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pasteltime
本質的に好き
好きになるきっかけは確かに存在する。
例えばそれは、
笑うときのクシャっとした目元であったり、
袖をまくったときに見える
太い血管であったり。
あるいは
ひたむきに努力する姿であったりする。
しかし好きであり続ける理由を
私たちは知らない。正確に言えば
説明できないのではないかと思う。
「彼氏/彼女のどんなところが好きなの?」という問いに対する答えは、大抵好きになったきっかけや、好きになったからこそ見えてきた一要素であって本質ではない。
同じ要素を持つ他の人が現れたときにそちらに乗り換えるという行為は、その要素を好きになったが故のものに過ぎない。
世の中の数多の人間から
唯の一人だけを選んだ。
そこには要素にとらわれない
何かがあるはずだと思う。
何で今も一緒にいるのか、
考えてみてもついぞ分からない。
でも一緒にいたいという気持ちに嘘はない。
きっとその思いの裏に、好きであり続ける理由、好きであり続けたい理由が隠れているのではないかと思う。
それを説明するのはきっと難しい。
説明しようとすることすら
もはや野暮なのかもしれない。
きっと説明されない不確かさが
本質的な好きを好きたらしめている。
