AIは“対象完成”の極限である
――今、愁猴の見ている風景 その5――
AI時代はどうなっているかの話をすると、未来予測になりがちだ。
だが今回は、少し後ろを振り向いてみることにする。
文化、文明の違い、西洋、東洋の流れから、今を読んでみる。
日本的な文化とは縄文まで遡らなくてもいい。
江戸時代の建築や庭園を見れば、明らかに西洋とは違う文化や感性を持っていたのだろうという感覚はある。
たとえば、お城の石垣。
近くで見ると、不揃いで、歪んでいて、バラバラに見える。
完璧に整っているようには見えない。
だが、少し離れて見るとどうだろう。
山と調和し、地形と溶け合い、周囲の自然までも活かしている。
この、俯瞰的な感覚。
しかも機能としても、不安定さの中にバランスを生み、必要な強度を保ちながら調和している。
一見不規則に見える石組みが、実は地震にも耐える柔軟な構造を持つ。
石垣単体の完成を美しいと考えてはいない。
その環境、空間を活かす場が流動的に完成する。
動きのある、完成。
ここに、日本的な美の核心があるように思う。
西洋の美は「対象」を完成させる
西洋の建築は、直線的で、対称性が強い。
近くで見ても、遠くで見ても、単体で成立している。
それは、個として完結した固定的な完成を目指す発想だ。
対象を切り出し、整形し、秩序を与える。
その根底には、制御という感覚がある。
世界を「自己」の「対象」として切り出し、
人の意志で制御し、整え、完成させる。
つまりはコントロール、制御するという感覚。
これは拡張、制御、最適化の文化。
前進する力、目標達成的な、男性性の文化、文明といってもよいだろう。
日本の美は「関係」を完成させる
対して、日本のお城の石垣や日本庭園など違う。
不揃いを消さない、歪みを前提に組む、自然の傾きや地形を活かす。
完成させているのは、個の固定された、物ではない。
その環境、その場との関係だ。
地形、光、時間、周囲との関係。
つまり、日本の美は、「対象を制御する」美ではなく、「場と調和する」美なのだ。
AIは、西洋的文化、文明の極限である
AIは膨大なデータから最適解を導く。
対象を分析し、秩序を与え、完成させる。
それは、西洋的知の極限形だ。
最適化、効率化、高速化、正確化。
AIは、「対象を制御し完成させる力」を無限に拡張している。
正解の「美」を論理で整え、効率的に処理され、
アートと称して無限に生み出される。
これは、西洋的な拡張が飽和し、極限に達する状態だ。
だが、究極までいくとどうなるか。
対象の完成は、当たり前になる。
正確さも、速さも、効率も、完成された「美」を誰にでも持てるようになる。
そして、完璧であるはずの、完成された美の価値は薄まる。
そして、完成が当たり前になると、人は“完成できないもの”に価値を感じ始める。
では、AI時代に価値になるのは何か。
それは「完成できないもの」だ。
完成できないものとはなんだろうか。
状態、空気、人と人の関係、場の調和。
そして、数値化できない自然さ。
対象が完成しきったAI時代には、「正しい美的感覚」というものは存在しなくなる。
最適化された美も、特別ではなくなる。
どう在るか。
その環境、その場とどう関係し、どう調和しているか。
楽しんでいるか、力んでいないか。
そういった、自然さに価値が移る。
これは東洋的、女性的、精神文明への回帰するということではない。
現在の物質文明の否定ではない。
成長、拡張、飽和の流れが極限まで達した文明は、ようやく“調和”という方向へ向き直る。
外的拡張のあとに、必ず、内的回帰がくる。
愁猴流 身体操作回帰理論は、文化、文明の転換期に、これまで身体にこびりついた癖を取る。
この違いは、文明だけの話ではない。
私たちの身体にも、そのまま現れている。
直線的な身体は、力む。
肩が上がり、呼吸が浅くなる。
完成させようとするほど、固まる。
そして、曲線的な身体は、緩む。
呼吸は深くなり、場と溶け合う。
西洋の美は「対象」を完成させる。
日本の美は「関係」を完成させる。
AIは対象完成の究極。
だから次に価値になるのは、関係の完成。
それは、評価されるための完璧さではない。
その場にいる人が、自然と心地よくなる“ほどよさ”。
計測はできない。
だが、確かに感じられる空気の質。
AIが再現できない、人間だけが紡げる関係性の美。
やっぱり、AI時代のキーワードは
『マノスベ=自然さ』
◆ 愁猴流 転換期の美の方程式
AI時代=自然さ=曲線的=調和=関係完成
旧時代=不自然=直線的=制御=対象完成
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AI時代のキーワードは「自然さ」。
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