就活に失敗した自分が、意図せず編集者になったきっかけ
Twitterのプロフィール欄に「就活に失敗して意図せず編集者になった」と記載していたところ、「当時の話を書いてみたら?」とアドバイスをいただきました。なるほど。
自分語りにはニーズがないと思っていたのですが、そのように言ってくださって、とても光栄です。以下、本当に自分語りですので興味のない方は本当に「戻る」ボタン押していただいて結構です笑
「この会社、ヤバいかも」内定式でこみ上げた不安
僕が大学を卒業したのは2010年。リーマンショックが起こり、前年の先輩たちの状況から一転、就職氷河期が再来したというタイミングでした。
それなりの大学に通っていたので、友達たちはみなメガバンクや大手損保とかに内定を決めていましたが、自分には体育会系な営業職や、数字の世界の銀行員には向いていないなと思い、最終的に入社を決めたのは、都内にある小さな人材紹介会社。
第一志望の大手に受からなかったという要因ももちろん大きかったですが、まだベンチャーであり頭角を現しやすそうな規模だったのと、事業内容や企業理念への共感もあって、入社を決意しました。あまり知られた会社ではなかったものの、採用面接であった人事担当者や先輩社員はキラキラ輝いているように見えましたし、若い会社だからこそ、自分が苦手な体育会系的な上下関係や、慣例もなく、自由に働けそうだ…なんて思ったことを覚えています。
が、そんな思いが見事打ち砕かれたのが、内定式でした。
今思い返すと大したことではないのですが、合宿形式で行われた内定式では「ビジネスの世界は戦場です。あと半年で決意を固めなさい」と、管理部の偉い人からの訓示が。
その日夜行われた懇親会では早速偉い人たちへのお酌なんかをてきぱきとこなす同期の姿があり、こんなベンチャー企業でも、昭和的な頑張り方がまだまだ求められるのだなと、衝撃を覚えたのです。
こんなことなら、内定をもらっていたほかの大手に手堅く行っておけばよかったかもしれない―。そんな絶望感が去来しました。
人はどうやったら絶望に打ち勝てるんだろうと必死で考えた
内定式から帰ってきた後、僕は大学の同期と会うのもおっくうになってしまいました。自分の会社のことについて聞かれたらどうしよう。来年4月からの社会人生活のことなんて想像もしたくない…そんな気持ちになってしまっていたのです。
人に会うのもおっくうな状態だった当時の僕は「こんなうつ状態じゃ4月からの社会人生活どころか、そもそも人として終わる!!」と、手当たり次第に本を読むようにしました。
当時の僕にとっての最大の関心事は、「人はどうしたら絶望から立ち直れるのか」ということ(いやどんだけ病んでたんでしょうね)。苦労して入った大学で就活に失敗した挫折感は非常に大きかったものの、「自分よりもつらい境遇にあった人たちはどうやって絶望から立ち直ったのか」を探りたくて、病に侵された人の闘病記や戦争中の話などなど、とにかく絶望から復帰した人たちの本をたくさん読むようにしました。その中で目に留まったのが、ヴィクトール・フランクルという精神科医が著した『夜と霧』という本でした。
「目的意識を持つと、絶望から立ち直れる」
ご存じの方も多いかもしれませんが、『夜と霧』は、アウシュビッツから生還したオーストリアの精神科医のヴィクトールフランクル氏が表した著作。
アウシュビッツに収容されたフランクル氏は、筆舌に尽くしがたいような絶望の淵に立つわけですが、一方、強制収容所での出来事や自身の精神の変化をいつか本にしようと思い立って以降、人生に目的意識が芽生えて、つらい境遇の中でも強く生きていこうという覚悟を決めるようになったそうです。
「意味を見いだせれば人はどんな境遇にいても頑張れる」ということなのですが、この本を読んだときは衝撃でした。こんな絶望的な状況でも、人生に意味って見出せるんだと。同時に、今の自分にしかできないことが何かあるはずだと思うようになりました。
自分の苦手分野を痛感していることが、自分の強みだと思った
