短編小説:誰もが英雄になれる場所 〜何者にもなれなかった俺の終着地〜
ここは居酒屋。名前はまだない。先代の居酒屋を息子の俺が継ぐことになったのは今春のこと。来月ようやくリニューアルオープンする予定だ。今日はプレオープンで、先代の常連客達を招待している。ガヤガヤとしたこの騒がしさが懐かしい。みんな良い顔で酒を飲んでいる。
先代が急死して、一度は店を閉めようとしていた。でも店を開けろと先代の常連客がうるさく言うもんだから、俺が店を継ぐことになった。慌ただしく内装のリフォームを済ませたが、外観はそのままだ。看板だけは新しくするつもりだが、プレオープンには準備が間に合わなかった。今日は仕方なく先代の店の看板の電灯を点けた。久しぶりに点けたせいか、チカチカと点滅していた。イルミネーションにしては粗末かもしれない。周囲の店ももうすっかり冬の装いだ。
リニューアルオープンに向けて使い古した料理場を改装した。でも客席は何も変えなかった。常連客達への恩義があると、先代とずっと一緒に店をやってきた母が頑なに改装を許さなかった。壁のシミも、机の傷も、先代と常連客達で作り上げた店の歴史なんだと言う。串カツのタレの跡が壁のそこら中についていたから、新店主の俺としてはあまりいい気がしなかった。
先代の店は串カツが美味いと評判だった。創業当初から継ぎ足しの秘伝のタレが絶妙な味なんだと常連客達は口を揃えて言う。
この秘伝のタレが俺を悩ませた。母さえ知らないというこの秘伝のタレの作り方を、先代はついぞ死ぬまで誰にも話さなかった。もちろんレシピも家中店中探したが、どこにもなかった。
我が家は1階が店で、2階が自宅という造りだ。俺は子供の頃から当たり前のように店の手伝いをしてきた。昨年仕事を辞めて東京から戻ってきた後もしばらく家に居候していたから、店の手伝いを強制された。だからレジはできたし注文もとれた。品数も頭に入っていたし、簡単な料理なら準備ができた。それでも、先代が亡くなってこの店自慢の秘伝のタレを作れないのでは、店は開けられないと思った。母も同じ考えだった。
「また一から作ればいい」
常連客の1人、ヨッちゃんが俺にそう言った。
「あの串カツのタレは、俺達がしょっぱいだ、甘いだ、親父さんに文句を言いながら作ったんだから、僕ちゃんもそうすりゃいいんだよ」
ヨッちゃんは俺をそう励ました。
この店をリニューアルオープンさせることになったのは、ヨッちゃんのせいだと言っても過言ではない。先代の通夜の時、ヨッちゃんが「あの店を閉められちゃ困る。みんなで集まる場所がなくなったら、俺はいったいどこで飯を食えばいいってんだ」と俺と母に詰め寄った。通夜の席で酒が入ったのもあって、ヨッちゃんの口調はどんどん熱が帯びていった。
「この店がなくなったら、親父さんが本当に居なくなっちまうじゃねぇか!」
この一言がトドメだった。その一言を聞いた他の常連客達が1人そうだそうだと同調し、1人泣き出し、さらに1人嗚咽しながら頭を下げ始めた。喪服を着たいい歳のおっさん達がそんな様子なもんだから、通夜の会場は静まり返り、終いには母がまた泣き出して、もう惨事としか言い表せない日になった。
ヨッちゃんは店に来てはいつも大声で自分の武勇伝を語っている。それで他の客みんなにも話を振って、会話に巻き込む。言わずもがな、ヨッちゃんは常連客の親分だった。今日だって、ヨッちゃんが他の常連客達に声をかけてくれたからプレオープンに際してみんなを招待出来たわけだ。
「だから俺が言ってやったんだ、あんたら本当に部下のこと考えてそれ言ってんのかってなァ!」
「いよ!ヨッちゃん!」「大したもんだ!」
ヨッちゃんの言葉にすーさんと川辺さんが囃し立てる。みんな顔をほんのり赤くしてすっかり酔っぱらっている。その横で山さんが「ヨッちゃんみたいに上に言ってやれる人間が現場には必要なんだよなぁ」と感心しながら頷いている。
「だってそうだろう!部下を守るのが上司ってもんだ!それをあいつらときたら!」
いけない、ヨッちゃんの熱が上がってきた。
「ヨッちゃん、相変わらず声が大きいなぁ。」
気を悪くしないように言葉を選んでヨッちゃんを注意する。
「おっと、いけね」とヨッちゃんは縮こまる素ぶりをする。それから「僕ちゃんに怒られちゃったよ」と白髪混じりの短髪を掻きながらニヤリと笑っておどけて見せた。ヨッちゃんは声のボリュームを下げてまた話し始める。
