見出し画像

ドンレミ村のジャンヌ・ダルク

今回は、ジャンヌが歴史に登場する少し前、ジャンヌ・ダルクがどんな子供だったかを語らせて頂こうと思います。
ジャンヌは1412年、フランスのドンレミ村という小さな村の少し裕福な農家の家に生まれます。
この生まれ育ったジャンヌの家が一部ですが、今も残っています。

ドンレミ村にあるジャンヌの生家

ジャンヌが火刑に処されて25年後、彼女の処刑裁判が正当な物だったのかを問う裁判『復権裁判』が行われます。
その際、ジャンヌの子供時代の調査の為に各要職にある司祭様がドンレミ村に調査訪れました。「ジャンヌ」を知っていた者は供述に出頭するように、との呼びかけです。
当時、教会が一度下した判決に逆らう事は非常に勇気がいるものだったにも関わらず、数多くの証言が集まります。
そこから、ジャンヌの素の子供時代が見えてきます。
裁判記録から幾つか、私の心に残ったものを抜粋いたします。

〇ジャンヌの代父、ジャン・モレル
ジャネット(ジャンヌの愛称です。)の両親は敬虔なカトリック教徒で立派な農民でした。
ジャネットは同じ年頃の娘たちの模範となるようなよく働く娘でした。
よく教会に通っていました。
「婦人たちの木」と呼ばれる、妖精が集まると言われる木の下で食事をしたり、歌を歌ったり、遊んだりするのが好きでした。

〇ジャンヌの代母、ベアトリース
ジャネットは良い習慣の中で真面目に暮らす慎ましい娘でした。
ドンレミ村が火事で焼けた時(1428年の襲撃にドンレミ村は野盗の襲撃に逢います。)は、いつも隣のグルー村にミサに預りに行っていました。
私はこの2つの村でジャネットより立派な娘はいなかった用に思えます。

〇村の教会の堂守、ペラン・ドラピエー
私が夕べの祈りの鐘を鳴らさないと、ジャンヌは私を叱り、きちんと鳴らすと毛糸をくれると約束してくれました。(大人を叱りつけるなんて、ちょっと、というかかなり変わった子供ですよね^^)

〇村の農民。子供の頃同年代、シナモン・ミュニエ
私自身が子供の頃、病気になるとジャンヌはいたわりに来てくれました。

〇幼なじみ、オーヴィエット
ジャンヌは、自分が信心深いと言われることとを恥ずかしがっていました。また進んで教会や聖なる場所に通いました。
私は友達だったジャンヌや他の若者と一緒に、妖精の木の下でお弁当を食べたり、遊んだりしました。
彼女が村を出て行った時、私はずいぶん泣きました。(一番好きな証言です。)

〇幼なじみ、マンジェット
彼女は非常に気立てがよく、飾り気がなく、信心深かったので、私は「あなたは信心深すぎるわよ。」といったくらいです。

その他にも、沢山の人が聖人では無い当時のジャンヌのことについて語ります。
しかし、他の人より信心深かった以外には特別なことは語られませんでした。ただ、どの言葉の中にも「すすんで」という言葉が出てきました。
すすんで仕事をし、すすんで誰かを助けて、すすんで祈り、・・・

ジャンヌ・ダルクの個性を語る上で、この「すすんで」という特性は欠かせないものである、と歴史家のレジーヌ・ペルヌーは著書に記しています。

その時代をジャンヌとともに生きた大勢の人の証言は、明るく、気が強くて、ちょっと抜けている所もあって、自分を曲げない、でも、思いやりにあふれたその個性を後世の私に伝えてくれているような気がします。

最後に、証言の中にも出てきた、ジャンヌ達が愛し、幼少期を過ごした「婦人たちの木」をご紹介します。

ドンレミ村にある妖精の泉周辺

村から2キロくらいの所にあるこの場所は、今も静かに変わらず村を見守っています。
時々ピクニックにくるご家族がいて、地元にも愛される場所です。そこには小さな泉が湧き出ていて、当時から「万病に効く」と言い伝えられていました。
今はその泉にジャンヌの像が立てられ、今も勢いは弱くなりましたが水が湧き出ています。

妖精の泉

私は、この場所が他のどんな場所より大好きです。
遺体も残らなかったジャンヌですが、彼女の魂はきっとここに還ってきていると確信しています。

目次ページに戻る

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集