そして考えた結果たどり着いたのが、「体育会系の世界では自分は戦えないということを知っているんだから、そこじゃないところのスキルをできる限り高め、自分の得意分野で戦うようにしよう」ということでした。端的に言えば、お酌をしたり、偉い人を引き立てるようなコミュニケーションが苦手なんだったら、ガリ勉らしく、頭脳労働で勝負すればいいじゃないかと腹をくくった、という感じでしょうか。
以降、僕は大学4年の12月くらいからMicrosoft Officeの勉強を進め、特にエクセルについてはマクロの入門あたりまで勉強したり、簿記を取ったり、マーケティングの基本的な理論をまとめた書籍、つらいときのモチベーションの高め方や仕事論みたいなものを読み漁るようになりました。こんなもの、本で学ばず実践が大事だ…とは思っていたのですが、当時の自分はがむしゃらでした。頭でっかちでも何かしていないと不安がこみあげてしまうのですから。
内定先の企業からは1月ごろ、配属先の希望部署をたずねるアンケートが送られてきました。採用面接のときには営業職として働きたいと答えていた僕でしたが、当時はもう、体育会系の世界で自分がやっていけるわけがないと確信していたので、「人事」「総務」「営業サポート」など間接部門での勤務を希望。おそらく人事の方も、「コイツなにかあったな」と思ったのか、最終的な配属は、「営業サポート部門」に決まりました。正直なところ、新卒で配属される部門としてはかなり出世コースではない…というか、期待の少ない配属だったと思います。
営業サポート部門に配属され、2週間で異動に
そして迎えた、4月からの社会人生活。同期の多くが営業部門で活躍する一方で、僕は一人、営業のサポート部門に配属され、社内の営業人員の営業成績をまとめたり、社内データベースの更新作業などを行う仕事をはじめました。
そしてここで、うれしい誤算(と言っていいのかわかりませんが)が起こりました。もともと超絶営業会社だったということも大きかったのでしょうが、社内の人々、本当にExcelが使えない、アナログな方が多かったのです(いやまじかよというレベル)。大学4年生で必死で学んだマクロ等の技術を用いて、それまで何時間もかかっていた作業を自動化させたり、営業人員の生産性を測るためのツールを土日かけて開発してみたり、何というか好き勝手やればやるほど褒められる循環に入り、入社して数日で「会社に来るのがマジで楽しい」というまさかの事態に。特に評判が良かったのが、毎日の日報で、その日の分析を通じて見えてきた部署内の課題や、フロー改善案などを無邪気に書いていたら社内で気に入られ、「続きが楽しみ」と言われるようになったのです。
次第に各部署から相談を持ち掛けられるようになり、改善提案を求められるようになりました。新人の自分にこんなにも期待してくれる人たちがいる。内定式だけで絶望していたけれど、あれは本当に表面的な判断だったんだなと、自分の視野の狭さも実感しました。というか、今こうして活字で読むとすごいいい会社ですね。
「新設の編集部への異動してみないか」と話をいただくことになったのは、新卒社員として入社して2週間後のことでした。急展開過ぎてすごく驚きましたが、これも何かの縁だと思い、それ以降、編集者として働くようになりました。
あれから10余年 当時を振り返って
あれからもう10年以上たちます。もうすでに1社目の企業から転職をし、現在東証1部のそれなりに大きな企業の編集部門にて、編集者として働いています。異動し編集者になってからのことは、改めて記事にさせて至ればと思いますが、現在も比較的順調に、楽しく仕事ができている方だと思います。
かつて僕が陥っていたように、内定ブルーに陥っていたり、現状の閉塞感に打ちひしがれている方もいるかもしれません。そんなときはぜひ、「自分がなぜその会社に行きたくないのか」を徹底的に考えてみるとよいのでは、と思います。それでも合わないのであれば、進路をもう一回考え直したっていいかもしれません。自分の向き不向きや、仕事に対する率直な気持ちに気づけただけでも、大きなアドバンテージ。挽回なんていくらでも可能ですから。