先代が死んで誰よりも泣いてくれたのはヨッちゃんだった。"俺は一生平社員"を酒の席のネタにしているヨッちゃんは、貯金だって大してないくせに香典に20万も入れてくれた。流石に金額が多くて、ヨッちゃんの生活が心配になった。俺は式の後日電話をかけた。
「俺はなァ、親父さんのおかげで今ここにいるんだよ。受けた恩に比べたら、あんなのははした金だ。親父さんはなァ、俺の英雄だったんだよ。それなのに、急に死んじまってなァ。ちゃんと、礼だって、言えなか、た。」
ヨッちゃんは声を絞り出すように言い終えると、電話口で咽び泣いた。ヨッちゃんがこんな泣き方をするのは久しぶりだった。俺はふと子供の時に見たヨッちゃんの姿を思い出した。昔ヨッちゃんの奥さんが亡くなった時、うちの店で泣きながら飲んでいた記憶がある。大人の男が大泣きしているのを初めて見たから、幼い俺は強烈な印象を覚えた。ヨッちゃんの奥さんは、まだ幼い子供がいるのに病気で亡くなってしまったらしかった。先代は普段ぶっきらぼうな癖に、そういう時は閉店時間を伸ばしてでもずっと客の側に寄り添って話を聞いた。
ヨッちゃんは奥さんが亡くなってから子育ても男手一つでやってきた。毎日朝早く起きて、子供と自分のお弁当を作って仕事に行って、朝から晩まで働いた。そうやって子供2人を育て上げた。弁当の作り方がわからなくて苦戦していたのも、うちの店に飲みにきては弁当作りのコツやレシピを俺の母に聞いていたから知っている。
でも高校生になってから俺は、親父やヨッちゃんのような生き方をダサいと思うようになった。なぜなら友達の父親が東京でバリバリ働いて、お金をたくさん稼いでいるらしかったからだ。一度お目にかかったその友達の父親は、ピシッとスーツを着こなして清潔感があって、とても格好良く見えた。あと、なんだかよくわからない肩書きをたくさん持っていて、グローバルに働いているようだった。冴えない居酒屋をちんまり営業し慣れあった環境でひっそり生きている親父やヨッちゃん達を、俺は反面教師と捉えるようになった。
俺は猛勉強の末東京の大学に進学し、1人暮らしをするようになった。そして自分のこれまでの世界がいかに狭かったのかを痛感した。東京にいるだけで俺は特別な存在になれた気がした。夜になってもキラキラ輝く景色とオシャレな街並み、そして大勢の知らない赤の他人に埋もれることでそう思えた。もっとだ。もっと立派になってみんなに知らしめてやる。俺はみんなと違うって。狭い田舎社会で生きている親父達と違って、俺は特別なんだ。俺はどんどん自惚れていった。
大学を卒業して、東京の大企業に就職した。第一希望の会社は落ちたけど、それでもよかった。東京の大企業で働いているという肩書きが欲しかっただけだから、仕事内容もこだわりはなかった。朝から晩まで働いて、上司に好かれる努力もした。20代は順風満帆だった。俺はやっぱり親父達とは違うと思った。
でも部署移動して環境が変わった。直属の上司との相性がすこぶる悪かった。いや、上司の性格がすこぶる悪かった。こき使う、という表現では生ぬるい。罵詈雑言は当たり前で、昼飯を買ってこいとか、仕事を押し付けられたりとか、ミスを俺のせいにされたりもした。でも我慢するしかなかった。全ては俺が都会人でいるため。俺は下唇を噛みながら我慢した。
30代になり、何者かにならなければという焦燥は強まるばかりだった。早くみんなに知らしめるんだ。俺は凡人じゃないって。そうして時に駆け回り、時に会社に遅くまで残って残業し、仕事に明け暮れた。でも、そんな生活は長くは続けられなかった。
ある日の朝、起きられなかった。日が昇っても起きられなかった。布団から出られなかった。無断で休んだ。次の日も休んだ。無断で休み続けた。上司から電話がかかってきていたけど出られなかった。一週間も経たないうちに母からも電話がかかってきた。でも、それも無視した。
さらに一週間ほどたった頃、突然自宅のインターホンが鳴った。無視した。ドンドンドン。すぐにけたたましくドアを叩く音がした。それで、懐かしい声が聞こえた。
「おい、隆也、いるんだろ」
親父の声だった。続けて「開けろ」と聞こえた。いやだ、うるさい。と思ったら、別の声が聞こえた。
「開けないなら窓叩き割ってでも入るからなァ」
一瞬息が止まった。嫌な予感がした。そのドスの効いた声は、ヨッちゃんだった。
