ジャンヌが携えた剣について
本日はファンタジーRPGが好きな方であれば堪らないロマンを感じる一品、『ジャンヌ・ダルクの剣』についてお話したいと思います。
ジャンヌは何本かの剣を生涯手にしていますが、最も有名な剣は聖カトリーヌの剣、神聖なる剣等と呼ばれる一振りの剣です。
伝説にはこうあります。
『南の要衝、オルレアンへの出陣を前にジャンヌがここの教会の壁に剣があるから持ってくるように。と言った。
部下が訪れた所、彼女の言葉通り剣が見つかった。
剣は錆び付いていましたが少し磨くと美しく輝き、ジャンヌはその剣を持ってオルレアンの戦いに臨むことにした。』と。
彼女の起こした不思議な伝説のひとつとして語り継がれています。
その剣があった教会が、先日のジャンヌの旗のお話にも出てきた、サント・カトリーヌ・ド・フィエルボワの教会です。

少し小さいけれど、とても静かで美しい教会です。
大聖堂も好きですが、こういう小さな教会も私は好きです。

ここには伝説を記念して、ジャンヌの剣のレプリカも展示されています。
それでは、この『伝説の剣』についてもう少し背景を調べてみましょう。
果たして、ジャンヌはそのような神秘の声を聞いたのでしょうか?

この剣が見つかった場所には2パターンかの伝説があります。
1、「剣は祭壇の後ろの道具箱の中に入っていた。」
2、「剣は祭壇の後ろに埋まっていた。」
埋まっていたのと道具箱に入っていたのとでは大違いです。
ジャンヌの神秘の力を強調する場合、多くは『埋まっていた説』と共に紹介されます。
つまり、「それを知ることが出来たのはきっと神様の御力に違いない」ということです。

もう少し掘り進めていくために、当時の背景を掘り進めます。
1つ目が、この教会の当時の役割です。
この教会は当時、戦争で捕虜になった騎士たちが武具を奉納する場所でした。
そして、今は小さな村ですが、当時のこの村は交通の要衝でした。
きっと戦時中のこの場所には奉納された武器が相当数あったはずです。
このことは多くの人に知られており、ジャンヌもそれを知っていたはずです。
2つ目は当時のジャンヌの足取りです。
1430年3月2日 彼女はシノンの王太子に面会する旅の途中でこの村に立ち寄ります。
1430年3月6日 王太子と面会、信頼を得ます。その後約3週間、ポワティエという都市で神学教授から査問を受けます。
この査問の後から4月6日までの間彼女の戦いの準備(旗印や鎧など)が整えられていくことになります。
この準備期間中が彼女がこの剣を使いに取りに行かせたタイミングです。
大切なのは、ジャンヌは剣を取りにやらせる前に一度ここを訪れているということです。
さて、これからは私の想像でしかありません。
ジャンヌは一度ここを訪れていた時、この教会に剣が有るのを知っていたと思います。
戦争の準備をしていますが、もともと不利な戦況の中、資金も豊富だったとは言い難いでしょう。
しかし、一日も早く準備を終えて南の要衝オルレアンを開放しなくてはフランスは負けてしまいます。
そんな中「武器ならあそこにあります。ちょっと貴方、行って取ってきて下さい。」という話が出て取りに行かせたのは現実的な判断だったと思います。
それに・・・ジャンヌがそれを神様から遣わされた聖剣と思っていたとしたら・・・人にとりに行かせるのって不自然だと思いませんか?
私は、ジャンヌ・ダルクの事が心の底から好きです。
しかし、それは彼女が神秘の力を持っていた、と肯定するものではありません。
むしろ、あの暗黒の時代、若く、女性の身というハンデがありながら行動を起こしたその精神性を愛する者です。
私は、この伝説は作られた伝説である、と思っています。
結局、この剣はいつのまにやら歴史書から消えてしまいます。
後の処刑裁判でも焦点になりますが、『失くしてしまった。』というような答えのみが後世に残されています。
多くの歴史家の考えでも「適当に使われ、適当に使いつぶされたのだろう。」という説が大勢を占めています。
私は、彼女をリアリストだと思っています。
彼女は、神様の言葉に忠実であると同時に、常に合理性を重んじました。現実主義者と言っても良いです。
それは、その他の逸話にも多く現れています。
彼女の言葉は聡明で理路整然としており、後の裁判記録を読んだ論理学者も舌を巻くほどです。
でも、悲観論者ではありません。
望まない現実に直面して、全力で抵抗する『夢見るリアリスト』だと思っています。
私は、そんな「人間=ジャンヌ・ダルク」がたまらなく好きなのです。
