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寒さの中で育った

「大丈夫だったよ」と答えてしまう理由
311で家族が行方不明になった人に、
「家族は大丈夫だった?」と聞くと、
本当は大丈夫ではなかったとしても、
「大丈夫だったよ」と答える人がいる。

それは、嘘をつきたいからではない。
重い話にしたくないし、
その場の空気を壊したくないからだと思う。

もちろん、虐待の経験を311と同列に語ることには慎重であるべきだとも思っている。
同じではない。
決して同じではない。

ただ、

「重すぎて語れない」
「説明すると場が止まってしまう」

そういう状態に置かれる、という点では、
近いものがあると感じることがある。

虐待を経験した人も、少し似た立場にいる。

「なんで実家に帰らないの?」

そう聞かれたとき、
本当の理由があっても、
「ちょっと複雑で」と濁すことが多い。

詳しく話せば、
相手を困らせてしまうことが分かっているからだ。

15歳で働き始めた頃のこと。
職場の先輩から、
「いいよな、実家から通えて」
「ご飯も用意されててさ」

そう言われたことがあった。

でも、実際には
ご飯が用意されていることはなかった。

ただ、その場では笑ってやり過ごした。
話してしまえば、とても重い話になると分かっていたから、何も説明しなかった。

当時住んでいた家は、
父親名義の5LDKの一戸建てだった。

母親は生活保護を受給しながら暮らしていたが、
実態は老朽化した中古物件で、
室内にはゴミが散乱していた。

生活環境としては、豚小屋同然だった。

建物には常に隙間風が入り、断熱性はほとんどなかった。

それでも、暖房器具の使用は一切許されなかった。

雪の日でも、
土砂降りの雨の日でも、
状況は変わらなかった。

風呂にも入れない状態が続いていた。

唯一、暖房が使えたのは、
母親に1000円を支払った場合のみだった。

灯油タンクは家には置かれず、
箱型の軽自動車の車内に隠されて管理されていた。

母親はその車の中に、
灯油だけでなく、
お菓子や食べ物なども相当量隠し持っていた。

石油タンクを外したあと、
石油ストーブの底部(油皿)に残る
約1cmほどの残油だけで、

空焚き寸前の危険な状態でも、
約1時間使用できる、という条件だった。

家には常に隙間風が入っていたため、
結果的に一酸化炭素中毒には至らなかった。

1000円を払えないときは、
暖房は完全に禁止された。

さらに、家の一番奥にある二部屋には、
倉庫などで使われる掛け金が取り付けられ、
南京錠で施錠されていた。

その中には、
食べ物や灯油、物品が隠されており、
立ち入りは厳しく制限されていた。

嘘をつきたいわけではない。
同情されたいわけでもない。

ただ、
重い話にしたくないだけだ。

人はときどき、
自分を守るために、
そして場を壊さないために、
本当の背景を語らないことがある。

相手の家庭環境や過去は、
外からは分からない。

だからこそ、
先入観で決めつけないこと。

それ自体が、
ひとつの配慮なのだと思う。

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