そのまた昔、ヨッちゃんの息子が中学で不登校になって引きこもりになった時、ヨッちゃんは息子の部屋の扉を電動ノコギリでぶち抜いたことがあった。それはヨッちゃんの酒の席の武勇伝の一つだった。ヨッちゃんの恐怖と戦慄の実績を思い出した俺は、しばらく呆然と玄関の方を眺めた。ヨッちゃんがやると言ったら絶対にやる。俺はなけなしの勇気を寄せ集めて布団から抜け出た。
ガチャリと扉を開けた瞬間、1番最初に親父と目が合った。でも先に声を出したのは、隣に立っていたヨッちゃんだった。
「なんだ、生きてるじゃねぇか。親父さん、よかったなァ」
ニカっとイタズラ顔のヨッちゃんが憎らしかった。扉を閉めようかと思ったけど、開けた扉にすぐさまヨッちゃんの足が入り込み、閉められないようにされていた。ヨッちゃんは侮れない。
「入るぜ」と言ってドアを開けるヨッちゃんからは、嫌とは言わせない威圧感を感じた。俺は力無く親父とヨッちゃんが部屋に入り込むのを眺めていた。抵抗する気はもうなかった。
どうにも逃げられそうもないと悟ると、俺は事の顛末を2人に話した。泣きながら話した。鼻水も垂れていた。ダサかったと思う。
話し終えると、ヨッちゃんの顔には怒りが帯びていた。「よし、後は俺に任せろ!」と大声をあげ意気込んだ様子のヨッちゃんは、俺の携帯電話を掻っ攫った。そしてどこかへ電話をかけ始めた。またもや嫌な予感がした。
「おい、てめぇ!うちの息子に何しやがった!」
電話をかけて最初の一言がそれだった。すぐに上司に電話をかけたのだとわかった。でも俺の身体は動かなかった。じんわり冷や汗が出た気がした。親父に止めてもらうべきかと思って親父に目を向けてみたが、親父も若干引き気味の様子でヨッちゃんを見つめていた。だめだ、これはもうなるようにしかならない。俺達はヨッちゃんの電話が終わるのを待った。始終ヨッちゃんは怒鳴り散らしていた。
「よっしゃ、じゃあ俺はこの野郎に会いに行ってくるから。親父さん、ちょっと名前借りるぜ。あと、先に店戻っててくれ」
ヨッちゃんは俺の会社の住所を聞くと、そう言い残してすぐさま玄関を出た。嫌な予感は消えないままだった。そんな俺を察したように、親父は俺の肩にポンと手を置き「どのみち仕事に行かないんだろ。もう諦めてヨッちゃんに任せよう」と言った。俺がまともな食事をしていないことも悟られたようで、親父は買い物に出かけ夕飯を作ってくれた。あの時作ってもらった卵雑炊の味は最高だった。俺は泣きながら食べた。親父は静かに「いつでも帰ってこい」と言い残して部屋を出て行った。
しばらくして、俺は退職することになった。多めの退職金と謎の示談金を携えたヨッちゃんにそう告げられた。
「まあ、こんなもんよ」
誇らしげな様子のヨッちゃんに、もはやツッコミはできなかった。俺、辞めるなんて一言も言ってないけど。そう思ったけど、もう後の祭りだった。諦めるしかなかった。
でもその一方で、心が晴れた気がした。会社を辞めたからではない。俺も親父やヨッちゃんみたいに生きればいいんだということに、そこでようやく気が付いたからだ。
俺は、狭い田舎社会で生きている親父やヨッちゃんを長いこと心の中で馬鹿にしてきた。でも結局、誰よりも狭い社会で生きてきたのは俺自身だった。
俺は、いつの日か俺を賞賛してくれるはずの誰かもわからない大勢に期待して、ずっと自分の為だけに働いてきた。そして、誰かのためには何もしてこなかった。身近な人のためにも何もしてこなかった。そうだとも。何者かになりたかっただけの自己中な俺は、ずっと1人だった。
でも、親父もヨッちゃんもいつも誰かのために働いていた。誰かのために生きていた。そう、2人とも、誰かの英雄だった。
「また一からやり直せばいい」
退職金と謎の示談金を差し出して、ヨッちゃんが俺にそう言った。ニカっと笑ったヨッちゃんを、今度は憎らしく思わなかった。太々しさといい加減さが目立つけど、ヨッちゃんはもう立派な俺の英雄だった。
ふと現実に戻ると、目の前のカウンター席にヨッちゃんが座っていた。
「なんだよ、僕ちゃん。ぼーっとしてんなァ。新店主がそんなんじゃ心配だなァ」
「いや、ちょっと昔の事思い出してただけだよ」
「なんだ、引きこもってた時のことか?」
ニヤリと笑うヨッちゃん。相変わらず、意地の悪い笑い方だ。
「いや、まぁ、そうだけど。ヨッちゃん、俺辞めるなんて一言も言ってないのに、辞めさせちゃうんだもんなぁ。ビックリしたよ。」
