える、慶応SFCネットワークとグローバルな市民ネットワーク
今村氏の母校である慶応SFCの紀要にある対談が掲載されている。
『ポスト3.11のグローバル社会と地域社会 社会イノベーションは日本社会を変えるか 井上英之 金子郁容 慶應義塾大学湘南藤沢学会 2012』
https://gakkai.sfc.keio.ac.jp/journal/.assets/SFCJ12-1-02.pdf

井上英之 金子郁容、このお二方もまた「社会起業」に力を入れてきた方であり、カタリバの「マイプロジェクト®」は井上英之氏の発案である。
日本でソーシャルイノベーションの流れには、こういったカタチで米国のソーシャルセクターとの繋がりをもあったのだということがわかるし、そこにはゴールドマンサックスのような金融資本も繋がっているというのが浮き彫りになってくる。
「グローバルな市民としての主体性」というのがひとつの価値観として共有されていたように思う。
そして、社会起業家にとって震災というのは「セクシー」であったのだ。
カタリバの事業と事業規模
初期、キラキラ起業の香りが満載だったカタリバだが、東日本大震災以降、急速にその活動の幅を増やしている。
高校にキャストが出張しての「カタリバ」をはじめとする、キャリア学習・プロジェクト学習プログラムの提供。
災害時の被災地での子ども支援事業
災害後の被災地での継続したキャリア支援事業
困窮世帯の子どもを対象とした学習・キャリア支援事業
都市部の子どもを対象とした居場所づくり事業(アダチベース、世田谷)
地方の教育の魅力化事業
中高生対象の教育イベントの実施
カタリバ大学
などである。そして、うっかり忘れてしまいそうだが確実にあるのは
ボランティア・キャスト等の育成事業
10代の居場所の立ち上げ支援
である。
そして、最近は人権方面にも熱心なようで、LGBT団体との連携関係があるようである。
遠藤まめた氏のにじーずは、教育に介入しようという指向性のあるLGBTQ活動団体であることはほぼ間違いないとおもわれる。東京レインボープライドパレードにも参加している。
2023年にはNPO法人カタリバを対象とする研修を行っている。
2023年あたりから、SNSの話題にもよく登場する。
じゃ、お仲間の団体『にじーず』さんが活動する目的は何ですか? https://t.co/m8nwz25I0S pic.twitter.com/VJLzmCq4bW
— いなり王子・坂梨カズ (@inari_oji) October 6, 2023
となると、基本、NPO法人カタリバはLGBT運動に親和的と見る方がよいだろう。
事業規模は…というと、2022年度の報告書を見るに、10億円超の寄付を集め、15億弱の事業を行っている規模のかなり大きいNPO法人である。

参考までに、2010年度の会計報告が含まれるページのWebアーカイブを妖怪しておこう。
合わせて見るに「クラウドファンディング」の普及とともに、寄付を伸ばしていき、事業規模を拡大していったといった印象である。
そしてカタリバ3.0
「スタッフは研究者」というセリフが今村氏の口から飛び出す。
【映像プロジェクト第4話公開✨】 代表 今村は、10代の居場所づくりや不登校支援など、多様な事業に取り組んできたカタリバのいまを「カタリバ3.0」と位置づけています。 「スタッフはみんな "研究者"...
Posted by NPOカタリバ on Thursday, October 20, 2022
これを見ておもったのは、カタリバの活動というのは「民間教育運動2.0」になってはいないか?ということである。
民間教育運動(≒日教組教研運動)とは、そう、東大教育学部の日教組講師陣の学者(3Mほか)が旗を振っていた教育実践研究を推進する運動だ(またの名を「国民教育運動」ともいう)。「教員は誰もが教育実践研究者」という檻の中で「ぼくのかんがえたさいきょうのじっせん」が編み出されていった元凶だ。詳しくは後述する。
カタリバの珠洲入りプチ炎上までの道のり
解体前に、まずこの図を貼っておこう、災害時の支援の在り方の変化に関する図。

そして今回の震災についての基本情報を整理しておこう。
発災は2024年1月1日夕刻である。
そして、交通路の被災が激しかったために生命救出期が長引いていたために、国会議員の被災地入りについて与野党自粛の申し合わせがあったこと、申し合わせに加わっていない、れいわ新選組の山本太郎党首が、NPOの呼びかけに応じたとして能登町入りしたのが1月5日で、その後大いに批判をあびることになる。
認定NPO法人カタリバが七尾市で活動開始したのは1月4日、被災の激しかった珠洲で活動開始したのが1月5日である。
なぜここまで早く活動を開始しようとしたのだろう?という疑問もわいてくる。
カタリバのアピールは早かったが…
2024年1月2日には早々と「情報収集」をアピールしている。
【#令和6年能登半島地震 による災害の現地調査を開始】
— NPOカタリバ (@katariba) January 2, 2024
カタリバの 災害時子ども支援「#sonaeru(#ソナエル)」は、能登半島地震を受け、被害状況や子ども支援について情報収集を開始。今後の支援については情報収集を経て判断してまいります。https://t.co/Sc6gWYOlczhttps://t.co/DMDlGtl8gI
2024年1月4日には七尾市で子ども支援を開始。プレスリリースを出している。
この七尾市での居場所支援は認定NPO法人カタリバ本体ではなく、NPO法人ROJE等が動いているようだが、この時点では連携団体は明らかにされておらず、プレスリリースで書かれた寄付窓口も「カタリバsonaeru」である。
この翌日の2024年1月5日、珠洲入りした今村久美氏一行が、かねてよりつながりのある現地の団体「NPO法人ガクソー」と協働で「高校生とつくるみんなのこども部屋」がスタート。

