気が狂っているから満員電車に乗れるのだ
満員電車に乗るたびに思う。これは正気の沙汰ではない。
誰がこんなものに耐えられるのか? 誰が自ら進んで、あの圧迫地獄へと身を投じるのか? だが私は知っている。毎朝、数百万人の人間が何事もない顔でこれに乗る。そして私もまた、何事もない顔でそれに加わる。そう、結局のところ我々はすでに狂っているのだ。
なぜなら、満員電車に乗るという行為は理性の力だけでは説明できない。
狭い車両に押し込められ、他人の汗の匂いにまみれながら、動くこともままならず、無表情でただ揺られている。これはまるで、無数の人間が精神の牢獄に囚われているかのようだ。それなのに、誰も騒がない。叫ばない。暴れない。ただひたすら耐える。なぜか? そう、「気が狂っているから」だ。
もしも我々が本当に正気であれば、こんなものに乗れるはずがない。
駅の改札をくぐった瞬間に「あっ、無理です」と言って引き返すはずだ。あるいは、あの車両の惨状を見た瞬間に「もうダメだ、人間を辞めます」と言って森へ逃げ込むはずだ。しかし、誰もそうしない。むしろ、平然とした顔で列をなし、「どれだけ詰め込まれても自分は大丈夫」という謎の自信を持って乗車し、そして降りたら降りたで何事もなかったかのように仕事に向かう。
これはつまり、すでに狂気が我々の日常に組み込まれているということではないか?
例えば、動物園のサルに同じことをさせたらどうなるだろう。
10匹のサルを小さな檻に押し込んで、何駅も揺らし続けたら? きっと彼らは大騒ぎするだろう。叫び、暴れ、噛みつき合い、ついには檻の隙間から脱出しようとするはずだ。彼らにとってこんな環境は異常なのだ。
だが人間は違う。満員電車に揺られながら、スマホを見たり、イヤホンで音楽を聴いたり、果てはその状態で眠る者までいる。そう、我々は狂っているのだ。狂気が習慣になると、人はそれを異常と思わなくなる。
私は時々、この国がどこか別の惑星にあるのではないかと思う。
地球ではなく、狂気の星だ。ここでは、狂っている者だけが社会に適応できる。常識を疑わず、理不尽を受け入れ、満員電車を当たり前と思える者だけが生き延びることができるのだ。まるで異星人の実験場だ。彼らは、我々がどれだけ異常な環境に耐えられるかを試しているのかもしれない。
もしあなたが満員電車に乗りながら、「いや、私は狂っていない」と思うならば、少し考えてみてほしい。
あなたは今、他人の腕が自分の身体に食い込んでいるのに気にしていない。他人の髪の毛が顔にかかっているのに、表情ひとつ変えない。あなたの体温と誰かの体温が溶け合い、どこからが自分の身体なのかわからなくなっているのに、それでも耐えている。それを正気と言えるだろうか?
結論はひとつしかない。
気が狂っているから、満員電車に乗れるのだ。
