家族写真|どこにでもありそうで、どこにもない家族の話
― ピントは少しずれても、ちゃんと写ってる ―
母・サエの葬儀から物語は始まる。
SMクラブ「Queen’s Haven」のオーナーであり、
伝説の女王様だったサエは、自由で破天荒だけど、誰よりもあたたかい“ママ”だった。
父親がそれぞれ違う三兄妹
大学生の長男ユウ
中学生の長女ハナ(語り手)
そしてその1歳下のミオ
フルコンボ三兄妹と、ママひとり。
そんな特異だけど、どこか優しい家庭の中で、
「普通ってなに?」
「家族ってどうあるべき?」
そんな問いに、笑って、泣いて、それぞれの答えを見つけていく。
不器用でも確かに愛し合っていた家族が、
それぞれの視点で“家族のかたち”を見つめ直しながら、
新しい未来へと歩み出す、可笑しくて切ない、どこにもない家族の記録。
プロローグ|遺影とピースサイン
ママの葬儀は、思っていたより静かに進んだ。
遺影の中のママは、真っ白なTシャツに肩までのウェービーヘア。
そして、いつもの満面の笑顔。
それは、“生きていた頃のママ”そのものだった。
笑ってばかりいたママ。
その生き方も、選ぶ言葉も、出会う人さえも。
すべてが、ちょっとだけユニークで、ちょっとだけ自由だった。
ママは、普通の母親とは少し違った。
……いや、だいぶ違った母親だったかもしれない。
でも、私たち兄妹にとっては、それが“ごく普通のママ”だった。
ママは、普通の生き方をしてこなかった。
だからこそ、時々“普通であること”に妙にこだわるところがあった。
そう。
ママは、知る人ぞ知る、SMクラブのオーナー。
そして、伝説のカリスマ女王様。
けれど、この日ばかりは「普通のお母さん」だった。
……少なくとも、見た目だけは。
私たち三人兄妹は、ママが微笑む遺影が飾られた祭壇の前で、静かに並んでいた。
父親はそれぞれ違ったけれど、母親はママ一人だけだった。
そして今、私たちは、その“唯一の母親”を見送っている。
「おい、祭壇の前でピースすんなよ」
兄が小声で言う。
「だって、ママなら“やれ”って言うもん」
末っ子のミオは、あっけらかんとした顔でカメラにピースを決めていた。
たしかに、ママなら笑って言っただろう。
「お別れだし、せっかくだから撮っときなさい。これも思い出だからね」
私たちは今、ママのいない世界で、あの人の存在の大きさをかみしめている。けれど、涙より先に笑ってしまうのは、ママが“そういう人”だったから。
こうして、私たちの“家族の記憶”が、はじまった。
第1章|女王様と、目玉焼きの朝
「ママー、ミオはカリッカリの完熟で焼いてね。
タマゴのぶにゅってした感じ、嫌い」
偏食気味な末っ子ミオが、今日も注文の多い朝食リクエストをしていた。
ミオの偏食とママの偏食は、似ている。
“なんでそんなとこが気になるの?”って言いたくなるようなこだわり方は、たぶんママ譲りだ。
今朝も、我が家のキッチンには、そんな“偏食DNA”が炸裂していた。
「はいよー!」とママは軽快に返す。
自分も偏食気味だから、ミオの“カリッカリ指定”にも文句ひとつ言わない。
それを横目に私は、トーストをかじっていた。
これが、うちの朝の通常運転だ。
わが家の構成は、
母・サエと、兄のユウ、私(長女・ハナ)、そして妹のミオ。
父親はそれぞれ違う。
つまり、“フルコンボ三兄妹”である。
そして母はというと…
SMクラブのオーナーであり、現役の女王様だ。
そう聞くと「過激で怖い人」を想像するかもしれない。
でも、実態はちょっと違う。
目玉焼きの焼き加減にはうるさいけれど、怒鳴るより笑うことのほうが多い。ママが怒鳴ったのは、ミオと私が保育園の頃、シールを万引きしたときぐらいだった。
普段着も、黒革よりユニクロ。