炎上さえしなければ…きれいに纏まった形だったのかもしれない。
カタリバの珠洲入り強行軍は今村及び同道したチームメンバー自身によって語られていた。
カタリバの珠洲入りチームの大まかな動きはこうだ。
①2024年1月4日に金沢を出発し、同日中に到着の予定だったがたどり着けず
②日が暮れたため、のと里山空港に立ち寄る。
③能登さとやま空港駐車場で考えあぐねていたら巡回の係員に声をかけられ、空港建物内に避難。
④空港で、元旦から避難している高齢男性に気を使われ、ダンボールをもらい就寝
⑤翌朝、早々に珠洲に向かう
⑥珠洲に到着し、避難所にいる珠洲市のNPO法人ガクソーのメンバーと会う。
⑦避難所の管理者に交渉して許可をとりつけ、高校生を巻き込んで子どもの居場所支援の準備を開始。(この日の夕方プレスリリースが出る)
NPO法人ガクソーについては詳しくは後述するが、カタリバ×ETICによる「カタリバユースセンター起業塾」により「こども居場所づくり事業」の支援をうけている団体である。
今村氏のnoteからは、チーム構成はわからないが、facebookでちと検索をかけてみるとあっという間に見つかった。
今村久美氏に同行したのは中村純二氏と石井丈史氏のお二方である。
中村氏は石川県出身。津和野町教育魅力化プロジェクトに従事していたが、契約終了に伴い同地を離れ、海外でいろいろ活動されていたようだが、昨年秋に帰国して金沢にお住まいだったようだ。島根県の教育魅力化プロジェクトには、カタリバ卒業生が多くかかわっているのでその関係であろう。2016年に「一般社団法人ツワモノ」という団体を立ち上げたようであるが、現在その団体のWebサイトは見当たらない。
石井丈史氏は東京都出身、過去、認定NPO法人CFFジャパンという子ども支援NPOの職員や、東日本大震災後の復興コーディネーター等をやっていたようだ。カタリバの職員であるが、NPO法人Home for Hopeというフィリピンの貧困下にある子供たちの支援をするNPOの代表である。また、NPO法人メタノイアという外国ルーツの子どもたちの支援をするNPOの理事でもある。
「作戦を組みなおせばオールオッケー」という謎の思考?
今村氏のnoteでは状況がこう語られる。
おそらく有志の方が陥没している道路を埋めてくれている箇所もありましたが、陥没した道路のほとんどはまだ整備されておらず、夜になると路面を確認しながら進まないと危険なため、更に渋滞していました。

『おそらく有志の方が』
おい、ちょっとまて!
黒い部分はアスファルトも入っている補修だし、砕石で埋めている部分はそれなりの質の砕石が路肩までがっちりしっかり詰められており(転圧はしているように見える)、そのわきに注意を促すためのカラーコーンも布設してある。
少なくとも土建のプロのお仕事だろう。
三桁ナンバーとはいえ、おにぎりマークのついた国道であり、道路啓開の最優先の路線である。プロはいたものの表面舗装資材が足りなくて砕石いれて転圧までしかできなかったのではないだろうか?

