山伏女将はセンス・オブ・ワンダー豊かな"普通の"女性
昨年10月偶然かつ必然の流れで出会った、金峯山寺でゲストハウスを営む山伏女将。半僧半俗を基本とする吉野の修験道にあって、”普通の”感覚を持ち合わせたふーさん(片山文恵さん)の言葉は、私たちの日常から遠いものではなく、身近な感覚として、すっと入ってくる。
結局「お山がきれい」ということ
会社員を経験した後に、ゲストハウスの女将になり、5年前に得度して、山伏となったふーさん。宗教的なこと、ザ・山伏のような話をできる方は、他にもたくさんいるから、自分は1人の人として感じていることを大切に声を出すと言ってくれる。
一度ふーさんとちょっと自然のある小道を歩いたことがあるが、地衣類や石など、普段私たちが目にしていながら、全く気づいていない身近な存在について、キラキラした目で話してくれた。それは、まさしく「センス・オブ・ワンダー」。そして、不思議と横にいる自分の感覚も開かれる感じがする。

山伏の修行では、「お山」に入る。ふーさんは師匠から、"山という総体が「お山」ではなく、そこにある菌類や虫などの小さいものから、岩や木のような大きいものまで、1つ1つが神や仏が宿る「お山」なのだ"と教わったそうだ。それこそ、太陽や風さえも。そうすると、「お山」への入り方が自ずと変わってくるという。
ふーさんはいつも「お山がきれい」と言う。神や仏で、いのちであふれた「お山」をふーさんの「センス・オブ・ワンダー」と一緒に歩いたら、私たちの何が開くのだろうか。
行ったり、来たり
半僧半俗というのは、日常的に「行ったり、来たり」していることだと思う。山伏は、神仏とのパイプ役とも言われるらしいが、聖なる場所と、俗世を行ったり来たりする有り様は、まさにパイプだ。普段私たちが日常で到達し得ない領域を感じた人が、隣に、普通の人としていてくれる。

「行ったり、来たり」は修行の中にもあるようだ。ふーさんが師匠から教わったことの1つに「偏らない」というものがあるらしい。「お山」が大切だと言っても、「お山」にだけ入っていればいいわけではなく、お経を読んだり、その他の修行をすることで、「お山」での気づきが大きくなるという。
それは、私たちの日常でもそうなんだろう。本を読んだだけでは何も変わらず、毎日の生活での実践されることた大切だ。でも、その実践の上で、また本に戻るとより理解が深まるといったことがある。
「行ったり、来たり」で見えてくる世界がある。
修行で入るスイッチ
「山伏修行は辛そう」確かにそんな感じがする。でも、当然のことながら、闇雲に厳しいわけではないはずで、ふーさん自身の感覚から「この修行は、こんなことに気づかせてくれるためにあるのではないか」と思うことがあるそうだ。

山伏の修行は、人間としての叡智の1つなんだろうと思う。どうやったら、自分の感覚を開いていく事が出来るのか。長い年月をかけながら、あるいは、一瞬のひらめきの中で、人の中に眠る能力を引き出す道筋を見つけて来てくれたのではないかと想像する。だからこそ、今でも生き続けているはずだ。私たちは全員が修行することはできないし、そうする必要もない。全員が山伏になってしまったら社会は回らない。社会があるから山伏がいる意味があり、山伏がいることで、聖と俗の間にパイプが通るのかもしれない。
先が見えない今だからこそ、「センス・オブ・ワンダー」
コロナの時代になって、先が予測しにくくなって来た。いや、未来など本来誰にも予想できるものではないから、その事実を思い出させてもらっただけなのかもしれないが。
でも、これまでの定石が通らないことは確かで、風を読み、新しい空気を感じる必要がある。
先が見えない今だからこそ、私たち1人1人が「センス・オブ・ワンダー」を開いて行く事が必要だ。人間に備わっているギフトとしての感性を。ふーさんといるとそれが、できるような気がする。私たちから遠くない"普通の"女性のふーさんだから。

ふーさんが山伏修行や日常の中で感じることをシェアしながら、感性を開いて行くプログラムが、2022/3/22〜始まります。ご興味のある方は、matina8092000@yahoo.co.jpまで、お問い合わせください。