レザーより、伸びる楽チンなスウェットを愛用している。
「兄妹なかよくね!」
それは、ママの口癖だった。
ママのお母さん
つまり私のおばあちゃんは、4人姉妹。
その仲の悪さを、子どもの頃から見て育ったママは、私たち兄妹には何より“仲の良さ”を願っていた。
「ママはいつか死んじゃうから、残ったあんたたちが仲良くしてくれないと、ママは死にきれないわよ!」
真顔で、でもちょっと笑いながら、いつもそう言っていた。
シンプルなその言葉は、いつしか私たち兄妹の血液に溶け込んで、
今ではまるで、映画のエンドロールみたいに――
「兄妹なかよくね!」が、静かに流れ続けている。
第2章|家系図とママ一強政権
「今日のホームルームは、“家系図をつくってみよう”です。家系図というのは、自分のルーツをたどるものです。」
「自分を中心に、両親、祖父母、兄弟姉妹、できる範囲で描いてみましょう。もちろん、家族の形は人それぞれですから、心配はいりません。」
担任の佐野先生が黒板にそう書いたとき、私は無意識にペンを止めた。
教室内には、軽いざわつきが広がる。
「先生〜!家系図って、片親でもOK?」
「うち、兄弟が多すぎて収まんない!」
「外国に親戚いるんですけど、国旗とか描いてもいいですか?」
「おじいちゃん何歳だっけー」
楽しげな声が飛び交う中で、私は静かに考えていた。
(家系図ね……)
(兄、私、妹。それぞれ父親が違う。母は一人。
うちの家系図って、何系?)
(いや、家系図なんて、うちにとっては“爆弾処理”じゃん)
とりあえず自分の名前を中央に書いて、左右に兄と妹。
ここまでは問題ない。
でも問題は、その上だ。
母ひとり。
父、三人。
それぞれ別。
私はうっすら笑いながら、ノートに「母:サエ」とだけ書いた。
しばらく悩んだ末、そこから三本線を上に伸ばして、父親の欄を3つに分けて「父A」「父B」「父C」と仮置きしてみた。
母ひとりを中心に、放射状に広がる斬新なスタイルでいくべきか?
もはや家系図というより、ヒューマンドラマの相関図だ。
父親の名前は知らないけど、ニックネームはかろうじて知っている。
そもそも、ママから詳しく聞いたこともない。
「大事なのは“形”じゃない」と思いつつも、
この図を堂々と提出できる気にはなれなかった。
放課後、昇降口でミオと合流し、今日の「家系図」授業について話した。
「今日の授業、ちょー困ったんだけど」
「なに?家系図?」
「うん。どう書けばいいのかマジで困ったんだけど。“父不明”って書いてもいいのかな?」
「それはそれで、先生が別の心配しそうだね…笑」
並んで歩きながら、私は描きかけのノートをミオに見せた。
「うちらの共通点って、ママだけじゃん。でもさ、父親の存在を完全に無視するのもなんか違うっていうか。だって、ママと父親たちがいて、私たちが生まれてるわけでしょ?」
「まぁ、家系図に父親欄は必要ね」
「でもさー、ママ 一強政権って感じしない?うちって」
ミオのその一言に、私は思わず笑ってしまった。
“ママ 一強政権”
たしかに。
母という絶対的な太陽のもと、私たちはそれぞれ違うルートから生まれ、同じテーブルで育てられてきた。
その日の夕飯は、ママの十八番・煮込みハンバーグだった。
濃いめのデミグラスソースで、ごはんがすすむやつ。
「ねえママ、今日さ、学校で家系図の授業があってさ……」
私が言うと、ママはグツグツ煮込まれたハンバーグをひっくり返しながら言った。
「え? 書き分ければいいじゃん。名前知らなかったら、“父A・B・C”でさ。ニックネームは知ってるでしょ?」
「いや、それ提出したら、先生に心配されそうなんだけど」
「そう? ママが中学生のときなんて、“天涯孤独”って書いても何も言われなかったけどな〜」
「それ、違う意味で強すぎるから!」
