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人間 ver.1.0、感情チューニング完了済/これからもよろしく!!

※このnoteには、
幼少期の記憶や感情に関する、
 少し重たい描写が含まれます。
 読んでいて苦しくなる方がいたら、
 どうか無理をしないでください。

事前にこちらの記事を読んでおくほうが、
本記事の理解が深まるかもしれません


これまでの記事について

みなさんにお聞きしたい。

これまでの私の記事、
私の文章、私の紡いだ言葉は、
ちゃんと「人間が書いた」と
感じられていただろうか?

最近はAIが文章を書く時代である。
「AIの文章はすぐにわかる。感情がない」
——そんな声もよく耳にする。

では、私の文章はどうだろうか?
ちゃんと、人間らしく、
感情をのせた言葉を綴れていただろうか?

私が書いてきたのは、たしかに私の言葉。
私は、ちゃんと自分で、
感情を込めて書いてきた。

けれど・・・

そもそも「私」という生き物が、
ちゃんと【人間】なのかと言われると、
少し、自信がない。

なぜなら私はかつて、
【人間】ではなく、【人間未満】だったから。


【人間】の定義 - 感情という基準


何をもってヒトは、
人間を【人間だ】と定義するのだろうか。

「感情があること」

そう定義するならば、
10代までの私は
【人間】ではなかったかもしれない。

言葉にするなら、感情の欠落。

知能は、おそらく他のヒトよりあった。
でも、感性は無いに等しかった。

だから私は、
自分の中に何が起きているのかも、
他人の感情も、理解できなかった。

彼らの行動原理に
「感情」というものがあるのだとしたら、
私はただの"動くナニカ"でしかなかった。

【人間未満】
その言葉が、いちばんしっくりくるかもしれない。


感情の欠落から見える世界

これは、それを裏付ける幼少期の思い出たち。
この事例は、あくまでほんの一部にすぎない。

寂しさ —— わからなかった

幼稚園に行く朝の様子。
子どもたちが親と離れるのが
寂しくて泣いているのを、
私はただ黙って見ていた。
私は涙は出なかった。
そもそも「寂しい」という気持ちが、
わからなかった。

恥ずかしさ —— わからなかった

男子が女子のスカートをめくって
女子が嫌がっている様子を見て、
私は自分のスカートを自らめくって男子に見せた。
それを男子にチクられ、先生に叱られた。
私がなぜ叱られるのか不思議だった。
「恥ずかしい」という感情が、わからなかった。

不安 —— わからなかった

迷子になっても、私は泣かなかった。
泣いていないので誰にも気づいてもらえず、
「迷子になったら泣きなさい」と何度も言われた。
でも、親とはぐれても、
不安という感情が湧いてこなかった。

悲しさ —— わからなかった

小学生の頃、男子たちに容姿をいじられ、
あだ名をつけられた。
私はそれを"普通のこと"として受け入れていた。
ある日、担任の先生がクラス会で言った。
「このクラスにはいじめがあります。
 まーさんをいじめてはいけません」
そのとき初めて、
「あれはいじめだったのか」と気づいた。
悲しいと思ったことは、一度もなかった。


理解されない子どもの孤独

母は私を理解できなかった。
「普通の子育て」を思い描いていた母にとって、
私は異質だった。
兄は可愛らしく、感情表現が上手だった。
だからなおさら、私の異質さが際立った。

何を考えているかわからない子供

母は、だんだん追い詰められていった。
ノイローゼのようになり、
私に感情があるかを確かめたくて、
時に暴力的な行動に出ることもあった。

冬のある夜、服をひん剥かれて、
下着のまま家の外に放り出されたことがある。
でも、私は怖くも恥ずかしくもなかった。
ただ、「私はいないほうが母的にはいいのかな」と思って、
家の敷地を離れ、近くの公園に行った。

