見出し画像

サン・レミ教会(ドンレミ・ラ・ピュセル)

この写真の右側の教会が目的地の「サン・レミ教会」です。
左側の生い茂った木の中にジャンヌの生家があるので、隣接していることになります。
そのジャンヌ家のジャンヌと妹のカトリーヌが寝室としていた部屋には窓がひとつあって、この教会が見えていたそうです。

ジャンヌがこの村に居た頃、この教会の司祭ギヨーム・フロンは、文字を読めないジャンヌに神様の教えを話して聞かせます。
それらの知識は、その後のポワティエやルーアンでの裁判で大いに活かされることになります。
その教育もあってか、ジャンヌは信心深く、真面目な少女に育ちました。
ジャンヌは日に何度も教会に通い、何かあるとすぐ懺悔したという話が残っています。
あんまり度々来るので「ジャンヌ、そんなに何度も来なくて良いです。」と司祭様に窘められたほどだそうです。
そうとう生真面目な一面が伺えるエピソードです。

ランスの聖レミ司教に捧げられた教会で、のちにジャンヌ・ダルク自身も祭られています。
1946年5月11日から歴史的建造物に指定されています。
ランスの聖レミ司教(432-533年頃)は481年にランスでフランス初代国王クローヴィス1世を戴冠させた人物です。フランスの初代国王クローヴィスと、クローヴィスの再来とも言われるシャルル7世の両方とも、この教会で祭られる人物と縁が深いと思うと、奇妙な縁も感じます。

教会はジャンヌの頃から数えても数回の大改修が行われています。
そもそも1428年、ジャンヌが旅立つ少し前にも野盗に襲われて火災で焼失したはずです。
その後、どこかのタイミングで再建され、最低でも1582年、1585年、1698年、1904年に改修され、2005年にも大規模な修復工事が行われています。
また、1824年の時にはなんと教会の向きが変えられています。
つまり前後を逆にして後ろに入口を付けてしまったのです。

サンレミ教会を真後ろから見る。窓の周りが何か後から塞いだように見えなくも無い。

言われて真後ろからみると、なんだか大きな穴or入口を塞いだように見えなくもない気がします。
また、1904年の工事より以前の図面を見ると形も変わっているのが解ります。

上:19世紀初頭に作成されたジャンヌの生家と教会の図面。
下;GoogleMAPの地図を何となく上と角度を合わせたもの。
教会の形が違う事、ジャンヌの生家がもっと大きな建物の一部だったことなどが見て取れます。

大きさ自体は小さな教会で、中は薄暗いですがジャンヌダルクの生涯を描いたステンドグラス(1955年制作)は一見の価値があります。

教会内部

さて、本当はこういった記事は「解っている事」を書くべきなのだと思いますが、私はプロでもなんでもないので、ちょっとこの教会について不思議に思っている事を書いてみようと思います。

〇解らない事 洗礼盤について

教会内にはふたつの洗礼盤があります。

2つの洗礼盤と銘板
直訳すると、左は「ジャンヌの時代の洗礼盤」
右は「ジャンヌが洗礼を受けた石のボウル(旧ジャン・バティスト礼拝堂から移設)」

「ジャンヌが洗礼を受けたとされる洗礼盤」として画像紹介される時、この2つが混同されることがあります。が、ジャンヌが洗礼を受けたとされているのは右側です。
 しかし右側の洗礼盤には気になる1文があります。直訳すると「ジャン・バティスト礼拝堂から移設」です。
この文章の意味が解りません。

wikipediaよりジャンヌが洗礼を受けたとされる洗礼盤

果たして、旧ジャン・バティスト礼拝堂とはどこを指すのでしょうか?
(ジャン・バティストは洗礼者ヨハネを指しますが、どこにでもありそうです。)
そして移設はいつ行われたのでしょうか?(ジャンヌの誕生前?後?)
本当にここで洗礼が行われたのでしようか?
そういえば、なぜ1824年に教会の前後を逆にしたのでしょうか?

考え出すと、このサン・レミ教会はよく解らない事がある教会です。

※追記
実はこの「旧ジャン・バティスト礼拝堂」をこの地方に昔あったシャトー・ド・リル(リル城)にあったとする研究家もいます。
ただ、その方以外にその事を主張している資料を見たことが無いので判断保留中です。

いいなと思ったら応援しよう!