「家系図ってね、“血縁図”じゃなくて“関係図”なのよ。生きてる人と、生きてる関係があるかどうかが大事なの」
そのとき、黙ってハンバーグを頬張っていたユウ兄が、唐突に言った。
「家系図って、ファンタジーだと思うんだよね」
「どゆこと?」
「血のつながりより、誰とごはん食って笑ってるかでしょ。関係が続いてる人が“家族”なんだよ、たぶん。少なくとも、うちはそう」
ユウ兄のくせに、たまに刺さること言うんだよな。
私は箸を止めて、テーブルの上を眺めた。
3人のきょうだい、
母、
ハンバーグ、
笑い声。
そこには、家系図には描けない絆が、確かにある気がした。
第3章|父親という不在の存在
「ねえ、ユウ兄ってさ、自分の父親のこと、覚えてるの?」
放課後、家に帰ると珍しくユウ兄がソファに座っていた。
ノートPCを膝に置いていたが、画面はYouTubeだった。
「なに急に。わりと重い話、くるじゃん」
「いいから、答えてよ」
私は床にリュックを置いて、彼の前に座った。
「正直、なにも覚えてない。
だって、俺が1歳前に別れたとか言ってたし。記憶あったら逆に怖いわ!」
「ふーん。連絡とか取ってないんだね」
「うん、取ってない。そういえば何年か前に、オカンがSNSで俺の父親から連絡あったって言ってた」
「へぇ、SNSか。さすが現代ね。それでユウ兄はどう思った?」
「んー、特になんにも。父親の記憶がないから、どうもこうもって感じ」
「それ、わかる。でもママってさ、それぞれの父親に寛大だよね。私たちにも、愛されて生まれてきた子とか言うし。」
「親って、どこまで“自分の一部”なんだろうな」
「自分たちの素材の一部ではあるけど、どこまでが一部か分からんよね」
「……だなぁ」
ユウ兄とのそんな会話が、心に静かに残った。
第4章|ママが語る“3人の父”
「ねぇママ、ちょっといい?」
夕飯のあと、リビングで足を投げ出していたママに声をかけた。
ミオはお風呂、
ユウ兄は部屋に引きこもってYouTubeタイム中。
今がチャンスだった。
「何?また宿題?恋バナ?それとも人生相談?」
「どれでもない。ちょっと変な質問なんだけど……」
私は少し間を置いてから、意を決して言った。
「ママってさ。三人のパパのこと、今どう思ってる?」
ママは、手に持っていた缶チューハイを一口飲んでから言った。
「えー、なんで急にそんなこと聞くの?」
「いや…ユウ兄と話してて。
父親って、なんなんだろうねってなって。正直、よく知らないし、知ろうともしなかったけど、ママがどんなふうに三人のパパたちを見てたのか、ちょっと気になった」
ママは珍しく真顔になり、ちょっと姿勢を整えた。
いつものふざけた返しを予想していたから、ママの様子をみて少し驚いた。
「んー……じゃあ、順番に話してあげよっか」
「うん……」
「まず、ユウの父親。真面目だったよ。身長が高くてスーツが似合っててさ。でもね、神経質すぎた。あの人、私が唐揚げにケチャップかけたの見て、“育ちが出るな”って言ったのよ」
「え、それで別れたの?」
「それが決定打じゃないけど、まぁ…些細な価値観ってやつよ」
「次に、あんたのパパね。アーティスト気質のプログラマー。なんか知らないけど、すごいプログラムを開発したとかで、なんとか賞とか取ってた。優しくて、理系なのに文系の脳みそを持ってる感じ。わかる?」
「複雑……それで、イケメンだった?」
「まぁ、そうね。人並みに良かったんじゃないかなぁ。でも、生活力がないのよ。才能あるのに、それを活かしきれないっていうの?そういう感じ。」
私はなんとなく黙って聞いていた。
「最後が、ミオの父。キャバクラの黒服してたんだけどね、ミオを妊娠したときに別れちゃった。」
「なんで、別れたの?」
