母と子と
私は、両親にとって第一子として生まれた。
私の母は、私を産んだときに、
「自分を守ってくれる味方ができた」
と、心強く嬉しかったのだと私に語り聞かせた。
それを聞かされたときの私は既に子を持つ立場だったのだが、私からの共感を当然のこととして語る母の様子を不思議なものとして眺めた。共感を覚えることはなかった。
とても喜んでくれたのはありがたいことだ。
当時24歳だった母が、それまでとても心細かったのだろうという推測はできる。
だが、新生児である。
私が第一子出産のときに感じたのは、今後あまりにも小さく弱々しい存在を守っていかなければならないという責任へのおののきだったから、新生児が母親を守る味方として生まれて来たという発想は皆無だった。
そういえば私の母は、子ども達がまだ幼い頃から、
「お母さんがかわいそうだとは思わないの?」
とよく問い詰めた。
母自身はまだ年齢が一桁の時分から、自分の母親(私達の祖母)のことがかわいそうで心配でならなかったのだそうだ。自分の母親のことがかわいそうで心配で、よく泣いていたのだという。
そうか………。
私の母は、幼い頃から親孝行で立派な子だったのだな。
そう思いながら、私にとっての母は偉大で強く賢く、できないことなどない存在だったから、子ども時代の母の気持ちに共感はできなかった。後で聞いたところによると、祖母が若い母だった時分は姑や小姑、近所のお姉様方からのいびりがあからさまだったから、日常的にそれを見聞きして心配だったらしい。祖父は兄弟姉妹が多かったし、私の父は一人っ子だった。戦中戦後という時代背景も、交流の頻度や密度の違いもあったかもしれない。
そして、母と私、感じ方の個人差も。
何の違いであるかはわからない。さまざまな要素が複雑に組み合わさっているのだろう。
母親は勝手に我が子の存在から力を得るものであるという点においては、母も私も違いはないのかもしれない。守ってくれる味方であろうが、守るべき存在であろうが、母親はそのとき自分にできることをするしかなく、我が子の存在はその『できること』の力を増幅させ引き出すことは同じであるような気がする。
私に言わせれば、子にとって親は絶大な権力者であり本来の姿の何倍も強く偉大で、できないことはないと見えるが故に親が子にもたらす影響は大きい。幼い頃に親から決めつけられた評価はちょっとやそっとでは拭い去れない。大人になってみれば、当時の親は自信がなく手探りでやっていただけだったり、猛烈に怒って決めつけた評価は親自身のコンプレックスが投影されたものであったりするのだが。仮に友達のような親子関係に見えても、親は親であり、子は子でしかない。親は子が幼い時期に於いて絶大な権力者であるが故に、子からの理解を求めるには限界があり、その点において孤独に耐えるしかない立場だと思うのだが………。
なんのはなしですか
ヘッダー画像のお礼
優しいピンク色と、繊細な花と、真ん中のさりげない「なんのはなしですか」の文字。
『みどりかおる 5月の』というタイトル。
すべてに惹かれてお借りしました。ありがとうございます。
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