4年前にもnoteしてたらしい。知らんけど。
びっくりした。自分でも。
Googleのパスワードマネージャーの優秀さにも舌を巻いた。
ふと思い立ってnoteでもしてみるかとブラウザからnoteにアクセスしてみた。会員登録のボタンを押してみたら、なんとGoogle君(ツールとかアプリを君付けで呼ぶのなぜかやってしまう。Twitter君とか。)が私が4年前に登録したnoteのIDとパスワードを記憶していて、気付けばこのアカウントにログインしていた。バッジ獲得!のポップアップも出た。スキされた数のやつ。4年前に私が投稿したらしい記事にちょっとだけいいねがついていて、火曜日の夜という1週間の中でも取り立てて特徴のない時間帯に棚ぼた的な嬉しさをもらった。そういやnoteってスキなんだ。いいね!じゃなくて。
「pixivでブクマ3桁いく方法」
↑これが4年前に投稿した記事らしい(全然読まなくていいのであえてリンクは貼らない)。
らしい、と他人事みたいに言ってはみたもののこの記事を書いた当時のことは割とよく覚えている。人生の中でもっとも二次創作に命を懸けていたときに書いた記事だった。他人事にしたかったのは、学生だった私も今は社会人になっていて、何より二次創作からも足を洗っていて(足を洗うという表現が正しいかどうかはこの際置いておく)、とにかく記事を書いたころの自分のことが文字通り他人のように思えたからだ。
自分が書いた文章を数年越しに読む羞恥心というのはだれしもが共感してくれると思う。しかもpixivでブクマ3桁いく方法とかいう承認欲求に苦しんでそうな記事なら尚更。でもせっかくスキのバッジももらったことだし、どうにかこうにか読み返してみた。案の定若かりし頃の自分に対する羞恥心にしばし打ちひしがれた。長女だから耐えられたし、グッピーなら死んでいた。
まあ、それだけ本気で取り組んでたのかな。なんて甘い評価をしてみる(他人に厳しく自分に優しくをモットーに生きることとしているため)。どこまで行っても二次創作は二次創作だけど、とはいえ我ながらよく書いてたと思うし、その分苦しんでもいたんだと思う。誰でも(長女でも?)わかる小説の書き方みたいな本を大学の図書館で何冊も借りていたし、毎日一本小説書く!なんて縛りをつけて自分の呪力を底上げできないか試したりもしていた。ブクマがほしくて、自分の実力を認めてもらいたくて、とにかく必死だった。たかが二次創作、されど二次創作だ。
4年という歳月を経て思うところが多くなりすぎて二次創作を書けなくなってしまった私からしてみれば、当時あれだけ二次創作を生きがいにしていた「私」はまさしく他人というほかない。あの頃の自分の情熱はもう二度と再現できないわけだし。
でも、二次創作という特殊なフィルターを外して考えてみれば、私自身の根っこの部分は実はなんら変わっていなかったりする。非常に残念だ。pixivでブクマ3桁ほしかった当時の私は、二次創作から足を洗った今でも変わらずpixivでブクマ3桁ほしい私でしかなかった。だって記事読んでからめちゃくちゃpixivでブクマほしくなってきている。もう長いことpixiv開いてなかったのに。おい、そこの指とまれ人差し指。
というかnoteをふと始めてみようと思い立ってしまった時点で終わっているのだ。4年前の自分もこんな風にnoteをふと始めてみようと思い立ってしまったんだろうよ。どこが他人だ。
わたしがわたしである限り、自分の文章を認められたいという欲求は今後もきっと形を変えて出てきてしまうのだろう。
小説。短歌。エッセイ。日記。
なにか一つくらいは、当たんねえかな。