「この人とは続かないだろうなと思ってね。どうせ将来別れるなら一緒になるのやめておこうと思ってね。」
「ミオが生まれたこと知ってるの?」
「うん、もちろん知ってるよ。別れてからも、やり直したいって言われたけどね。断った。たまたま、あなたは父親になれなかっただけよって。」
「それでママ、一人で産んだの?」
「うん、一人で産んだね。」
「ママって、ロックだね」
「まぁ、ロックだな笑」
ママはニヤリと笑って、チューハイをまた一口飲んだ。
「でもさ、どの人のことも、後悔してないって言えるのは、そのたびにちゃんと愛してたからだと思う。」
私は思わず聞き返した。
「え…3人とも?ほんとに?」
「ほんとに。長くは続かなかったけど、それぞれの瞬間は本物だったからね。だから、あなたたちが生まれたときも、間違いじゃなかったって心から思えたの。」
静かな間が流れた。
「パパたちのこと、あまり話してこなかったのは、過去を伏せたかったわけじゃないのよ。今のあなたたちを邪魔したくなかっただけ。でも、聞きたいならいつでも話すよ。隠すほどのもんじゃないから」
そのとき、ミオが風呂上がりに登場し、濡れた頭をタオルでガシガシ拭きながら、リビングのソファにドカっと座った。
「なに?大人の会話?混ぜてよ」
ママが笑って言った。
「今日は、“あんたたちを生んだ三人の男たち”について語ってたのよ」
「え、なんで私も聞きたい!」
「ママは、ミオを一人で産んだんだって」
「え!そうなの?ママってロックだわ」
「私も同じこと言ったー」
ミオとママ、そして私は、三人で大笑いした。
その夜、私はうつ伏せになったまま、枕元のノートにぽつぽつと日記を綴った。
父親って、記憶になくても、私たちの命の一欠片にいる。
でも、それだけじゃない。
ママの話を聞いて、ほんの少しだけ、その姿が見えた気がした。
そして私たちは、たしかにその姿を感じながら、今を歩いてる。
第5章|ママ女王様、授業参観日に降臨
「ママー!お願いだから、今日は普通の格好で来てよ!」
私は、朝から懇願していた。
「昨日の黒のセットアップでいいでしょ。上品じゃない?」
「皮のベルト付きジャケットにレザーブーツのどこが上品なのよ!」
「でもさ、インナーは白シャツよ?ほら、フォーマル寄りじゃない?」
「フォーマルの定義、ぶっ壊れてるってば!」
結局、ママなりに”無難な格好”で授業参観に現れた。
パッと見はシンプルなモノトーンスタイル。
ママが教室に入った瞬間、保護者たちの視線が集中した。
「モデルさん?」
「派手ね…」
「…でも姿勢がいいわね」
ママは、気にする様子もなく、教室の一番後ろにスッと立ち、こっちを見ていた。身長は170cm以上。しかも職業柄、姿勢がいい。
ただ立っているだけなのに、やけに目立っていた。
授業中、先生が
「“しつけ”について意見を持っている人は?」と問いかけると――
「はい」とママが手を挙げた。
「“しつけ”って、どこまでが愛情で、どこからが支配だと思います?」
先生が一瞬たじろいだ。
でも、ママは穏やかに笑っていた。
その笑顔は、たぶん“自信のある自由人”のそれだ。
私は耳から熱くなってきた顔を覆いながら、内心こう思った。
(……やっぱり、来たな。でもまあ、これがうちのママだ)
恥ずかしさと、少しだけ誇らしい気持ちが、
胸のどこかでじわっと広がった。
「深いテーマですね……
ちょっと授業の範囲を超えてきたかもしれませんが(笑)しつけは、やはり“信頼が前提”ですね。」
先生は言葉を選びながら、少し苦笑していた。
けれど、教室の後ろにいる保護者たちの一部には、なぜかウケていた。
「すごいわね、あの人…強そう」
「ハナちゃんママ、ひとりで子育てしてるんですって」
「ああいう人、嫌いじゃないわ」
