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私が「労働単価×時間」の外に出たかった理由。〜派遣スタートの高卒が、投資家を目指すまで。〜|リタイアと仕事の話②|私自身の部屋

日本での就活は、絶望的なスタートだった。

カナダとフランスから日本に帰国して、私を待っていたのは、絶望でした。

正社員の求人は、ほとんどが「大卒以上」必須。 英語ができても、そもそも応募すらできない。 応募できる求人に出しても、返事すら来なかった。

必死で面接を受けまくって、ようやく辿り着けたのが「派遣」という雇用形態。 派遣でさえ、経験も学歴もない私は、落ちまくりました。

最初の切符をくれたのは、海外経験と英語でした。 それがなかったら、派遣という形でも仕事を見つけるのは難しかったと思います。

同年代の女の子たちが、正社員として働いている頃。 同じくらい必死に働いていても、時給制、3ヶ月更新、 責任のある仕事は任せてもらえない。 賞与も、昇給も、昇格も、ない。

でも、そのスタートだったからこそ、 一つだけ、早く気づけたことがありました。

同じレースに乗っかっても、絶対に追いつけない。

終身雇用、新卒一斉採用の日本社会を目の当たりにして、 最初から、そのレースを降りる覚悟ができた。

追いつけないなら、別のゲームをやるしかない。 人と違うということを、武器に育てていくしかない。

それが、私の出発点でした。


「時間」が、一番大切な資源だと気づいた夜。

その頃、ちょうどロバート・キヨサキの『金持ち父さん 貧乏父さん』という本に出会いました。

お金持ちは「お金のために働く」のではなく、 「お金が自分のために働く」仕組みを作る。 そのためには、労働者や自営業者ではなく、 投資家のポジションを取ること。


それを読んだ瞬間、「私はこっち側に行く」と決めました。

でも、その本でもう一つ、ハッとさせられたことがありました。

人類の最大の限られた資源は、お金じゃなくて、時間だということ。

その言葉が、刺さりました。 ちょうど、まだまだずっとあると思っていた お父さんとの時間を、失ったばかりだったから。

大阪の下町で中小企業を経営していた父は、 私が10代のうちに亡くなりました。

もっと一緒にいられると思っていた。 もっと話せると思っていた。 でも、時間は戻らなかった。

だから「労働単価×時間」の図の中にいつまでもいることへの嫌悪感は、 人一倍、強かったのかもしれません。

これが後に産後うつにもつながっていくのですが、それはまた別の話です。

▼ 根性論で全部まわした私が、産後うつになるまで。 読む


専門性を持たないと、海外では生きていけない。

19歳で日本を出て、海外を転々とするようになってから、 気づいたことがありました。

海外で「あなたの仕事は何ですか?」と聞かれると、 みんなが答えるのは、会計士、貿易スペシャリスト、環境アドバイザー、 ◯◯業界のデジタルマーケティング。

一人ひとりが、自分の専門性を持っていた。 そして、大学の専門と仕事の専門が紐づいている。

将来、海外で生きていく可能性を広げるためには、 まず「自分の専門」を作る必要がありました。


メキシコで出会った大富豪に言われたこと。

そして、もう一つ。Why Notのなんでもまずはやってみるという精神で始めたことがあります。

それは、海外を転々としていた頃、メキシコで一人の大富豪と出会ったのがきっかけ。

私が大学で勉強していると話すと、こう言われました。

「大学卒と同じくらいの専門知識をつけるには、 1つの分野につき20〜40冊の専門書を読んで、 アウトプット用にレポートを書いて、勉強会に参加して、 その専門家に会う機会を作れば、 大学なんて出なくてもいい」

結局、私は資格が欲しかったので大学は続けました。

でも、それ以降、関心があることがあれば、 まずその専門分野の本を自分で読んでみる習慣がついた。

しかも、日本語だけだと日本の価値観に偏るから、 英語、フランス語、スペイン語の本も読むようにしました。

そうしたら、知見と関心が広がるにつれて、 出会う人のダイバーシティも、層も、ぐっと広がっていきました。

その習慣が、それまでの固定概念を、少しずつ壊してくれました。

通信という、自分での管理能力や計画性が求められる大学やMBAを取得できたのも、 今、こうして毎日文章を書くことを続けられているのも、 あの時の出会いと、「まずはやってみよう」を続けてきたおかげかなと思ったりしています。


「労働単価×時間」の外に出る、と決めた。

派遣スタート、父の死、時間という資源への気づき、 専門性を持つことの必要性。

それらが重なったとき、一本の線が見えてきました。

いつまでも「労働単価×時間」の図の中にいると、 自分の時間は、永遠に誰かのものになる。お金や仕事に振り回される。

お金が自分のために働く仕組みを作る。 投資家のポジションを取る。

そのタイムラインを、35歳と決めた。

そこから先の私の20代と30代は、 そのゴールに向かって、ただ走り続けた時間でした。

次回は、その具体的な道のり、 商社・金融・慶應・証券会社・コンサル、 どうやって専門性と投資の土台を作ったかを書きます。


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※このシリーズに出てくるお金の話は、私自身の経験と考え方をもとにした記録です。投資・資産運用には必ずリスクが伴います。特定の金融商品の購入や投資行動を推奨するものではありません。判断はご自身の責任でお願いします。



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