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家庭科の宿題で家の間取り図を提出した話

東京にあった私の実家は狭かった。
今なら首都圏の狭小住宅には見かけるサイズだが、五十年前には画期的な狭さだった。
兄は二階の六畳間を与えられたが、私は縁側みたいな細長い場所に机を置かれた。明るいだけが取り柄の、障子一枚で父母の部屋と仕切られた場所。布団を敷くと横が折れ曲がるから、結局寝る時は母の隣だった。マンガをこっそり読む時の部屋になっていた。こっそりになっていないんだが。

父は自営業で事務所を借りていたから、自宅はこのサイズが限界だったんだろう。
私にとっては何でもない空気のような日常の一部分に過ぎなかった。そう全然気にしていなかった。

ある日、中学の家庭科の授業で家の間取り図を描く宿題が出た。今なら個人情報の最たるものとして守られるべきプライバシーだろうが昭和は違った。
父は仕事で図面を引いていたので全面的に手伝ってもらって正確な間取り図を提出した。あろうことか家庭科のノザワせんせーがその図面を突き返してきた。
「これ、間違ってるから。こんなに狭いのはオカシイわ。描き直してきて。」

え?え?えーーーっ?
何がダメ⁈絶対あってるよ。だって父が図面引いて建て増しした家なんだから!その本人(父)が間取り図書いたんだけど!
そんな事情は言えなかった。
何よりショックが大きすぎて言葉を失った。

自宅コンプレックスの始まりだった。
小学校の時は友達を呼んでいたけれど、その事件以降は家に人を呼ぶのをやめた。呼ばれて行った友達の家は確かに広かった。兄が平気で友達を家に連れて来るのが恥ずかしかった。
大学生になってデートで車で送ってもらう時も、うやむやにして隣の家の前で降ろしてもらった。
私の家はとっても狭くて、私は自分の部屋と言える部屋がない。それは恥ずかしいことで、友達には隠さなくてはいけない。
そんな妙な思い込みが多感な時期に植え付けられてしまったのだ。

全ては教員のノザワの一言のせい‥‥そこまで思わなくなったが、しこりが残っているのは間違いない。先生って恨まれる仕事でタイヘンだろうな、ぐらいに今は思っている。(素晴らしい先生にも出会った、それはそれ。)

大人になったから理由も考慮できる。
まず、私立の伝統ある女子校は”良いおうちの子”が多い。なんなら教員も家柄がいい。昭和は特に私立の特別感が強い傾向があった。
昭和の時代は先生の立場は絶対的なものだったし、ノザワせんせーにとっては何気ないひと言だったんだろう。とにかく相性は悪かった。
二つ目の理由。
私の実家の狭い敷地に六畳間を4つ作るのは手品みたいな話で、昭和時代に父の力作は信じてもらえなかったのは仕方ない。廊下もなく脱衣所もなくトイレは階段の傾斜の下だった。今ならこういう家も都会には珍しくないけれど。
だが狭いなりにセントラルヒーティングの冷暖房が完備された最新設備の家だった。なぜなら父の仕事の実験場だったから。タイマーも父の手作りで、エアコンや炊飯器に取り付けられていた。住み心地は悪くなかった。蛇足。

あの宿題の再提出はたぶんしなかった。
「間違ってません」を伝えたのかも覚えていない。
私は記憶力が悪い。部分しか覚えていられない、いつも。

ちなみに今も同じサイズの家に住み、自宅に私の部屋はない。まあ母親はそんな立ち位置になりやすい。今の日本でお母さんの一人部屋の保有数はどれくらいの割合なんだろうか。私のママ友では聞いたことがない。レアであることは想像に難くない。

でも秘策がある。
私は五年前頃からしばらくの間、週末だけコワーキングスペースを契約していた。
「主婦・アルバイト」と申込み書に書いた。「資格取得のため」とも書いておいた。書類は通った。ほら大丈夫。
Wi-Fiは強いし、コーヒーは飲み放題。プリンターも無料だった。コンビニ弁当を食べるスペースもあるし、寝るにはもってこいの静かさだ。しかも通年24時間営業というデジタル化の進んだコワーキングスペースだった。

そして今もいろいろ画策している私。
このままでは終われない。
独立した自分の部屋!一人暮らしも夢じゃない!
歩けるうちに手中に収めてみせよう、ほととぎす。

#なんのはなしですか
#なんのはなしです家