【名言集】漫画『チ。ー地球の運動についてー』名言集(ネタバレ注意)
『チ。』の舞台は、「天動説」が信じられている中世ヨーロッパ風の世界。異端思想とされる「地動説」を継承する人々の数奇な運命が描かれる。アニメ化もされ、サカナクションによる主題歌「怪獣」も話題になった。
この物語の魅力のひとつは、「善と悪を安易に分別しない」というところかもしれない。
たとえば、「主人公たち」を追い詰める異端審問官のノヴァク。この人物は明らかに「悪者」として描かれるのだが、一方で娘を愛し、「自らの信じる正義」を遂行する者でもある。
そんな彼の最期は、解釈の分かれそうな描き方をされている。キリスト教をモデルにしているようでありながら、僕はそこに、親鸞の「悪人正機」の思想を見た気がした。
「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」
すなわち、「善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさら救われる」という思想である。
ノヴァクは、死の間際にこうつぶやく。
「気付いたよ。全く予想外だったが、私は、この物語の悪役だったんだ。クソ……全く驚きだ」
物語を俯瞰する読者にとっては、「何を今さら……」である。だがその「俯瞰した認識」は、すぐさま読者自身に跳ね返ってくる。
「そう考えているお前の認識は、本当に正しいと言えるのか?」
「お前も、本当は『悪役としての人生』を生きているのではないか?」と。
「悪人正機」の解釈にはいろいろあるが、そのひとつは次のようなものである。
「悪人は、自分の醜さを自覚するがゆえに、仏の慈悲、すなわち他力に委ねることができる。だから悪人は、自力を捨てきれない善人よりも救われる」
ノヴァクは死の間際、まさに「自分の醜さを自覚」した「悪人」であった。それゆえに救いの光が彼を照らした、と考えられなくもない。
そうした「善」と「悪」を区別せず、異なる視点から包含して見せたのが、「主人公」のひとりであるラファウ(ノヴァクの妄想?)である。ラファウは、死の間際のノヴァクにこう告げた。
「僕は同じ思想に生まれるよりも、同じ時代に生まれることのほうがよっぽど近いと思う。(中略)今、たまたまここに生きた全員は、たとえ殺し合う程憎んでも、同じ時代を作った仲間な気がする」
この言葉には、善悪を超越した何かがある。
また、この物語で継承されるのは「地動説」だけではない。登場人物たちの「言葉」もまた継承されていく。それも、「悪人」の言葉を「善人」が引き継ぎ、ときには「端役」の言葉を「主役」が引き継ぐ。
ここにも、「善悪や常識を超越しようとする、作者の意志」を感じる。
さて、前置きが長くなってしまったが、ここからは、僕が独断と偏見で選んだ作中の「名言」をご紹介したい。ネタバレを含むので、まだ読んでいない方は、読了されてから戻ってきていただけると幸いである。
それでは始めます!
不正解は無意味を意味しない。
フベルト(『チ。』第1集)
元学者で異端者とされるフベルト。彼が語る地動説に、主人公のラファウは最初、異議をとなえる。「そんな直感に命を預けるのは、愚かだ」「信じて間違ったらどうするんですか?」と。だがフベルトは「構わない」とつぶやき、この言葉を堂々と言い放った。信念を貫き通した先に「死」があったとして、その選択は果たして「不正解」だろうか。真理とは何か、生きる意味とは何かを突きつけられる言葉である。図らずも、ラファウは彼の言葉を継承することになる。
怖い。
だが、怖くない人生など
その本質を欠く。
フベルト(『チ。』第1集)
「そんな人生…怖くはないのですか?」とラファウから問われ、フベルトが返した言葉。「怖い」と思うことと、「だから、しない」ということは、イコールではない。むしろ「怖い」と思うことの先にこそ、自分が真に求める人生があるのかもしれない。勇気を持たない者に、「真の人生」は望めない。
そして今から、地球を動かす。
ラファウ(『チ。』第1集)
この言葉の前には、次のセリフがある。「——申し訳ないが、この世はバカばっかりだ。でも気付いたらその先頭に、僕が立ってた。本当の僕は、〝清廉〟でも〝聡明〟でも〝謙虚〟でも〝有力〟でもなく、〝横柄〟で〝傲慢〟で、〝軽率〟で〝無力〟で——」。安泰な人生を捨て、真理の探求に命を賭けたラファウ。その絶望と高揚感が伝わってくる。彼はこの時、本当の意味での「自分の命」を見つけたのかもしれない。