こういう場面でママは、不思議と人の嫉妬心を突き抜けて、羨望の眼差しで受け入れられてしまう。
「もう、次は来ないでいいからね」
「えー、せっかく楽しかったのにぃ」
「楽しむ場じゃないの!」
「“見られる子ども”の気持ちも味わっておきなさい」
ママはそう言って、私の頭をポンポンとした。
そう。うちのママは、たしかに浮いてた。
でも、どこかカッコよかった。
他人の視線に動じない強さ。
自分の人生を、恥じない姿勢。
それはきっと、私たち子どもにとっていちばんの“しつけ”なのかもしれない。
第6章|家族が揃っていた“こと”にした日
授業参観から数日が経ち、ようやく家の空気が静まり返っていた。
ママは「意外と悪くなかったわね」と言いながら、
リビングでヨガの“戦士のポーズ”をとっている。
ソファにはユウ兄が寝転び、
ヘッドホンでクラシックを流しながら、レポートから現実逃避中。
私はというと、リビングの収納棚を
“なかば強制的に”片づけさせられていた。
「ねぇママ、このアルバム見ていい?」
「うん、もう見られて困るような年頃でもないし」
私は色あせたアルバムをめくり始めた。
案の定、ママがボンデージを身にまとい、決めポーズしている写真が出てきた。
「……うん、見られて困らない年頃って、こういう意味か」と心の中でツッコんだ。
ページをめくっていくと、
七五三、運動会、誕生日パーティー。
誰かが半目だったり、横向いていたり、
食べかけのケーキが写ってたりする。
(相変わらず、みんな自由だなぁ)
その途中、ふと手が止まった。
ページのすみに、見覚えのない男性の写真があった。
「……この人、誰?」
「ユウのパパよ」
スーツ姿で、緊張した面持ちの男性が、幼いユウ兄にミルクを飲ませている。
「あー…なんか真面目そう」
「そう、見た目どおりの人」
次のページには、少し若いママと、赤ん坊の私を抱く男性がいた。
背景は、お台場海浜公園かな?
彼はカメラのレンズを見ることなく、
赤ん坊だった私の顔をニヤリと見ている。
「そして、これがハナのパパ」
「なんか優しそう」
「うん、優しい人だったわよ。とても」
さらにめくると、今度はピシッとヘアスタイルを整えているけど、着ているものはスエット姿の男性と寝起き顔で半目のママが写っている写真があった。
「これは、ミオのパパ。出勤前だったのかしらね?知らんけど」
「なんか全員ちょっとずつ方向性がバラバラだね」
「でも、全員ちゃんと“あの瞬間”は愛してくれたわよ。少なくとも、私はそう信じてる」
私は、並べられた3枚の父親たちの写真を見つめた。
どれも少しぼやけていて、遠くにいるような距離感。
でも、不思議と冷たさはなかった。
そして、その数ページ後にある一枚の写真に目が留まった。
「……あれ?」
私、ミオ、ユウ兄、そしてママ。
全員が並んで写っている。
ミオはママに抱っこされて、私は半笑いでピース。
ユウ兄はちょっと斜めを向いている。
ぎこちないけど、確かに“家族写真”だった。
「ママ、これって……いつ撮ったやつ?」
「ん? ああ、それね。合成よ、Photoshopで合成した」
「……え?」
「3枚の写真をくっつけたの。家族写真が必要でね」
「なんで……?」
ママは「わしのポーズ」をしながら、静かに笑った。
「ミオが保育園のとき、“家族写真を持ってきてください”って言われたの。でもうち、全員が揃って写ってる写真が一枚もなかったのよ」
「それで……作ったの?」
「そう。ミオが嬉しそうに持っていったのを見て、“あ、これでいいんだ”って思ったのよ」
私はもう一度、その写真を見つめた。
確かに自然だった。光の向きも、目線も、色味も。
でもその日、みんなが揃っていたわけじゃない。
……だけど、なぜか温かかった。
「記憶って、事実だけがすべてじゃないでしょ?