「いいじゃねぇか、引きこもってるだけで何もしてなかったんだから。俺のおかげで僕ちゃんも親父さんが死んですぐに店を継げて、無職を卒業できたんじゃねぇか。俺も居場所を失わずに済んだし、うぃん-うぃんってやつだなァ」
「まぁ、そうだね」
「それに、女将さんのためにも店は続けた方がいいんだよ。女将さんも親父さん亡くして1人になっちまうからなァ。少し忙しくしてた方が気が紛れるってもんだ。俺もそうだったからなァ」
ヨッちゃんはこういう優しい一面を持っている。横暴に見えるけど、やっぱり誰かのために生きている。ヨッちゃんはやっぱり、侮れない。
「そういえば、退職した時のあの示談金ってなんだったの?」
「おう!聞きてぇか!そりゃあ、おめぇ、俺が若い頃に何回転職したと思ってんだ!」
目をギラギラさせて前のめりになるヨッちゃん。いけない、この質問は地雷だったのか。
「この転職王ヨッちゃんにかかればあんなのはお茶の子さいさいよ!どう辞めたら相手が1番嫌がるのか俺は熟知してんのさ!いいか、不義理な奴に遠慮はいらねぇんだ!」
まずい、ヨッちゃんの武勇伝の一つ"若者に捧ぐ転職の心得"が始まってしまった。これはしばらくかかるぞ。まだ料理の途中だ。
「おーっ、みんな久しぶりだなぁーっ!」
戸が開く音がすると、大きな野太い声が店内に響いた。
「女将さん、どうも、お久しぶりです。おぅ、隆也くんも随分店主らしくなったじゃねぇか」
「篠原さん!」
最高のタイミングで工務店の篠原さんが来店してくれた。ヨッちゃんももう篠原さんの方に体が向いている。満面の笑みで篠原さんに「おう、篠さん、見ない間に老けたな!」と冗談をかましている。助かった。料理をしながらヨッちゃんの武勇伝を聞く余裕は俺にはまだない。
さあ、後はメインディッシュ、串カツだ。今日のために研究に研究を重ねた串カツのタレを付けて、みんなに初提供だ。
「そういえば、表の看板、電気消えちまってたなぁ。親父さんの看板のままだったし。隆也くん、新しい看板はつけねぇのか?」
篠原さんの体格に見合った野太い声は、こんなガヤついた店内でもよく通る。
「あ、電球切れちゃったかな。開店前に電気つけた時もチカチカしてたんだよね。看板は新しくしようと思ってるんだけど、どうにも店の名前が決まらなくてさ」
「なんだよ、店の名前なんて、隆也でいいだろ」
「それはさすがにダサいし、嫌だよ」
ヨッちゃんの提案に苦笑いして返す。
「でも、今日、名前決まった気がするんだよね。あ、みなさーん!おまちかねの串カツでーす!」
ザワザワと騒がしくなる店内。「待ってました!」と言ってくれたのはすーさんだ。篠原さんも来たので再度乾杯して、みんな次々に串カツを口に運ぶ。「ちょっと甘めか」「もっと辛くてもいいなぁ」川辺さんと山さんが次々と感想を言う。どんな感想も嬉しい。こうしてまた一からやっていくんだと決意に変わっていく。これから俺はようやく親父の、いや、先代の背中を追いかけ始める。
「それで、店の名前は何にするんだよ」
ヨッちゃんが串カツを頬張りながら、俺に視線を向ける。
「うん、そうだなぁ」
この店が、誰もが英雄になれる場所になるいい。英雄になる方法は、先代やヨッちゃんが教えてくれた。肩書きなんてなくてもいいし、グローバルに働かなくてもいい。もちろん、大勢に賞賛されなくてもいい。ただ自慢話や武勇伝を話す場所があるといい。それを聞いてあげるだけでもいい。名もなき英雄はこの世にたくさんいる。そういう英雄達から元気をもらって、また明日から頑張れたら、それでいい。そしていつか、誰かのために何かをしてあげられたらいい。
俺がだんまりしていると、ヨッちゃんが痺れを切らして身体をズイと前に乗り出して聞く。
「なんだよ、もったいぶらずに教えろよ」
「うん、新しい店の名前はーーーー」
おわり
↓この小説を書きながらよく聞いてた曲です↓
エンディングにどうぞ。
ウルトラマンの曲だったらしい。
「英雄」doa
めっちゃいい曲だと思います😆
↓他の短編小説もあります😆🎉
↓連載小説もやってます🤗✨
「一生ボロアパートでよかった」
あらすじ:自慢だった新築の白い家が、ゴミ屋敷に変貌していく。父はアル中になり、母は蒸発し、私は孤独になった。
ーーー1人の女性が過去を振り返っていく。
↑①から最新話のマガジンです😊
↑①から⑩まで話を要約してます🤗