交通渋滞や道路の陥没により、
金沢を出発して6時間程でようやく中間地点、のと里山空港に到着。
幸いにも、暖房や上水は無くくても、電気もトイレもあり、毛布まで借りられお湯もいただけました。空港の方もとても親切な対応を…
この先はさらに道が悪くなる予定なので、今日はのと里山空港に宿泊。明日また早朝出発します。
再び今村氏のnoteから引用
金沢市から珠洲市へは、マップによると2時間半程で着く想定でしたが、この時すでに出発してから7時間が経過し、すっかり夜になってしまいました。このまま進むのは危険かつ困難だと判断し、一度作戦会議をするため、途中「のと里山空港」へ立ち寄ることにしました。
これは、道路の被災をろくに想定していませんでした、というようなものだろう。
被災地の状況の深刻さについては、1月2日昼頃の段階でも多数報道されていた。広範囲な地盤の変形が起こっており交通路の大規模な寸断が起こっていることは、コタツワークをしていても分かることだ。
今村氏一行は、とっぷり暮れてから、のと里山空港に立ち寄る決断をしているようでもある。金沢出発から今村氏によると7時間、中村氏によると6時間…、まあその間であろうが、日没時間を考えると昼近くになってから金沢を出発したことになる、謎だ。
今村氏の到着待ちでもしていたんだろうか?
そして「作戦会議」という言葉が出てくるあたりが、よくわからない部分でもある。社会起業方面のNPO界隈ではこの手の不思議な用語づかいをよくみかける。
同行していたメンバーと、この後どうするか相談していたら、空港の方が声をかけてくださり、ありがたいことに泊めていただけることになりました。
地震が発生した1月1日からここへ避難してるというおじちゃんが、世話を焼いてくれダンボールを分けてくれたりしながら、寝床を確保することができました。
(車中泊を覚悟していたので、足を伸ばせるだけでもありがたかったです…)
避難している方が世話をやいてダンボールを分けてくれ、さらに空港で毛布を借り、お湯をもらい…これでは、やはり、のと里山空港に立ち寄ったというよりは「避難している」という言葉が適切になってしまう。
目線を変えてみれば丸わかりである。
『被災者向けの避難所を開設していた空港係員は、駐車場でなにやら話をしているカタリバ一行に声をかけて、空港建物に収容し、翌朝までの便宜(毛布・お湯の提供等)をはかった』
ということでしかない。
明らかに、段取りの問題があり、装備不足のままの強行軍であったことは間違いないだろう。
被災地入りの悪いロールモデルをばらまいていないか?
今村氏のnoteでの発信は1月5日から始まる。
この段階では、道路の復旧はまだまだという段階である。
「こういう支援ができます」で、とりあえず被災地入りして「オリジナル支援の輪を広げる」というスタイルについては、東日本大震災の時ですら多少の問題になっている。この問題については後述するが、もう一つ重要な問題がある。
政府委員等も務める今村久美氏が発信するということは
「このくらいテキトーでも、被災地に行っちゃってオッケー」
というメッセージになってしまうことだ。
中村氏の4日のFB投稿から画像で引用しておく。

後に続く人のための発信?と解釈できるような記述がある。
こちらは5日の今村氏のFB投稿から。

これでは、押しかけボランティア殺到のトリガーになりかねないのではないだろうか?
被災が深刻だった奥能登珠洲市にカタリバsonaeruチームが、早期に入る意味があったのだろうか?というと、疑問を投げかけざるを得ない部分がある。
5日時点、このエリアでは仮設トイレ等もできて居なかった模様が、中村氏の投稿で報告されている。

その「支援」を被災地が断ることは可能であったのだろうか?
今村氏のnoteをさらに読んでいく。
現在、800名の方が過ごす一つの避難所の管理者の方に、こどもの居場所の必要性をお伝えすると、まさに気になっていたとのこと。私たちに、この避難所で居場所の開設を許可していただきました。
そして、今回珠洲市で取り組みをはじめるにあたり、カタリバのユースセンター起業塾でご支援させていただいている珠洲市の団体「NPO法人ガクソー(以下ガクソー)」さんに連絡をしてみたら、なんと奇跡的に、この避難所にメンバーが生活なさっていました。偶然が重なり、「一緒にやりましょう」と即刻連携が決定しました。
絶妙に微妙な表現であるため、「管理者へのアプローチ」と「NPO法人ガクソー」との合流が先であったかは特定できないが、ここから、カタリバは「避難所に到着してから交渉している」ということだけは確定できる。
まあ、ご本人がいってるのだからそうなのだろう。
さてここで問題だ。
今村氏が避難所管理者に対し「こーいう者です」という名刺を出したら…
今村氏は、カタリバというNPOの代表というだけではなく中央行政における各種委員でもある。中央教育審議会の委員であり、子ども家庭庁の「こどもの居場所部会」有識者会議の委員であもある。
ざっくりいえば「中央省庁につながりのある有識者」である。
それが「騙り」でないことが確認されさえれば「素通し」になるだけの肩書である。
避難所生活が長期化するような大災害時においては「避難所等での子どもの安全な遊び場確保」は重要なことであるだろうし、避難所側も考えあぐねていた部分かもれない。
「カタリバ流」の支援が必要であるかを、考える余裕は被災地にはないだろう。
カタリバの「支援提案のステップ」は、あまり納得がいくものではないように思う。
なお、この、珠洲の避難所の様子に関しては、早々6日にテレビ(ミヤネ屋)でも紹介されていたようである。
寄付募集窓口の多重化というグレーゾーン
次の画像は、NPO法人ROJEのクラファンに出ていた矢田郷コミュニティセンターでの居場所支援だそうだ。

そして、こちらはカタリバのプレスリリースに出ていた画像。やはり矢田郷コミュニティセンターとある。

完全に同一。
そして、カタリバとROJEは、別建てで「居場所支援」への支援を募っている。
ここから先は
猫又BBAを応援してもいい…という方は、サポートをよろしく! いただいたサポートは妖力アップに使わせていただきます。