“そうだった気がする”っていう想いが、私たち家族をつないでるのよ」
「……でも、それってちょっとごまかしじゃない?」
「ううん、ごまかしじゃないよ。
“残しておきたい形”があるってだけ。
それがたとえつくりものでも、“家族だった”って思えるなら、それで充分」
私は黙ったまま頷いた。
ママがふとつぶやいた。
「当時はね、大人になったあんたたちがこれを見て、『うちの家族、なかなか悪くなかったよね』って思えたらいいなって思ったの」
「……それ、ちょっと泣きそうになるんだけど」
「でしょ?
撮るより、作る方が難しい家族写真って、なかなかおしゃれじゃない?」
私は思わず笑ってしまった。
そして、その写真をそっと抜き取り、
自分の部屋の壁に貼り、下に小さくメモをつけた。
《家族が揃っていた“ことにした”日》
次に家族写真を撮るときは、きっとほんとうに、カメラの前で全員で笑っている気がした。
ママの作ったこの“残しておきたい形”が、そう思わせてくれた。
第7章|ママの“女王論”
学校から帰ると、キッチンには湯気が立ちこめ、ママの背中が見えた。
「ただいまー。……って、なに煮てるの?」
「ん?縄よ」
「……縄?!」
「そう。今度のショーで使うやつ。
煮て柔らかくしておくとね、人の肌にあたったとき、傷つけないのよ」
ママはあくまで自然体でそう言って、菜箸で湯の中の縄をくるくると回していた。
「これも愛なのよ。
愛がないと、いい縛りはできないの」
ママの言ってることは、正直よくわからなかった。
でも要するに、ショーで使う縄を肌に優しくするために煮てる。
うん、たぶんそういう世界なんだと思う。
ショー、というのはママが経営する“Queen’s Haven”で、
夜な夜な繰り広げられるステージのことだった。
そこは、いわゆる“ショー型”のSMクラブ。
国内外に常連客を抱え、
客層は官僚、医師、弁護士、経営者、そして外国人。
表の顔とはまるで異なる世界に、自分の“裏”を預けに来る人たち。
ママはそのすべてを、“支配”ではなく、“受容”で扱っていた。
ママがこの仕事をしていることは、小学校高学年のときに知った。
最初は「深夜営業のクラブ」という程度の認識だったが、思春期を迎えたころ、私はなんとなくすべてを察していた。
そして今では、当たり前のように、
「SMショークラブ経営者であり、女王様である母」として受け入れている。
もちろん、学校で話すことはない。
だけど、誇れないとも思わない。
なにせ、ママはこの店を本気で人生の舞台として生きているのだから。
「人ってね、命令されたがってるわけじゃないのよ」
「え?」
「“理解されたうえで命令されたい”の。
だからこそ、そこには信頼が必要なの」
「……なるほど」
ママの“女王論”は、たまに人生に効く。
「うちの常連さんたち、みんな言うのよ。“あなたの前だと楽になれる”って」
「それ、女王様として正解?」
「違うわよ。“人間として正解”なの」
ママは笑いながら、乗馬ムチをキャリーバッグに詰めた。
ふと、私は尋ねた。
「ママ、なんでこの仕事に誇り持ってるの?」
ママは、動きを止めて言った。
「だって、誰かに必要とされてるってことじゃない」
「うん」
「それにね、“この仕事を隠さないでいられる家庭”って、なかなかないのよ。あなたたちの理解があるから、私は堂々とやれるの」
「……そっか」
“私たちの理解があるから”
その言葉が私の心に沁みていった。
ママが出かける支度を終えたあと、私は玄関で見送った。
黒いスーツに身を包んだママは、
凛としていて、でもどこか優しい表情だった。