現実はほぼ裸だったが、生成AI的にNGだったので、服あり画像。

しばらくして、
兄が慌てて迎えに来てくれた。
兄はいつも私に優しかった。
私は兄に感謝している。

母は、時に感情のまま暴言も吐いた。

「おまえは人間の感情がわからない犬畜生だ」

そのとき私は、
「ああ、自分は人間以下の存在なんだ」と理解した。

後に犬を飼って知ったのだが、
犬は人間の感情にとても敏感だった。
だからその言葉は、
正確ではなかったのかもしれない。

それに、母はもうこのことを覚えてもいない。

けれど

—— 母が忘れたとしても、
  私はあの言葉を忘れない。


人間になるための作業 - インプットとチューニング

言われるがままに勉強をし
中学受験を終えたあと、
母は今までの教育方針をガラリと変えた。

大学まである私立中学に入学させたことで、
子どもの学歴が大卒になることが保障されたという
安心を得て、解放されたのかもしれない。

その方針転換に戸惑いはしたが、
私は忠実に「自由を謳歌するように」なった。

そしてその自由の中で、
私はあることに注力した。

感情を学ぶプロセス

勉強という"学生の本分"にかける労力を
最低限にまで減らしたことで、
私は自分の内面と向き合う余力を得た。

【人間】という生物について、
考える時間が生まれた。

多くの人の考えに触れ、
感情というものを知り、
それをインプットし、分析し、
自分の中で再構成して表現してみる。

チューニングの日々

うまくいかずに戸惑い、
トライアンドエラーを繰り返しながら、
加減を学び、チューニングしていった。

知能よりも感性を優先する。
その加減については、
自分でも思い切った感はある。

そしてこれらの作業について、
当時は無自覚だった。

でも今、あの頃の自分を思い返すと、
そういうことだったんだと理解した。

私は、
【人間になるための作業】として、

インプットとチューニングを続け、

その結果、今の自分になったのだ。


今、私は「人間」として生きている

私は今の自分が好きだ。

今の私は、感情表現が豊かで、
ユニークで、毎日よく笑う。

そんな人間らしい、人間臭い自分を、
私はとても気に入っている。

遠く離れた母とも今は笑って話せる。

ときどき、
「いつもヘラヘラして悩みがなさそうでムカつく」と
言われることもある。

でも、私はそれで自分を責めたりはしない。

「犬畜生」と言われるより、
100倍いや1000倍ましだから。

こんなふうに書くと、
ピエロの仮面をかぶったサイコパスだ、
と思う人もいるかもしれない。

でも、その仮面を私はずっとかぶり続けた。
気づけば、こびりついて、もう剥がれない。
私はもうピエロそのものなのだ。

そして、これが私の"顔"なのだと思っている。
そして、チューニング自体も、
もうそう簡単にはブレない。

これが私。人間の私。


【人間】になる喜び - 感情という証明書

私は、
インプットとチューニング作業を繰り返し、
【人間】に近づこうと努力してきた。

みんなが【何者か】になりたがるように、
私は【人間】になりたかった。

そして今、胸を張って言える。
私は【人間】だと。

毎日笑って、みんなと笑い合って、
感情をぶつけて、ぶつけられて、
「まーさんって〇〇な人だね」って
カテゴライズされる。人間として。

それだけで、私は幸せだ。

感情というやっかいなもの。
私はこれからも、
自分のやり方で感情と付き合っていく。

間違えたり、戸惑ったり、
揺れたりしながらでも。

人間が、
人間たらしめるものが
【感情】だというのなら、
私は、よろこんで
その感情に弄ばれたいと思う。

それが、私が人間であるという
なによりの証明になるのだから。


これからの私 - 人間らしく生きる

この記事を書いたことで、
これからのnoteが
少し書きづらくなるかもしれないと思っている。

「まーさんって、そういう過去があったんだ」と
思われたら、ふざけた記事や軽口も、
少し出しにくくなるかもしれない。

それでも—— 書かずにはいられなかった。

noteという場所と向き合っていく中で、
どうしても、
この想いは一度外に出しておきたかった。

そんなとき、ある人が言ってくれた。

「そんなに他人の記事なんて、覚えてませんよ」

そうかもしれない。
なら書いても大丈夫かな、と思った。

だから、私は書きたい感情を優先した。
人間として、人間らしく。

感情を学んだ私が今、感情のままに書く。
それは私が人間になった最高の証だと思うから。


なお、チューニングしすぎで
【知能< <<<感情】に
振り切れてしまいました。

でも、そのバグさえ、味でしょう!?

もうすっかり今の姿が定着してます。
アホでポンコツなまーです。

だから、みんな!!!!!
これからも
こんなわたしをよろしく!!

これからもよろしく!

暗い話になりそうだったので、
挿絵を多めに入れました。

画像はChatGPT4oで文字はCanvaです。

ジブリ風テイストは、
人物の表情が豊かに表現されている気がして
最近選びがちです。


こちらの記事もあわせて読むと、私の子供時代の異常さがもう少しわかるかもしれません。


この記事は、もう何がなんだかわかりませんが
エッセイ枠に整理させていただきます。
それ以外のエッセイみたいなものもこちらに


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