多分 感動は寿命の長さより
大切なものだと思う。
——だからこの場は、
僕の命にかえてでも、
この感動を生き残らす。
ラファウ(『チ。』第1集)
地動説を信じていることを宣言し、拷問を受けることになったラファウ。異端審問官であるノヴァクは、「この選択は…君の未来にとって〝正解〟だと思うのか?」と問う。ラファウは、「そりゃ不正解でしょ。でも不正解は無意味を意味しません」と、フベルトの言葉を引用する。そうして自ら毒を飲んだラファウが残したのが、この名言である。生きる意味は、寿命の長さとは無関係なのだろう。
その場しのぎの慰めなんか
現実を変えやしない。
だが、芯から湧き出た苦悩は、
煮詰められた挫折は、
或いは君の絶望は、
希望に転化し得るのだ。
地動説を継承する異端者(『チ。』第2集)
死地へ運ばれる異端者が、警備員として馬車に同乗する男たちに向けて放った言葉。絶望から目を逸らす者に、絶望的な現実を変えることはできない。妄信的な信仰によって慰めを得ようとする者は、「誰かがくれた死後の保証つきの人生を生きてる。そんな人間に希望など訪れない」と異端者は言う。その言葉に逆上する男たちに対して異端者は、「君自身が心の底では、天国を信じ切れてないからだ」と喝破する。自分の本心を騙し続けることは誰にもできない。
君は自分のやってることを
信じて進むんだ。
いざって時、退いたら終わりだ。
コルベ(『チ。』第3集)
天文の研究者であるコルベが、優秀な助手であるヨレンタを励ました言葉。だがコルベは、ヨレンタが書いた論文を、自分の名前で提出する。この励ましの言葉は、「自分の業績のため」でもあったのだ。一方で、女性の論文発表は、異端として殺される危険も孕む。そのリスクからヨレンタを守るため、というコルベの考えも嘘ではない。ヨレンタは心の中でつぶやく。「コルベさんは悪い人だったんだ。……もし、もしそうであってくれたら、どれだけよかったか」。
才能も発展も人生も、
いざって時に退いたら終わりだ。
ヨレンタ(『チ。』第3集)
ヨレンタの父は、学者を目指す娘が魔女と見られるのを恐れ、「何もするな。目立つな。栄光を目指すな」と釘をさす。だがヨレンタは引かず、この言葉をつぶやいた。そう、あのコルベからかけられた言葉である。ヨレンタを利用したコルベの言葉が、ヨレンタの信念を支える。善も悪も、誠も嘘も、真理も虚構も、あざなえる縄のごとく展開し、彼らの人生を翻弄する。
この世は、最低と言うには魅力的すぎる。
ヨレンタ(『チ。』第3集)
「C教」の教えによれば、地球は宇宙の中心、つまり「底辺」にはりつけられている。人間の使命は「汚れた地下」を抜け出し、天国へ行くこと。しかし、ヨレンタは疑問を持つ。その最低な世界で、この世に存在するすべてが美しさを備えているのはなぜか……と。
夢っていうのがあると、
とりあえず一週間くらいは
悲劇に耐えられる気がします。
オクジー(『チ。』第4集)
この世界に絶望していたオクジーだったが、紆余曲折を経て「大学へ行きたい」という夢を持つ。その実感を語った言葉。夢を持ったところで、厳しい現実が変わるわけではない。でも、確かに「何かが変わる」。それは小さなことかもしれない。けれども、進む角度が1度変われば、たどり着く場所は全く変わるだろう。その1度が、天国と地獄を分けるのだとしたら。悲劇は永遠には続かないと、僕はそう信じたい。
『自らが間違ってる可能性』
を肯定する姿勢が、
学術とか研究には
大切なんじゃないかってことです。
第三者による反論が
許されないならそれは————
信仰だ。
オクジー(『チ。』第4集)
研究においては素人であるオクジーが、研究者であるバデーニに向かって言った言葉。反論や訂正をされることが、現状を前に向かわせる希望なのではないかとオクジーは主張する。バデーニはそれに「同意はしない」が、オクジーの言葉が本質を突いていることを認めている。「真理」と「信仰」はどちらが大切なのか。「反論を許さない研究は信仰だ」と主張したオクジーは最後、「俺は地動説を信仰してる」と言い残して死地へ向かった。
つまり俺は、
ちょっと前までは早く地球(ここ)を出て
天国へ行きたかったけど、