「じゃ、行ってくるね。今日のテーマは“沈黙と服従”よ」
「知らんがな」
ママは笑って、ハイヒールの音を響かせながら夜の街へ消えていった。
その背中を見ながら、私はこう思った。
この人は、他人の“弱さ”を恥じゃなく、“個性”として受け入れてきた人だ。
それが、ママのやり方だった。
第8章|最後の“家族写真”
葬儀の朝は、不思議なほど澄んだ空気に包まれていた。
いつもはてんでバラバラな三兄妹が、
この日ばかりは、驚くほど静かに、同じ時刻にそろっていた。
スーツ姿のユウ兄と、制服を着た私たちの姿は、見慣れないほど“きちんと”していて、だけど、どこか落ち着かなかった。
「ミオ、ピン留め、逆。左右違うよ」
「え、ほんと? 」
「鏡見てやりなよ」
「今日は鏡、見たくない顔してるんだよ」
ユウ兄は、少し窮屈そうに喪服の襟を直していた。
「喪服って、なんか皮膚に合わない」とつぶやきながら、慣れない手つきでネクタイを締め直している。
祭壇に飾られたママの遺影は、
真っ白なTシャツに肩までのウェービーヘア。
そして、いつもの満面の笑顔。
家で私たちと過ごしていたときの、自由で優しい顔だった。
その写真を選んだのは、ミオだった。
「ママが”普通のお母さん”っぽく写ってる写真、これしかなかった」
そう言って、少し照れながら出してきた。
ママは普段、写真にうつるのが苦手だった。
「写真うつり悪いんだよね〜、実物が美人だからかなぁ」と、いたずらっ子のように笑っていたママ。
葬儀という、ママとのお別れ会は滞りなく進んだ。
親族の少ないうちの葬儀は、形式的なことにこだわらず、
ママを知る人たち、店のスタッフ、
古い友人、“謎の外国人”まで様々な人が来てくれた。
中には、明らかに“異空間から来た感”のあるレザージャケットの女性もいて、ちょっと戸惑った。
「お母様に、教育されました。感謝してます」
そう深々と頭を下げる彼女に、私はただ静かに会釈を返した。
誰にも知られていないところで、ママは誰かを支えていた。
式が終わったあと、私たち三兄妹は、ママの骨壺の前でぽつんと立っていた。
そのとき、ユウ兄がふいに言った。
「写真……撮っとこうか」
「え?」
「せっかく全員そろってるんだし。
オカンがいたらさ、きっと“撮りなさい”って言うと思う」
「言うね。絶対言う」
ミオは涙ぐみながら笑った。
「じゃあ……撮る?」
私は頷いて、母の遺影の前に三脚を立てた。
カメラにピントを合わせ、セルフタイマーを10秒にセットする。
兄と妹と私。
そして中央には、ママの遺影と骨壺。
カシャッ。
やはり、まともな写真にはならなかった。
ミオは目をつぶってしまっていて、
ユウ兄は首がちょっと斜めに傾いていた。
私は中途半端な半笑い。
だけど、それでもよかった。
ママなら、きっとこの写真を見て、
笑いながら言うだろう。
「ほら、ちゃんと家族じゃない」
その夜、私はその写真をプリントアウトして、ママのアルバムの最後のページにそっと差し込んだ。
その下に、一言だけ手書きで添えた。
《ピントは少しずれてる。でも、ちゃんと写ってる。》
エピローグ|これからも、写真は増えていく
ママがいなくなっても、私たち家族は終わらない。
むしろ、ママが残してくれた
“笑いながら生きる方法”が、私たち兄妹を静かにつないでくれている。
家族写真は、これからも増えていく。
完璧じゃなくていい。
構図が崩れていてもいい。
だって、そこに“私たちらしさ”が写っていれば、それで十分だから。
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