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10年近く文章書く仕事をしてきたけどそろそろ限界説

中学生の頃から記者になるという夢を持ち、おおむね叶えてから早10年。

社会人になってから、ほぼ文章を書くことを生業にしていました。

ただ、時代の変化もあるし、担当メディアでは都合の悪いことは書けないゆえに、いろいろと思うこともあります。

今回は、ライターのキャリア論について考えてみます。

私は事業会社の広報やコンテンツマーケティング、マーケ支援会社でのクリエイティブ制作など、仕事のなかで文章を書き続けてきています。

主に問い合わせを取ることを目的に、広報誌、パンフレット、インタビュー、コラム、対談、寄稿、メルマガ、LP、コピーライティング、SEOライティングなど、いろいろやってきましたが、PRやマーケティングについて私が限界を感じるようになってきました。

限界と感じる理由

水物感が増している

一昔前なら、テレビや雑誌、Webでもヒットすれば、多くの人の話題になりました。しかし、今となっては情報があふれすぎて、施策を打ってもほんの一瞬で収束してしまうことも多い。

そのため、自分の文章は、読まれたとしてもすぐに忘れ去られてしまうだろうという半ば諦めの気持ちがあります。

コンテンツは資産というのは実感しつつ、そのうち検索エンジンもchatGPTのようになるかもしれないと思うと、自分が書く文章に、どれだけの人が辿り着いてくれるのか、期待より不安が増しています。

ヒット企画が打てない

ぼちぼち反応をいただけることもありますが、微々たる数字をちまちまと重ねるのみで、ホームラン企画を打った経験がありません。

昔はフットワーク軽く、いろいろな場所に行って、いろいろな人に会い、それを企画のタネにしていたのですが、子育てを機に激減。アウトプットはインプットに比例するため、今はアイディアが枯渇状態で、自信を失いつつあります。

AIとの差別化についていくのがキツイ

AIの文章はぎこちない部分があるものの、精度が増してきていることを感じます。特に、調べれば誰でも分かることは、わざわざライターがまとめる必要はない。代わりに、ネットに転がっていない情報を取ってきたり、深掘りしたりすることが求められている。

そのためには、人の話を聞いたり、自分が経験した一次情報をもとに言葉を紡いでいくことが大事。

ただ、前述の通り、インプットが減ってきてしまっていることと、自分が携わってきたいわゆるエッセンシャルな領域の業界でも、資本主義に侵されてしまっている裏事情を垣間見てしまい、純粋なジャーナリズム精神がすり減ってしまっています。

限界を打破するための解決策

ディレクターというキャリアプラン

直近で、いろいろな方からアドバイスいただいているのはディレクターという方向性です。

いやいや、私はものすごくコミュ障で根暗だし心底向いていないと思っていたのですが、進捗管理や、誰が何に得意そうか察することは得意なので、意外にもその道はあるのかもしれないと思いつつあります。

そのため、今のパートもライター・校正だけでなくアシスタントディレクターのお仕事もさせていただき、自分でも探ってみています。

身体を使う仕事をする

一昔前なら肉体労働がロボットに代わられる危機感があったと思いますが、今や知的労働がAIに代わられるほうが早そうとも思っています。

なので、自分の身体が動くうちは、身体を使うのも悪くない。

育児や介護は毎日のことだとしんどいけれど、スポットなら楽しいところだけ拾えるかもしれない。あとは片付けも好きなので、家事代行も全然あり。

現場仕事で学んだことを言語化すれば、よい循環もできると思っています。

趣味で続けて仕事になれば万々歳

日記、手帳、家計簿、マイノートなど、記録することは好きなので、それは趣味として続けていきます。何らかの形で収益が得られれば万々歳と、気楽に捉えようと思います。

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私は高校・大学受験ともに小論文で合格してきたような身なので、正真正銘、ライティングしかないような人間なのです。

かといって、1億総ライター時代になりつつある今、ガツガツ案件を取る働き方も、性に合わないのかなあと思っています。

まだ答えは出ていませんが、小1の壁を控え、一度立ち止まるタイミングを迎えているのかもしれません。

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マナカ これからも言葉を紡ぎ続けるために使わせていただきます。