今はこの地球(かんどう)を守る為に
地獄へ行ける。
オクジー(『チ。』第4集)
第1集でラファウが言った、「僕の命にかえてでも、この感動を生き残らす」という言葉と呼応する名言。「未来の天国」を捨てでも、「今の感動」を優先する。それが「今を生きる」ということなのかもしれない。そもそも人は、「今しか生きられない」。「感動」は、未来にも過去にもない。生きることの本質は、そんな「真理」と共にある。
今ある規範を疑えないなら、
それも獣と大して変わらない。
オクジー(『チ。』第5集)
「異端」となった理由について、オクジーは「自由に憧れ、求めてしまった」と言う。それを聞いた異端審問官のノヴァクは問いただす。「自由なんて聞こえはいいが、規範がないなら獣と変わらないじゃないか」と。それに対し、オクジーは堂々とこの言葉を返した。「規範」とは何か。「常識」とは何か。「正統」とは何か。それを疑えなくなった人間は、すでに「人間」としての何かを損なっているのかもしれない。
きっと迷いの中に倫理がある。
ヨレンタ(『チ。』第7集)
「信念を忘れたら、人は迷う」と言ったドゥラカに、ヨレンタが伝えた言葉。ヨレンタは言う。「信念はすぐ呪いに化ける。それは私の強さであって限界でもある」と。信念の重要性を理解しながら、その危険性も同時に知るヨレンタ。それは、彼女の過酷な人生によってもたらされた教訓であった。
善と悪、二つの道があるんじゃなく
すべては一つの線の上で繋がっている。
ヨレンタ(『チ。』第7集)
ヨレンタは「創世記50章」の言葉を引用して言う。「神は〝この世にある悪を善に変える〟」。そしてこう続ける。「とどのつまり、人の生まれる意味は、その企てに、その試行錯誤に、〝善〟への鈍く果てしないにじり寄りに、参加することだと思う」。この世界を生きる僕たちは例外なく、「その大いなる流れの中にある」と。善も悪も、同じ場所へとたどり着くひとつの「流れ」なのだと考えれば、僕たちの人間観も少し変化する気がする。
でも、その時にこそ
正しいと思った選択をしなきゃいけない。
きっとその一瞬の選択の為に、
私の数奇な人生は存在する。
ヨレンタ(『チ。』第7集)
混乱して平静を失うような、人生最悪の瞬間。だがその瞬間にこそ、「正しい選択」をしなければいけない、とヨレンタは言う。だが、そんな最悪の瞬間に、どうして正しい選択ができるというのか。ヨレンタは言う。「積み上げた歴史が動揺を鎮めて臆病を打破して思考を駆動させて…いざって時に、退かせない。全歴史が私の背中を押す」。この思想には、かつてヨレンタを利用しようとしたコルベの影響が感じられる。清濁併せ呑む人間の歴史。その延長線上の最前線に、僕たちは立っている。
僕は同じ思想に生まれるよりも、
同じ時代に生まれることのほうが
よっぽど近いと思う。
……今、たまたまここに生きた全員は、
たとえ殺し合う程憎んでも、
同じ時代を作った仲間な気がする。
ラファウ(ノヴァクの妄想)(『チ。』第8集)
死の間際のノヴァクの妄想として現れた、ラファウの言葉。この言葉は、「善と悪、二つの道があるんじゃなくすべては一つの線の上で繋がっている」というヨレンタの言葉とも響き合う。長い歴史の中で見れば、一人の人間の選択など、とるに足らないことかもしれない。一方で、そんな一人ひとりの選択の総体が、人間の歴史を作ってゆく。それぞれの選択に影響を与え合う、同時代に生きる人々。それは確かに「仲間」なのかもしれない。
知が人や社会の役に立たなければ
いけないなんて発想はクソだ。
ラファウ(『チ。』第8集)
好奇心だけで天体の記録をつける少年を、ラファウはこの言葉で励ます。人を助ける訳じゃなくても、信仰の役に立たなくてもかまわない。「知りたいからやる。それだけだよ」「僕は何があろうと、君の好奇心を否定しない」。ラファウの言葉は、少年に勇気を与える。だが、無条件な知の探求が悲劇を生むこともある。それを少年に教えたのもまたラファウであった。
以上、僕の独断と偏見による『チ。』名言集でした。
漫画を改めて読み直してみると、他にも面白い言葉がたくさんあった。今回は「善と悪」に焦点を当てた名言が多くなったが、読み方によっては、全く別の名言がたくさん見つかると思う。
ぜひ、あなた独自の視点で、『チ。』の名言を探してみてほしい。
最後まで読んでくれてありがとうございました!

