俺が死んだときはピースサインの遺影にしてくれ

私の父が亡くなって早一年になる。一周忌の法要も今月済ませたばかりだ。広く世界に発信するようなことではないのだが、私は晩年の父とは折り合いが悪かった。もちろん育ててもらった恩や幼い頃に愛情を受けたことは理解しているつもりではあるが、大きくなってから父の無神経な言動に傷ついた記憶の方が自分の中でウェイトが大きくなってしまっていた。

そんな父が闘病生活の末に亡くなった。最後に入院した翌朝は母と他愛のない会話を交わしたらしいが、母が病室を離れた後に容態が急変したそうだ。それを聞いて、最期まで母の前では気を張っていたというのがいかにも父らしいなと私は思った。

母は父の死で狼狽している上に諸々の段取りが不得手であったので喪主は私の兄が務めた。母や私が立ち会うことはあったものの、葬儀社やお寺との打ち合わせは兄夫婦が主導して進めてくれた。

そんな兄夫婦の選んだ父の遺影がピースサインの写真だった。
それを知って私は衝撃を受けた。というかむしろ大笑いした。
兄夫婦と食事をした際の写真だそうで、父はザ・好々爺といった佇まいで笑いながらピースしている。父を気難しい人間としか認識していなかった私にはできないチョイスである。いや私はおろか父本人さえも、生きていたら(矛盾した言い回しだが)こんな遺影は選ばなかっただろう。

今際の際まで母の前で格好つけていた父である。もっと格好いい写真にして欲しかったに違いない。父が遺影を見て憤慨する様を想像すると私はなにか一種の復讐を果たしたような気分になる。そんなつもりで兄夫婦が選んだわけではないことは理解しているが、少し溜飲が下がった。まだ父のすべてを許すことは出来ていないが、あの遺影を見るたびに私はどうしても複雑な笑みを浮かべてしまう。

なので私も死んだときはピースサインの遺影にして欲しい。
私のことを好いてくれていた人たちはもちろん、私のことを嫌っていた人たちにも私が死んだ後は遺影を見て笑ってもらいたいのだ。読者の皆様からは縁起でもないことを言うなとお𠮟りを受けるかもしれないが、父の亡くなった年齢を考えると私ももう人生の折り返し地点には立っているはずなのでこのくらいの発言はご容赦願いたい。
もちろん死者との向き合い方は人それぞれであるから、ピースしている写真が遺影の最適解だと主張したいわけではないということは付言しておく。

兄が喪主を務めたのと同様に、私は母に代わって父の死後の年金や税金の関係など行政上の手続きや、相続に関する手続きを一手に担うことになった。仕事を辞めて時間に余裕があり調べ物なども苦ではない人間なので適任と言うほかない。自分で言うな。
司法書士や税理士などを頼ることなく手続きを進めて出費を抑えることができたのは家族にとって大きかったし、この一年はとても良い経験になったと思っている。

そういった流れもあり、一年経てばもう無用だろうと思い、先日ついに父の運転免許証を返納するため最寄りの警察署を訪ねた。ふと免許証に目を落とすとそこには私の知る気難しい父の顔が写っていた。穴の開いた免許証を見ながら私は遺影のピースサインを思い出し、ふふっと笑ってしまうのだった。(了)

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